コンフォートゾーンを出るときの葛藤-ふるい分けの機会-

私たちも10月に今まで慣れ親しんだ場所を出た。いろいろな意見・感想があったと思う。なぜ、慣れたところを出なくてはならないのかとか;安い処でイイではないか;アクセスが便利なところがいい、etc. しかし、主はけっしてわれわれがコンフォートゾーンにとどまることは願わない。数週間前にメッセしたが-

我々の神、主はホレブで仰せになった。「あなたたちは既に久しくこの山にとどまっている。向きを変えて出発し、アモリ人の山地に行き、更にその近隣地方、すなわちアラバ、山地、シェフェラ、ネゲブ、沿岸地方に行きなさい。更にカナン人の土地、レバノン山、大河ユーフラテスにまで行きなさい。見よ、わたしはあなたたちにこの土地を与える。」あなたたちは行って、主が先祖アブラハム、イサク、ヤコブに、彼らとその子孫に与えると誓われた土地を取りなさい。-Deut 1:6-8

こういった新しい動きを起こすときには必ずいろいろな反応が出る。一人ひとりが何を心の中で求めているかが明らかにされるのだ。自分が気持ちよく・恵まれて・便利で楽しく・負担もかからず・セレブを楽しみたい・・・。はっきりと言うが、このような人は良き地を得ることはできない。

面白いことにいつもの再建主義の富井氏も同様の事を書いている[1]私は再建主義ではないし、彼とは終末論については致命的な違いがあるが、このスピリットに関しては100%共有できるものである。

日本全体で千人のクリスチャンが「疑わずに」祈ることができるようになれば、日本は徹底的に変わる。
クリスチャンに「できない」と思わせている力が働いている。
クリスチャンをがんじがらめに縛り付けている力が働いている。
その邪悪な力が、ミレニアムの活動を評価しないように活動している。
ポスト・ミレの終末論を採用しないように働いている。
「本当だろうか」と思うなら、試しに「ヨルダン川を渡ろう」と試みてほしい。
「ヨルダン川を渡って、豊かなカナンの地に入り、カナン人の土地と財産を相続しよう」と試みてほしい。
すぐに分裂が始まるだろう。
クリスチャン同士が互いに反目するだろう。

主はそれぞれの心を明らかにされるお方。主がラッパを吹かれたら、われわれは臨在の雲に従って、主の言われる方向へと動くのだ。良き地を取るためにはフェイスが試される。荒野で滅びた人々は、信じなかったから、良き地をミスした。

このようにして、彼らが安息にあずかることができなかったのは、不信仰のせいであったことがわたしたちに分かるのです。-Heb 3:19

われわれは前進する。立ち止まらない。われわれは常に、自分の・自分が・自分で・自分のため・・・というセルフマトリックスを常に脱ぎ捨てる必要がある。主の導きに対して、「なぜ?」と疑問を感じたときには、自分がすでに主の霊から離れている兆候だ。主はわれわれのリクツに対して答えることはなさらない。ただ、信じ・従うこと。これが地上の寄留者であるわれわれの歩みである。この時代、制覇するスピリットが要るのだ。

再び、神はある日を「今日」と決めて、かなりの時がたった後、既に引用したとおり、「今日、あなたたちが神の声を聞くなら、心をかたくなにしてはならない」とダビデを通して語られたのです。もしヨシュアが彼らに安息を与えたとするのなら、神は後になって他の日について語られることはなかったでしょう。-Deut 4:7-8

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1 私は再建主義ではないし、彼とは終末論については致命的な違いがあるが、このスピリットに関しては100%共有できるものである。

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