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携挙はAD70年に起きたと再建主義者

ついに神の祝福を受けるために埴輪の恰好を実践している様子の富井氏。かれによると携挙は正しい教えだが、それは未来の事ではなく、AD70年に起きたことであると。(一度目の)再臨もAD70年にあったとするわけだが、どこをどう読むとそのような結論が出るのか?というより、再建主義の理論体系を維持するためにそのように解釈するしかないというところがホントだろうと愚考する次第。

携挙の教理そのものに問題があるわけではない

1.

福音派の教会において「今は終わりの時代」とよく言われる。

しかし、聖書において「終わりの時代」は、紀元70年である。なぜならば「神殿が崩壊する時代こそ終わりの時代」と言われているから。 「イエスが宮を出て行かれるとき、弟子たちが近寄って来て、イエスに宮の建物をさし示した。
そこで、イエスは彼らに答えて言われた。『このすべての物に目をみはっているのでしょう。まことに、あなたがたに告げます。ここでは、石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。』
イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。『お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。』」(マタイ24・1-3)


神殿崩壊は紀元70年に起きた。

3.

携挙の教理自体は、イエズス会の産物ではなく、ピューリタンのそれである。

「携挙」という考えを最初に表明したのはアメリカのピューリタンの父子インクリース&コットン・マザー。 ”前千年王国説において、「携挙」という考えが最初に表明したのは、17世紀のアメリカのピューリタンの父子、インクリース&コットン・マザーであった。彼らは「クリスチャンたちは、空中に携え挙げられ、その後に地上に審判が下り、その後、千年王国が到来する」と考えていた。[13] [14] 「rapture(携挙)」 という用語を用いたのは、フィリップ・ドッドリッジ [15] とジョン・ギル [16] であり、彼らは、自らの新約聖書注釈書の中において「クリスチャンは、地上の審判とイエスの再臨に先立って携え挙げられるだろう」という意味で使用した。”
・・・
それゆえ、携挙の概念そのものに問題があるわけではないことは明らかである。

問題は、ジョン・ダービーが示した「再臨未来説(ディスペンセーション主義プレ・ミレ)」の中に組み込まれた携挙(患難前携挙説)が異端的であるという点にある。それは、イエズス会士マニエル・ラクンザから影響を受けたエドワード・アーヴィングの教えに起源を持つ。 著名な英国の神学者であり、聖書学者であるサミュエル・プリドー・トレゲレス博士(1813年-1875年) は、1866年にパンフレットを書き、ジョン・ダービーの著作に示された携挙の概念をエドワード・アーヴィングにまでたどった[20]。アーヴィングがイエズス会司祭エマニュエル・ラクンザの影響を強く受けていたことは、彼が患難前携挙説を推奨するこのイエズス会士の本を英訳したという事実から明らかだった!!
・・・
テサロニケの手紙に記されているように、携挙は存在する。

しかし、それは、ダービーが言うように、未来に起きるのではなく、紀元70年に起きたのである。

それは、テサロニケのクリスチャンたちに起きた。

当時生きていたクリスチャンたちにも起きた。

しかし、全員に起きたわけではない。なぜならば、紀元70年にクリスチャン全員が携挙され、パラダイスに行ったならば、その後、異邦人に伝道する人はいなくなったはずだから。

あるクリスチャンたちは、紀元70年以降も、地上に残り、伝道した。

この解釈だけが聖書的である。

それ以外は、矛盾を抱え込む。

これについては次の教父たちの証言に関する論考を紹介しておく。

再建主義者の「AD70年携挙&再臨説」を論駁する

要するに再建主義では、十字架以降のいわゆるエクレシアの時代(恵みの時代、異邦人の時代)がスキップされている。彼の論の前提は「ゲネア」の解釈である。これを一世代(40年程度)とすることからAD70に意味が生じるわけ。これについては次の論考を紹介しておく。

再建主義者の「再臨と携挙を未来の出来事とするのは悪魔教である」を論駁する

ゲネア(genea)とは何か。いのちの問題として理解する必要があるのだ。

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