すでに「倒れた五人」の王とはだれか?
再建主義の富井氏の論はけっこう勉強になる。
彼は、七つの山の上の獣はローマであるとして、こう続ける-
「五人はすでに倒れたが、ひとりは今おり、ほかのひとりは、まだ来ていません。しかし彼が来れば、しばらくの間とどまるはずです。」
再度、歴代のローマ皇帝を示す。1.ユリウス・カエサル(紀元前49ー44年)
2.アウグストゥス・カエサル(紀元前31ー紀元14年)
3.テベリウス・カエサル(紀元14ー37年)
4.ガイウス・カエサル(カリギュラ)(紀元37ー41年)
5.クラウディウス・カエサル(紀元41ー54年)
6.ネロ・カエサル(紀元54ー68年)
7.ガルバ・カエサル(紀元68年ー69年)
「五人はすでに倒れたが」つまり、ユリウスからクラウディウスまではすでに倒れた。
「ひとりは今おり」つまり、ヨハネが黙示録を執筆しているときの皇帝はネロであった。
「ほかのひとりは、まだ来ていません」つまり、残ったガルバはまだ来ていなかった。
「しかし彼が来れば、しばらくの間とどまるはずです」つまり、ガルバの支配期間は短いはずだ。
事実、彼がローマ皇帝だったのは、紀元68年6月から69年1月15日までのたった7カ月だった。
「また、昔いたが今はいない獣について言えば、彼は八番目でもありますが、先の七人のうちのひとりです。そして彼はついには滅びます」
「昔いたが今はいない獣」とは、「昔いたが、今はいません。しかし、やがて底知れぬ所から上って来ます」とも表現されている。
これは「未来に復活する過去にいた皇帝」である。これはネロである。
ネロは昔いたが、一度死んで後に復活するはずである。
どのようにして?ティトゥスによって。
「彼は八番目でもありますが、先の七人のうちのひとりです」
8~11番目の皇帝は、8.オト・カエサル(紀元69年)
9.ウィテッリウス(紀元69年)
10.ウェスパシアヌス(紀元69年ー79)
11.ティトゥス(紀元79年ー81)
12.ドミティアヌス(紀元81年ー96)
7~9の3人は在位期間が短く、ウェスパシアヌスによって暗殺されたと言われている。
彼らを除外すると、8番目の皇帝はティトゥスになる。
「先の七人のうちのひとりです」
ティトゥスは、7人の皇帝の一人である。つまり、「蘇ったネロ」として。
「そして彼はついには滅びます。」
帝位について2年で死亡。
さて「倒れた五人」とはだれか? ここで「倒れた」という単語”pipto”について、Vincentはこう説いている:
Are fallen (ἔπεσαν)
Lit., fell. Constantly used in the Septuagint of the violent fall or overthrow of kings or kingdoms.
お分かりだろうか? これは自然死ではないのだ。暴力的に王位から引きずり降ろされることだ。さて、ここで歴史を見ると2番のアウグストスは自然死だった。つまり「倒れた五人」には彼は含まれず、六人目のネロまでが、その五人に該当するのだ。よって黙示録がネロ以後に書かれたことはすでに論じている。
ネロの霊がアビスから上ってきて、終わりの時代のあの者に憑依することは、このところのメッセでも触れている。つまり八番目でもあるが、先の七人のひとりでもある存在。それは超自然的な存在であり、歴史的なローマ皇帝の系譜を超えていると考えられるのだ。
富井氏も「獣」に二重性を認めている。同様にこの預言の二重性を認めることはできないのだろうか? すなわちAD70年とこれから起きる最後の7年の状況である。これに対して彼は「二重再臨&携挙」を主張するのだ。「再臨」が二回あるという主張はナンセンスであるとすでに指摘ている。
ただ理解できた点は、彼においては黙示録の19章までは旧約世界の裁きと滅びを描いているということ。これがAD70年までに成就したとする。エゼキエル書38&39章も含めて、イエスが十字架で「完了した」と叫ばれたことをその根拠とするのだ。
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