Dr.Lukeの一言映画評:『KCIA南山の部長たち』

韓国はあまり好きな国ではないが、その映画の実力は日本をはるかに凌駕する。とにかくリアリティが重い。銃声や爆弾の音が生。対する日本のそれらは花火だ。

実話に基づくこの作品もかつては革命を同志として戦ったパク大統領とKCIAの部長キム氏の葛藤を描く。大統領はその後の当初の理想や大義を忘れて独裁政権と堕し、自分に都合の悪い存在を次々に粛清する。秘密の場所でお気に入りの女性に「接待」させるのだが、その女性を見繕うのも個人情報を握っているKCIAの役目だったとか。大統領は自国民をも粛清することを辞さずと戒厳令も。

キム部長はそんな大統領を諫め、悔い改めを進言するが、徐々に疎ましく思われて冷遇される中で、ついに1979年10月26日、その宴席で大統領に銃弾を浴びせる。

信長と光秀の場合もだが、クーデターを仕掛ける側には大義が要る。この事件も後にチョン・ドファンにより、単なる私怨による殺人事件として処理される。キム氏はあくまでも韓国の自由と民主主義のためであったとして、潔く処刑されるのだ。光秀もだが、仮にその大義が真実としても、事後対策の案が欠如している。戒厳令を布いて軍を掌握して新政権を打ち立てるのも無理があるし・・・。

というわけで、今回のアメリカ大統領選も連想してしまった次第。もしトランプが戒厳令を発令していたらどうなっていただろう?果たして大義はトランプにあるのか、バイデンにあるのか・・・・。まあ、歴史はつねに勝者によってその正統性を証明するために「書かれる」(記録されるのではない!)ものなのだが。

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