聖書の表向きの矛盾は隠された真理のカギ

いのちのことば社の『Essential Bible Dictionary-エッセンシャル聖書辞典』において、聖書の記事の時系列における矛盾点(次の2.と3.)が指摘されている。

  1. 幕屋における香壇の位置について
  2. 出エジプトからソロモン神殿の完成までの期間
  3. 主の十字架刑の日にち

1.についてはこちらで触れている(☞至聖所について/幕屋の秘密@YouTube)

3.についてはすでに詳述している。

ここでは2.についてちょっと調べてみよう。

まず、第一列王記6章1節にはこうある-

ソロモン王が主の神殿の建築に着手したのは、イスラエル人がエジプトの地を出てから四百八十年目、ソロモンがイスラエルの王になってから四年目のジウの月、すなわち第二の月であった。

一方使徒行伝13章18-22節では-

この民イスラエルの神は、わたしたちの先祖を選び出し、民がエジプトの地に住んでいる間に、これを強大なものとし、高く上げた御腕をもってそこから導き出してくださいました。神はおよそ四十年の間、荒れ野で彼らの行いを耐え忍び、カナンの地では七つの民族を滅ぼし、その土地を彼らに相続させてくださったのです。これは、約四百五十年にわたることでした。その後、神は預言者サムエルの時代まで、裁く者たちを任命なさいました。後に人々が王を求めたので、神は四十年の間、ベニヤミン族の者で、キシュの子サウルをお与えになり、それからまた、サウルを退けてダビデを王の位につけ、彼について次のように宣言なさいました。『わたしは、エッサイの子でわたしの心に適う者、ダビデを見いだした。彼はわたしの思うところをすべて行う。』

つまり、40(荒野)+450(定住)+40(サウル)+40(ダビデ)+3(ソロモン)=573年! かくして列王記との差は93年だ?!

さあ、聖書の記述は信頼できない、と学者たちは騒ぐ。ことば社の辞典でもいろいろ理屈をこねているが、結局は理解不能だ。が、真理は単純なのだ。もろもろの考古学や学者の論などを持ち出すまでもない。聖書を読め!

士師記においては、ヘブル人が他国の支配下に置かれていた期間がいくつかある。列記してみよう-

3:8 主はイスラエルに対して怒りに燃え、彼らをアラム・ナハライムの王クシャン・リシュアタイムの手に売り渡されたので、イスラエルの人々は八年間、クシャン・リシュアタイムに仕えなければならなかった。

3:14 こうしてイスラエルの人々は、十八年間、モアブの王エグロンに仕えなければならなかった。

4:3 イスラエルの人々は、主に助けを求めて叫んだ。ヤビンは鉄の戦車九百両を有し、二十年にわたってイスラエルの人々を、力ずくで押さえつけたからである。

6:1 イスラエルの人々は、主の目に悪とされることを行った。主は彼らを七年間、ミディアン人の手に渡された。

13:1 イスラエルの人々は、またも主の目に悪とされることを行ったので、主は彼らを四十年間、ペリシテ人の手に渡された。

つまり、他国の支配下には 8+18+20+7+40=93年間置かれていた!

YHWHエロヒムの目から見て、その間は霊的な意味を持たないのだ。だから記録から省かれている! YHWHエロヒムの当初の意図は、アダムが地を治めることであった。私たちも今、いのちにあってキリストと共に支配するのだ(Rom 5:17)。

が、われわれはスーパーナチュラルな霊の領域とナチュラルな物理的領域の狭間に生きている。

世の者ではないが世にいる者として。結果、肉にあって支配権を奪われている時間もあるのだ。これが現経綸におけるキリスト者の実際だ。なぜなら、霊は燃えていても肉体が弱いからである(Matt 26:41)。

かくして、この支配権を奪われている期間は主の目にあってはカウントされない。それは恵みを無にしている時間となる(2Cor 6:1)。

われわれの使命は、地を治めること。まずは地のチリから構成された肉体を治めること。それはもちろん聖霊によるのだから、聖霊に明け渡すこと、すなわち霊に生きること。

肉に従って歩む者は、肉に属することを考え、霊に従って歩む者は、霊に属することを考えます。
神の霊があなたがたの内に宿っているかぎり、あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいます。キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。
キリストがあなたがたの内におられるならば、体は罪によって死んでいても、“霊”は義によって命となっています。
もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。
それで、兄弟たち、わたしたちには一つの義務がありますが、それは、肉に従って生きなければならないという、肉に対する義務ではありません。
肉に従って生きるなら、あなたがたは死にます。しかし、霊によって体の仕業を絶つならば、あなたがたは生きます。-Rom 8:9-15

カギは何を思うか、考えるか。本日のメッセの論点でもある。時代も煮詰まっている。どうぞ残された時間がYHWHエロヒムの目にあってカウントされるように!

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