重信房子氏の自己総括

彼女の文章はかなり観念的であり、抽象的な脳内空転が多い。これがただちに行動として表出してしまうわけで、この点、われわれ一般人には理解しがたい点である。パレスチナ側の正義にのみ依拠し、イスラエルを悪と断じる姿勢は、まさに善と悪を知る知識の木の生き方そのものである。善と悪を知る知識の木の実を食べ、罪に落ちた人間の正義や善はきわめて自己中心的なものであり、ご都合主義に陥る好例であろう。彼女の全体的主張は、自分はあくまでも善であり、正義であると言いたいようだ[1]はっきり言って、まったく反省の色は感じられない。ある種の狂気を感じる。。しかし革命を唱えても一般人には同意も共感されることもないであろう。

まことにGOLGO13のこのセリフのとおりである。

その彼女の最後の自己批判的総括文を紹介しておこう。一応、これまでの左翼の敗北を認めているが、いずれ勝利するとの虚勢とも見えるドヤ顔的文章である。愚者と自らを評しているのも、実は高いプライドの逆説的表現であろう。極私的には今後の彼女の生き方と人生の締め括り方に興味が湧く次第。

 世界的にもいえることだが、20世紀の狭量な私たち、日本の左翼のあり方とその革命は敗北した。私たちが敗け続けたことは党の「唯一性」に拘泥して争い、党の「無謬性」によって異論を敵視し暴力で言論を封じ「我々」だけで納得して「指導」しようとしたことによく現れていた。私たちは「人間」を知らず、人々の生きる社会生活に対する敬意も欠けていた。当時の自分たちの党派政治の思想的貧しさともいえる。加えて、方法論がなかったからではないか、思想的厳密さは、形態や方法の画一的厳密なパターンではない。頭の中の「マルクス・レーニン主義」に囚われて実は保守的だったと思う。もっと方法論的に多様で寛容でいい。「こうすべきだ」と頭の中の正義の「べき論」で現実を軽視した。まさに、世界を単に様々に解釈した。現実を、世界を変えることに立ち遅れた姿があったと反省する。こうしたことは私よりずっと以前に、すでに多くの人々が気付き改めているだろう。

 過去を直視し、未来をのぞめば、人々のためになる仕事とその精神の継承される変革の闘いは必ず勝利していくのがわかる。だから諦めないし、尽きない意欲が湧くのが人間というものだ。理不尽な社会へ の不満と怒りは、世界各地で変革のエネルギーを育てている。日本も何十年も例外ではいられないだろう。世界も日本ももっと変わるだろう。変わらざるをえない。戦乱と難民と感染症禍に特徴づけられる荒廃の資本主義の21世紀を、戦争国家化、軍拡の道ではなく、非戦と公正の希望の世紀へ。理想は求め続ける限り消えることはない。まだ教訓は十分に語りえていない。 闘いを極限まで突き進め、反省と試行錯誤の中から、変革を求めた一人としてもっと学びたい。

 そして国際交流・国際連帯、国際主義は、自らを、日本を相対化し対象化する視座を与える。国際連帯は響き合い、自らもまた日本も育てる。そう日本の人々に伝えたい。ミャンマーもウイグルも香港も「気候正義」もパレスチナも、もっともっと国際連帯を!と訴えたい。私にできることは時間的にも能力的にもないことを知っている。コロナ禍の世界は私の経験や想像をはるかに超えている。それでも砂漠に眠るたくさんの友らが語りたかったことを語りたい。

 愚者は愚者として経験を学び尽くそうと思う。

重信房子著:『戦士たちの記録 パレスチナに生きる』 幻冬舎、pp.352-353
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1 はっきり言って、まったく反省の色は感じられない。ある種の狂気を感じる。

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