Dr.Lukeの一言ドラマ評:『荒地の恋』
本作品、極私的に好きな京香さんがやややつれた女を演じている作品[1]ぼくの好きなタイプは彼女とか小雪さんね😎。
人間の生と死の不条理、許されざる男と女の関係の切なさ、そして老いと病、派手な展開はないが静かに問いかける作品。
かつて『荒地』なる同人の男たちがひとりの女明子を巡って家庭を壊しつつ、様々な葛藤を経て、人生の夏が過ぎ、秋を迎え、仲間も次々に世を去り、海に向かって座る老いたふたり。
「我々はどこから来ないで、どこへ行かないのか、お前のことばだ」、さらに「我々はどこから来ないで、どこへ行くべきか」
「・・・三田村はどこへ行くのだ」、
「俺たちはずっと荒地を歩いてきた・・・僕たちが生まれた時はすでに荒地だった、そして今も荒地だ・・・」、
「ああ、三田村はどこへ行くんだ」、
「俺か? 俺はもう少し抗ってみる」と・・・。
自分の妻を奪った北沢に対する万感を込めた送別のことばである。
そして時代は昭和天皇の崩御を伝え、北沢は文学賞を受賞。
北沢と明子、寿司屋のカウンターにて、
「何年になるかしらねー、ふたりで初めてお寿司を食べたのは」。
「あきちゃん、あきちゃんはぼくのこと、どう思ってる?」
「あら、そうねー」
「じゃあ、三田村のことはどう思ってる?」
「ふたりは似てるわね」、
「どこが?」
「あなたはぼんやり温ったかいし、三田村はひんやり冷たいし、・・・どっちも気持ちがいいわね」
「なるほどね、あきちゃんといると楽しいね・・・」
と明子を見つめる北沢。間もなく彼はひとり静かに逝った。
人はどこから来て、どこへ行くのか、結婚って何であり、家族とは、といった人類普遍の永遠のテーマを男と女の切ない出会いと別離れ、詩人たちのもがきを通して問いかけている。
スピン的に北沢の若い愛人でナースの亜子が、「あなたを見送るのわたしにさせて」とうめくようにつぶやく場面は泣ける。
本作品は実話に基づくもの。戦中、戦後を生きて、人間とは何か、生とは何かを詩によって追及してきた詩人たちのドラマだ。
しっとりとオトナの鑑賞に堪える作品である。なお、ぼくも一応、詩人である。
References
↑1 | ぼくの好きなタイプは彼女とか小雪さんね😎 |
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