バプテスマとは新生命体へのインプランテーション
これは私が授けたものではありません。KFCの支部があるわけでもありません。自律的な生命現象です。
自分がバプテスマした人数を誇るボクシがいるが愚かなものだ。パウロは言っている:
クリスポとガイオ以外に、あなたがたのだれにもバプテスマを授けなかったことを、わたしは神に感謝しています。だから、わたしの名によってバプテスマを受けたなどと、だれも言えないはずです。もっとも、ステファナの家の人たちにもバプテスマを授けましたが、それ以外はだれにも授けた覚えはありません。なぜなら、キリストがわたしを遣わされたのは、バプテスマを授けるためではなく、福音を告げ知らせるためであり、しかも、キリストの十字架がむなしいものになってしまわぬように、言葉の知恵によらないで告げ知らせるためだからです。-1コリント1:14-16
また「自分は誰々センセイによってバプテスマされました」とか、これは宗教。ボクシの名によってバプテスマれるなんて呪いだからね(苦笑)。ただ御名の中へとバプテスマされ、新生命体にインプラントされたリアリティーが重要なのだ!
御名と実体は一つ。ヘブル語の言葉(dabar)は実質・実体・マターそのものである。なお、この部分も田川訳は他よりは正確だ。「名の中へと向かって」とある。
ニッポンキ業界では洗礼準備の学びを1年ほど行い、ボクシのお眼鏡にかなうとようやくといったむきがある。が、御言葉はこう語る:
道を進んで行くうちに、彼らは水のある所に来た。宦官は言った。「ここに水があります。バプテスマを受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」フィリポが、「真心から信じておられるなら、差し支えありません」と言うと、宦官は、「イエス・キリストは神の子であると信じます」と答えた。-使徒8:36-37
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