iDLE UTTERANCE
Dr.Luke的日々のココロ

なんだか、この雪崩事故も、登山は中止したが、ラッセル訓練は行ったとか。なんでそんなに頑張るんかね?
私たちのキャンプの参加者がみなおっしゃるのは、普通の日本の教会の修養会とかキャンプでは、スケジュールや当番がみっちりきまっていて、現地に到着するとすぐにあれこれの奉仕で分単位で追い立てられるとか。
ところが私たちの場合は、まずはゆっくりして、温泉や観光をどうぞ、と。さらには諏訪大社巡りまでしちゃうわけで・・・。え、クリスチャンが?とか言わないこと。聖霊派辺りでは鳥居をくぐると霊が憑くとか。まことに幼稚、✖✖です。そんなにいい加減でいいの?ってね(笑)
はい、スケジュールなどは大体のテキトーでいいのです!ゆるーくね。ところが霊は濃厚。ある方々は言っていた、衝撃を受けた、と。毎週こんななんですか?とも。そうなんです、つまりはスピリチャル・オーガニック、霊的有機栽培ですから(笑)
あなたがたは神の畑、成長させてくださるのは神である。―1コリント3:6-9

私は何度も繰り返している、日本語マトリックスで真理を理解してはならないと。Dr.Kさんがギリシャ語レベルでガラテヤ2:16(Gal 2:16)について指摘されている。ぜひ、お読みください。
ガラテア2章16節における日本語訳について一言。
余りにひどいので正確に見ておきたい聖句の一つだ。
律法の働きは人を義とはしない
イエスキリストの信仰が人を義とする
イエスキリストにあって
それを我々は確かに信じた
だから救われた
律法の働きは肉を義としない
義とされるにはイエスキリストの信仰が必要だ
解説:Dr.Kさんが指摘されるこの新改訳の問題点がピンとこない人は、すでに何気にニッポンキリスト教のマトリックスにはまっています。はっきり言って、とんでもない誤訳。
新改訳で刷り込まれるマインドは、つねに【自分が】何をするか、【自分が】どうか、と【自分に】フォーカスが置かれるように誘導されるのです。自分が律法を行うか、自分がジーザスを信じるか、と。分かります?
パウロが言いたいのは、私が行うとか・信じるとかではない!ということ。フェイスも私がジーザス【を】信じるのではないのです。つまりギリシャ語の対格ではなく、属格。律法【の】働きは私を救わないが、ジーザス【の】フェイスが私を救うのです。これはガラテヤ2章20節も同じ。
この自分、セルフに注意が置かれるのがニッポンキリスト教の罠で最も深刻なものです。新改訳は福音派では定評があるらしいですが、前にペンテコステ派の『ファイアバイブル』がどうのこうので指摘しましたが、何気にかなりバイアス(偏向)しています。いかにもニッポンキリスト教らしく。そんな色物ではなく、KJVで十分でしょう。再度、ビ・アウェア!!!
追記:さっそく「細かいことで揚げ足を取るな」的な抗議のメールをいただきました。ヤレヤレ。まあ、どこぞの牧師先生でしょうが(福音派?)、プライドが疼いて制御できなくなるんでしょう。せめて、誤訳は誤訳として認めてくださいな。って、無理か・・・この業界では。リバ新の記事もえらい剣幕で編集部に抗議や不買運動が起きちゃったわけで。(*´Д`*)

主は【兄弟】がひとつになるところに祝福を命じた(教職と信徒や教団や宗教組織ではない!)。「命じる(command)」は"tsavah"、意味は"put into order"。病気はDisorder=orderからの逸脱、あるいはDisease=easyを失うこと。神は無秩序の神ではない。すべてをしかるべきorderに置くこと。これが命じることの意味。こうしてキリストと共にいのちにより支配する(Rom 5:17)。

TODAY’S CELEBRATION Mar 26, 2017―神は私たちからワークアウトする―
●MSGタイトル:神は私たちからワークアウトする ●聖書個所: …
●MSGタイトル:神は私たちからワークアウトする
●聖書個所:Ps 133:1-3;Rom 7:20;Rom 8:1;Heb 9:12;10:10-14;John 14:12
●2017年4月2日のセレブ:
・場所:エスカル会館2F会議室
・時間:1300-1700
●Web:Kingdom Fellowship®
●YouTube:Dr.Luke's Kingdom Fellowship Celebration
●ApplePodcast:Kingdom Fellowship Celebration
●セレブレーションのライブ録音DVD:希望者にお分けできます。1ヶ月分、3,000円(原則4DVD);あるいは希望のタイトル1枚1,000円にて。ご注文はオンラインショッピングにてどうぞ。あるいはメールにもOKです。
全国有名書店で発売中
イエスの誕生と死、そして復活が意味するものは何か?最初の人類アダムとエバの“失楽園”、ノアの箱舟、モーセによるエジプト脱出・・・数々の映画のテーマにもなる聖書の奇跡とイエスの生涯に新しい光をあてる。それらは現代人のわれわれとどんな関係があるのか?神は今もなお生きて働かれるのか?それを経験する鍵は?人類のロングセラー「聖書」の世界をよりあざやかにリアルなものとする挑戦的な書。
●面白い口コミがありました:聖書は既読ですが、モーゼが杖をついたら海が二つに割れたり、イエスが一つのパンで何百人の人を養ったりと、神話的な話として読んでいました。この本を読んでからは、神話や伝説ではなく、リアリティとして感じられるようになりました。
●Amazonにて:Dr.ルーク先生には、勇気や元気を貰えます! お話を聞いたり、ご本を読むうちに「キリストの本質」が学べます。何年教会へ通っても理解出来なかったことが、数か月で分かる感じがしました。キリストは死んだ「宗教」ではない、フェイスそのものです。人生観が変わります。
●メールにて:一気に読んだ。読みやすくて、時間を忘れて読んで、まったく抵抗なく、すぅ~~~~っと入ってくる内容だ。
●楽天にて:最初はとっつきにくかったです。というのは、カタカナ日本語多すぎます!でも、彼のyoutube聞き始めて、とってもおもしろくなってきたので、とうとう読み始めました☆内容は本当にアーメン!(まことにその通り)です☆すばらしいね☆Youtubeと一緒にみるのがおすすめです。

水鳥の春夢 一石
梅花 亭上(ていじょう) 流泉(りゅうせん)を聴く
日漏れて 波紋 春憐れむ可(べ)し
澹澹(たんたん) 翠微(すいび) 酒の如く緑なり
知らず 水鳥 夢相牽(あいひ)くを
(七言絶句・平起式・下平声仙韻)

森友は結局、各方面みな"空気"で動いていたのでしょう。山本七平の言う、"空気文化ニッポン"の典型。だからとりあえず決定的ハード・エビデンスはないわけ。
しかし安倍の奥さん、「神様はどこに導かれるんでしょう」って、このセリフよくキリスト教徒が使うが、自己責任回避の典型的手法。ニッポンキリスト教も"空気"で動いているわけ。そもそもFBで反論って・・・。
この国には最終的意思決定機関がないのだ。そこに登場するのが天皇。みんな天皇に丸投げして免罪符をもらうわけ。

ついに物理学者も認め出した。重力はイリュージョン!そもそも時空間自体が幻想なのだ。真の存在は、もちろん神のレーマ、神のバイブレーション。それが五感に投影されているのが、われわれの経験する物理的世界。
フェイスによって、わたしたちは、この世界が神の言葉(レーマ)によって創造(フレーム化)され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。―ヘブル11:3

フェイスにより語り出された言葉は霊のバイブレーションの場(フィールド)を動かす。それがこの五感の領域に実体化される。
今、フェイスとは願う事柄のサブスタンス、まだ見ていない事の立証である。―ヘブル11:1
この「フェイス」には定冠詞はない。つまり人類普遍のシックスセンスとしての能力を言う。ポイントはそれを用いて、どのポータルあるいはチャネルを通してスピリチュアル・リアムにアクセスするか。

かつての『2001年宇宙の旅』やその続編、さらに『インターステラー』や『ゼロ・グラビティー』に続く宇宙のSF。映像も美しく、ちょうど宇宙のアダムとエバ的なストーリー。果たして人は物理的空間において二人だけで生きられるのか。宇宙で孤立することを考えるとある種の畏怖の念を覚える。
が、考えてみれば、この地球とて、物理的には孤立系。70億人と2人の違いだけ。つまり物理的にはこの広大な宇宙でポツンと放置されているのが宇宙船地球号なのだ。エロヒムは当初アダムとエバのみを創造された。で、彼らから次々に増殖したのが人類。アダムとエバはどんな生を送っていたのだろうか。
宇宙において孤立したとき、多分物理的空間においてだけならば、生きることはほとんど虚無だろう。が、それはこの地球上においても同じ。つまり、五感の領域において、物理的時空間をサバイバルするだけなのだから。その虚無から解放される道は?
そう、霊的領域へのアクセスだ。神との交わり。私は思考実験する、一人だけで宇宙に飛ばされたとき、神の臨在を感じるならば、そこは虚無空間ではないと。事実、アポロ宇宙飛行士は月面でものすごい神の臨在を感じたのだった。この世の五感の喧騒から離脱するならば、この旧創造に属する肉体をもっても、神を文字どおり手で感じることができるのだ。
ラストで一本の植えられた木が、樹へと成長し、繁茂している光景は何か命の潤いを感じて救われた感覚を覚えた。オススメ!

worth listening to….彼は元々はハードコア・サイエンティスト。ニューエイジの方が霊的に開かれている。ただ、ポータルが異なるが・・・・。 まさにこのことを語っている。空間はエンプティーではない。われわれのマインドと絶えず相互作用をしているのだ。
もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。
この日は言葉をかの日につたえ、この夜は知識をかの夜につげる。
話すことなく、語ることなく、その声も聞えないのに、
その響き(バイブレーション)は全地にあまねく、その言葉は世界のはてにまで及ぶ。
-詩編19:1-5
彼は言う:BELIEF TRANSLATES THE FIELD (=SOUP OF ALL POSSIBILITY) INTO THIS REALITY. まさにフェイスではないか!へブル11:1(Heb 11:1)のフェイスの定義には定冠詞はない。一般のシックスセンスとしての能力なのだ。
ジーザスこそがニューエイジを開いたのだ。われわれこそが真のニューエイジャー。GET BACKせよ!
追記:わたしのOneshotシリーズのこれとほぼ同じだ。⇒フェイスと量子力学

このグラフは実に興味深い(⇒ソース)。人々、特に若者が食うことに追われて、モノを考えなくなってきている。
長時間労働で疲弊した人は新聞を読む気力もなく,物事を深く考えなくなる。少しの情報だけで自分の意見を決める。それが世論になってしまう。欧州では家族で食事をとりながら会話をしたり,広場やカフェで自由に議論をしたりする。時間に余裕があるかどうかは,民主主義の成熟と深く関わっている可能性がある。(福井新聞,2017年3月20日)
とりあえず食っていくことがすべてになるとき、Sheepleが誕生する。あるいは自己実現的事業をする者も、既成勢力に認知され、受け入られることを求め、スリスリになる。いずれにしろ、「寄らば大樹」モードに陥って、何も変わらない。敵を作ることや既成システムから拒絶されることを恐れる者には何もできないのだ。この世でもキリ業界でも同じ。ニッポンは出た杭は打たれるが、出過ぎた杭はスルーされるから、思いっきり出ちゃった方が楽なんですが・・・
霊的には、これがバビロンの人類飼育システムに他ならないのだ。

昨日のプレイヤーMTGでの報告によると、今回のキャンプで【いつの間にか】(☜これがカギ。自分から意識が離れるとき、御霊は働くのだ。いつ癒されるか、まだか、まだか、とその症状を見つめているとなかなか・・・)いろいろな癒しを受けた兄弟姉妹がいたようです。別に私が手を置かなくても、栄光(カボド=重さ)にある臨在(パニーム=神の顔)の中で、御霊のタッチを受けてしまうのです。すると
もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。―ローマ8:11
魂の中の阻害要因(パウロの言う、要塞;私の言う、霊感情観念複合体)のブロックが外れると神のドュナミスが流れる。あとはイッツ・オートマティックなのだ。GBTG!

2001年に出した本書、現在絶版中ですが、希望者がいまだに多いのです。今回、出版社から版権を引き上げましたので、自由にこちらで出版が可能となりました。とりあえずKindle版で出す予定です。また当時VHSだったレクチャービデオ(2巻)はすでにDVD(2枚)化して、販売しております。なお、ワークブックは現在も出版社から入手可能です。
・オンラインショップ(⇒http://shop.kingdomfellowship.com)
またサイトにて購読することも可能です。ただし、書籍にはかなり加筆してあります。「ヒューマトリックス」も公開してあります。なお、この「ハードコアプロファイルズ」に対しては当時、編集部に抗議の電話が来たり、不買運動が起きたりしました。面白いですね、霊が反応してしまうのです。
・DR.LUKEの書籍購読コーナー(⇒http://www.kingdomfellowship.com/Ministry/readingroom.html)
内容:
まえがき
プロローグ 人間-この不条理な存在
パートⅠ 福音と精神病理
第1章 聖書の啓示と科学の見方
第1講 アプローチの違い
第2講 人間の構成
第3講 人間の実存的状況と原因
第4講 精神分析と精神病理
第5講 福音と精神療法
第2章 霊精神身体医学の提唱
第1講 人間の聖書的啓示と現代精神科学
第2講 霊的カウンセリングの必要性
第3講 御言葉の力
パートⅡ 真理は人を自由にする
第3章 魂編(ダイレクト・カウンセリング)
第1講 諸問題のルーツ
第2講 罪の諸相(Sin と sins)
第3講 肉の問題
第4講 信仰の必要性
第5講 御霊の働き(1)
第6講 御霊の働き(2)
第7講 敵の策略(1)
第8講 敵の策略(2)
第9講 神の戦略
第10講 重要事項の補足(1)
第11講 重要事項の補足(2)
第12講 神のパースペクティヴ
第4章 霊編(フルコンタクト・ゴスペル)
第1講 霊の開眼
第2講 神の臨在の座である霊
第3講 信仰の本質(1)
第4講 信仰の本質(2)
第5講 霊の機能(1)
第6講 霊の機能(2)
第7講 霊の機能(3)
第8講 霊と魂の相互関係
第9講 心のダイナミクス
第10講 身体の意義
第11講 十字架と御霊の機能
第12講 福音の究極
第5章 実践編(ダイナミック・フリーダム)
第1講 真理の実践
第2講 自由を得るステップ
STEP1:敵に対処する
STEP2:偽りを対処する
STEP3:反抗とプライドを取り扱う
STEP4:赦しの実行
STEP5:要塞と呪いを取り扱う
エピローグ 人間-不条理からの解放
あとがき

このブログでも何度か紹介しているが、きわめてキツキツの説教をすることで有名な彼、今回心臓発作で倒れたようだ。この手の人はたいてい心臓をやられる。自責感の強い人は自己免疫疾患とかね。彼のメッセは解放感と喜びがまったくない。この写真の目も輝きがないし、作った笑顔で、表情全体が曇っている。
参考までにこのメッセ、聞いてみてください。救いの喜びはどこに?この霊が自分の肉体を痛めつけているのだ。

God's Kingdom Grows Through Spiritual Organic Cultivation.
人手によらず、人はそれを知らず・・・・。何も足さない、何も引かない、御言葉だけで・・・・。聖書はね、道徳や倫理や人生論や思想や哲学や神学の本ではありません。ましてやキリスト教の教典でもない。それは生命現象の書です!

この五感は誰もが分かる。視覚・聴覚・臭覚・触覚・味覚によって私たちのうちにある世界のモデルが構築されている。私たちはこの五感あるいは五覚によって何気に生きている。それぞれの覚はそれぞれの物理的実体、つまり物理的サブスタンスを私の主観的経験とする。これを実体化(Substantiation)という。
普通の人は光の実体は知らない。電磁波であり、光量子でもあると物理学では教える。そのエネルギーはhνであるとも。が、それを知らなくとも目がそれを私の経験として実体化してくれる。物理は知らなくても何も困らない。同様に音は空気の粗密波であると知らなくても、音楽を楽しむことができる。耳がそれを私の経験として実体化してくれるからだ。こうして五感により私たちは世界を認知し、それぞれの経験に応じて世界はこうこうであると知っている。それが各人の世界観であり人生観である。これがマトリックスだ。
では、霊的サブスタンスはどうか。メッセでも語ったがLAに行かずにガイドブックだけは隅から隅まで知っている人がいる。同じように霊的サブスタンスにタッチすることなく、聖書は隅から隅まで知っている人がいる。信仰なる単語があまりよろしくないと言っているが、それは視仰とか聴仰とか言ったらおかしいでしょということ。フェイスとは第6のセンサーなのだ。ゆえに信覚とでも言うべきかもしれない。
それは霊的領域にタッチし、それをセンスする。霊的サブスタンスを経験する感覚器官なのだ。ゆえにそれはスーパナチュラル。聖書を知っていることと霊的サブスタンスを味わうことはまったく別のこと。ガイドブックを知っていることとLAを味わうことはまったく別のことであるのと同じ。この意味でいわゆる霊的書物を漁って、誰がこう言った、彼がああ言ったとよく知っていても、それはオツムの中の現象に過ぎないのだ。
今回のメッセで語ったが、われわれはゼロクリアする必要がある。フェイスとは何か。義人は視によってでもなく、聴によってもなく・・・、信すなわちフェイスによって生きるとはどういう経験であるか、主よ、教えてください。私たちは何か大いなる勘違いの中に生きていたかもしれません。マトリックスにはまっていたかもしれません。教えてください、と求める必要があると強く感じている。
これからの時代、自分の聖書の知識や御言葉の解き明かしとかいったものに頼るならば、必ず失望に終わるであろう。この意味で、自分が何によって生きているかが明確に表れてしまうのが癒しなのだ。ある人は言う、主の打たれた傷によりわれわれは癒された、といっても神は癒す人と癒さない人があるのだ、と。いや、現代では医学も発達しているから神の癒しはもはや廃れたのだ・・・。では、伺おう。主の打たれた傷によりわれわれは赦された、といっても神は赦す人と赦さない人があるのだ、と彼らは言うのであろうか?
イエスは昔も、今も、永遠に変わらないお方!すべての人を偽りとしても、神を真実とせよ!
Glory be to God!
追記: Pistis,Faithは霊覚というのがイイかもですね。ウォッチマン・ニーのThe Spiritual Manにおいては、霊の機能として良心・直覚・交わりとしています。その統合的作用が霊覚、つまりフェイスです。霊的領域のサブスタンス、リアリティーをこの五感の領域において実体化(Substantiation)するわけです。

牧【師】というのは信徒の期待に応える存在。でも牧【者】の条件は、その期待を超えること。―Dr.ルーク
今わたしは、人に喜ばれようとしているのか、それとも、神に喜ばれようとしているのか。あるいは、人の歓心を買おうと努めているのか。もし、今もなお人の歓心を買おうとしているとすれば、わたしはキリストの僕ではあるまい。-ガラテヤ1:4
わたしたちは神に認められ、福音をゆだねられているからこそ、このように語っています。人に喜ばれるためではなく、わたしたちの心を吟味される神に喜んでいただくためです。-1テサ2:4

全国から22名、コーナーストーンの3名で、25名でした。感謝です。
プライバシーに配慮して加工してあります

誉められるより、卑下される方が幸い。パウロは言っている:
ののしられては優しい言葉をかけている。わたしたちは今に至るまで、この世のちりのように、人間のくずのようにされている。
誉められることは、実に罠なのだ。まず裏があると思った方が良い。 逆に、誉めることも要注意。ソロモンはこう言っている:
あからさまに戒めるのは、ひそかに愛するのにまさる。 ・・・人を責める者は、へつらいを言う者より後に、恵みを得る。
ただし、相手を選ぶ必要がある:
あざける者を責めるな。おそらく、彼はあなたを憎むだろう。知恵のある者を責めよ。そうすれば、彼はあなたを愛するだろう。
というわけで、今回の特別レクはある種の人々にはチャレンジとなるでしょう。特に空理空論の神学などでマインドが凝り固まった業界のセンセたちには・・・。
ちなみに誉めることの災いは前に紹介した無頼の李白がその典型。それがこの詩:
清平調詞其の二 李白
一枝の濃艶露香(つゆこう)を凝らす
雲雨(うんう)巫山(ふざん)枉(ま)げて斷腸
借問(しゃくもん)す漢宮誰か似るを得ん
可憐の飛燕 新粧(しんしょう)に倚(よ)る
中々深い世界があるのだが、彼はこれで宮廷詩人として失脚。楊貴妃を趙飛燕に比して誉めたのだ。なんで?・・・と思った方はこちらで解き明かしてしておりますので、どうぞ(⇒こちら)。
クリスチャンは誉められるより、けなされる方が幸いなんですよ✨ 極私的には優雅な育ちの良い杜甫(詩聖)より、野生的な無頼漢の李白(詩仙)が好きだな~😎
(陰の声:ニッポンキリスト教のボクシたちに違和感を覚えるのは、まさにコレ。互いにヨイショし合って、実にむずむずするのだ)