キリストの充満

エペソ4章12節の役はエクレシアの機能であって身分ではない-ほぼほぼお笑いのニッポンキ業界のセンセイごっこ フェイス

エペソ4章12節の役はエクレシアの機能であって身分ではない-ほぼほぼお笑いのニッポンキ業界のセンセイごっこ

https://www.youtube.com/watch?v=HACyB43mMso ニッポンキ業界ではナントカ会議というのがあって、そこで「牧師を先生と呼ばないように」とかの議題が上がったそうだ。たとえ不快感を覚えてもだとか。もはや冗談は吉本レベル。あるニッポンキ業界の看板どころのFBのウォール…
イエシュアは教団教職制度(ニコライ派)を憎みかつ戦う フェイス

イエシュアは教団教職制度(ニコライ派)を憎みかつ戦う

しかし、わたしたち一人一人に、キリストの賜物のはかりに従って、恵みが与えられています。 そこで、「高い所に昇るとき、捕らわれ人を連れて行き、人々に賜物を分け与えられた」と言われています。「昇った」というのですから、低い所、地上に降りておられたのではないでしょうか。 この降りて来られた方が、すべてのも…
フェイスとは法とひとつにされること-客体と主体は融合する- フェイス

フェイスとは法とひとつにされること-客体と主体は融合する-

もともとアダム(人)はYHWHエロヒムの形(と様の予定だった)に創造された(Gen 1:26)。エバはアダムの成分からビルドアップされたアダムの骨の骨、肉の肉だった(Gen 2:22-23)。両者は同じ成分をシェアするひとつの有機体であり(Gen 2:24)、【すでに】YHWHエロヒムの似姿だったの…
セルフコンシャスからボディコンシャスへ フェイス

セルフコンシャスからボディコンシャスへ

エクレシアと何か? その原意は"ek(=from)+kaleo(=call)"、つまり呼び出された存在である。教会なる訳語はまったく不適。よって私はエクレシアとそのまま称している(時に不本意ながら便宜的に「教会」も使うが・・・)。そしてその定義は 可視的には:コリントにある神の教会、すなわち、わたし…
私たちの交わりとはいのちの流れに浸る経験 フェイス

私たちの交わりとはいのちの流れに浸る経験

早いもので、キャンプからすでに1週間。長年キリスト教なる宗教の中であちこちさ迷い、何に縛られているのか分からないままに不自由を覚えていたが、濃厚なワーシップの中で解放されたとの声をいただいた。私たちを自由にするのはまことに油塗り(anointing)((ニッポンキ業界ではなんでも「油注ぎ」とするが、…
ニュークリーチャーとはYHWHの生命意識共有体 フェイス

ニュークリーチャーとはYHWHの生命意識共有体

聖書は宗教本ではないことはすでに繰り返し、繰り返し強調している。いわゆるキリスト教なるマトリックをエクソダスせよとも。 見よ、このような日が来る、と主は言われる。人々はもう、「イスラエルの人々をエジプトから導き上られた主は生きておられる」と言わず、「イスラエルの子らを、北の国、彼らが追いやられた国々…
ジーザスの金利感覚にみるYHWHエロヒムのエコノミー フェイス

ジーザスの金利感覚にみるYHWHエロヒムのエコノミー

主は預けたカネを怠惰により増やさなかった愚かな僕に対して叱責された- それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。-Matt 25:27 この発想は実に鋭い。私は常々、肉に仕えることができない者は霊にも仕えることができないと言って…
ボディ・コンシャス-ポストモダンに生きるカギ- フェイス

ボディ・コンシャス-ポストモダンに生きるカギ-

個性の尊重とか、価値観の多様性、性的あり方の多様性とかのPC (Political Correctness)において、この指摘にある通り、人々が分断化されて共同体が崩壊し、シェアできる何かが失われている。極私的用語ではカプセル化、佐藤優氏はアトム化と称している。若者は「つながってる」感を求めて、かろ…
YHWHの充満へと満たされる経験 フェイス

YHWHの充満へと満たされる経験

カンコク系の念を込めた祈りを得意とするキョウカイからKFCに来られた方が証しされた。「祈りが変わった」と。いわゆる「アボジー、アボジー」的な念じ込むようなモードから、自然と内側から霊の祈りが立ち上るようになったと。すると主の厚い臨在に包まれている感覚に浸され、何かを求めるというよりは、自分を自分で祝…
ホワット・イズ・エクレシア? フェイス

ホワット・イズ・エクレシア?

キリスト教界には種々の教団や教派があり、これらがみなキリスト教会を名乗っている((これらのモノは人類の歴史において人間が勝手に組織してきた団体に過ぎない。))。いまさらながらだが、キョウカイなる訳はもう手垢が着き過ぎで、エクレシアと言いたいことは前々から書いている。が、改めてエクレシアって何?・・・…
ニュー・スピーシーズとして新しく生まれること フェイス

ニュー・スピーシーズとして新しく生まれること

われわれはいわゆるキリスト教徒ではない。今週のメッセでも語ったが、キリスト教徒であっても、クリスチャンすなわち新しくエロヒムから生み出されたニュークリーチャーではない者たちが当たり前に存在する。聖書は宗教書ではなく、生命現象の書であると何度も繰り返している。新しい生命体として生み出され、新しい種とさ…
エクレシアはキリストの充満かつ増殖である フェイス

エクレシアはキリストの充満かつ増殖である

フェイスとは願うサブスタンス、目に見えないものを現出すること(Heb 11:1)。日本語で"信仰"とするから、トンデモ勘違いが起きる。"信じて仰いだ"のに癒されない、なぜだ! とか。あるいは癒されないのは信仰がないとでも言うのか! とか開き直る。これらの訴えが肉のものであり、ゆえに神に敵対してしまう…
ボディ・コンシャスの覚醒-クライスタイズのカギ- フェイス

ボディ・コンシャスの覚醒-クライスタイズのカギ-

この茂木氏の論はまことに同意。生体のブレインはボディとの相互作用が必要なのだ。 身体性(embodiment)は、結局、学習のインプット・アウトプットの全体のスキームの頑健性(robustness)及び柔軟性を保証する機構になっている。身体性を持たない深層学習は、そのような生物特有の利点を持たない。…
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