二元論

現代脳科学と禅学の共通点から自己とフェイスを論じてみよう-善悪の知識の木からいのちの木へ転機せよ フェイス

現代脳科学と禅学の共通点から自己とフェイスを論じてみよう-善悪の知識の木からいのちの木へ転機せよ

この論考はすでに紹介した自由意志は幻想であるとする大脳科学の論の続きである。 すでに自由意志は幻想であること、しかし検閲により修正が可能であることを紹介したが、この論考もその延長上にあり、大変興味深い。「自己とは何か?」 『意識は本当に現実との相互作用のための記憶システムか? 新しい研究によると、お…
善と悪の二元論を超えた創造主の意思 フェイス

善と悪の二元論を超えた創造主の意思

まことにロマ書にあるとおり- 世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。従って、彼らには弁解の余地がありません。-Rom 1:20 われわれはこの善と悪を超えた意思の中で生かされている。…
聖書を3Dで読むこと-無意味な神学論争に振り回されないために- フェイス

聖書を3Dで読むこと-無意味な神学論争に振り回されないために-

今回のメッセでも指摘しているとおり、神の意志と人の自由意志の相克は無意味であることは、かつて再建主義の富井氏との議論において指摘した。現在、スパムのためにそのBBSを閉鎖しているので、簡単に触れておく。 人が救われるのはその自由意志によるのか、神の選びによるのか。もし神の選びによるのであれば、選ばれ…
信心銘にいわく、至道は唯だ揀択を嫌う フェイス

信心銘にいわく、至道は唯だ揀択を嫌う

信心銘にいわく― 至道(しいどう)は無難なり 唯だ揀択(けんじゃく)を嫌う 纔(わずか)に憎愛無くんば 洞然として明白(めいばく) 人類の苦悩の原点は、善と悪を知る木の実を食したこと。善と悪、生と死、愛と憎と、つねに二つの狭間で葛藤する。これが揀択。道に至るのは揀択から離れること、するとすべては明白…
意識の扱い方―キリスト者と禅者の類似性と相違性 フェイス

意識の扱い方―キリスト者と禅者の類似性と相違性

昨今、ニッポンキ業界でも仏教は聖書の影響があるとか、空海はクリスチャンだったとか言われている。確かに似ている部分もあるが、そもそも仏教は礼拝対象もないし、ブッダ自身が自分を礼拝するなと厳命しているし、葬儀などに関わってはならないとしている。仏教は元々、徹底した認識論なのだ。 たとえば、「色即是空」な…
マインドの場の領域 フェイス

マインドの場の領域

私たちは体、魂、霊からなることは欧米のクリスチャニティでは常識。わがニッポンキリスト教では聖書自体が霊と魂の区別もできていないし、牧師たちも同じ状況。霊と魂の区別ができなければ、聖書を正確に理解することは不可能だ。心や思いなどもきわめて恣意的に訳語を当てはめているだけ。実に困ったものだ。医学や物理学…
主客一体-道元とJill博士 フェイス

主客一体-道元とJill博士

長沙岑禅師にある僧問ふ、いかにしてか山河大地を転じて自己に帰せしめん。師いはく、いかにして自己を山河大地に帰せしめん。いまの道取は、自己のおのづから自己にてある、自己たとひ山河大地といふとも、さらに所帰に罣礙すべきにあらず。-道元『正法眼蔵-渓声山色』 (注:道取=発言;所帰=主客分離;罣礙=妨げ)…
真央ちゃんネタから―信心銘いわく 日記

真央ちゃんネタから―信心銘いわく

2005年に私はこう書いている(http://www.kingdomfellowship.com/blog/index.cgi?no=1300)― 無邪気さの強さ: フィギュアの浅田真央ちゃんは実に強い。プレッシャーもなく、伸び伸びと滑っている。勝とうとしていないし、うまく滑ろうともしない。ただ楽し…
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