信心銘にいわく、至道は唯だ揀択を嫌う

信心銘にいわく―
至道(しいどう)は無難なり
唯だ揀択(けんじゃく)を嫌う
纔(わずか)に憎愛無くんば
洞然として明白(めいばく)

人類の苦悩の原点は、善と悪を知る木の実を食したこと。善と悪、生と死、愛と憎と、つねに二つの狭間で葛藤する。これが揀択。道に至るのは揀択から離れること、するとすべては明白になるのだ。

聖書ではこれを「ひとつ心」という。魂が分裂しない状態だ。

そういうのは、二心のある人で、その歩む道のすべてに安定を欠いた人です。-James 1:8

正確にはこの二心とは魂が分裂していること(dipsuchos)を言う。意識の対象が分かれるのだ。 逆に何かに集中するとき、心は自由に流れ、喜びと平安を味わえるものだ。魂が単一であるとは、主のみに思いを置くこと。するとすべてのことを主が思い計らってくださるのだ。

参考☞意識の扱い方―キリスト者と禅者の類似性と相違性

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