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トップ > 2008年12月03日

本日の一冊

ファイル 631-2.jpg"TIME"誌に面白い記事があった。ハリウッドの中国系アクションスターのジェット・リーが自身の真の召命を見出すまでの人生をレポしている。2002年の『ヒーロー』でアクションスターとして不動の地位を確立したリーは、現在はカメラに背を向けて、フィランソロフィー(慈善事業)にすべてを捧げている。すでに11歳のときにニクソンと会った際、ニクソンが「自分のボディガードを頼むよ」とからかったところ、彼は「僕は個人を守る気はない。10億の中国の民を守るのだ」と真剣に答えたとのエピソードがある。

彼は役者としては世界的にも登りつめたわけだが、その中で何か満たされないものを感じたようだ。34歳のとき中国映画界の頂上に登りつめ、世界へと羽ばたこうとしている時に、「自分は人生を考えるようになった。人々が求めるものは何か。カネか、権力か、名声か。それともTIME誌に記事になることか」と。そして20人以上の仏教の導師にたずねて回り、ついに仏教の真髄を見出した。「人は自分自身のことを人生の優先順位の下位におけばおくほど、ますます幸福になれるということが仏教の教えだ」とリーは言う。かくして彼は先の四川の震災でも大いなる働きをなした。

ファイル 631-1.jpg今読んでいる本に五木寛之の『人間の覚悟』(新潮新書)がある(私はつねに4,5冊を同時進行で読んでいる)。この中で彼は「個人の人生も登りの時期と下りの時期がある。登りの時期は高度成長期の日本であり、それは一種の躁状態だったが、今は社会も壊れ地獄の門が開いている時期であり、欝の時代である。個人の人生も学生期(0-25)、家住期(25-50)、林住期(50-75)、遊行期(75-100)と分ければ、前者の二期は登りの時期、後者二期は下りの時期である。ここで覚悟が必要となる」との主旨を述べている。

そして他力の風に任せることの必要性と、下りの時代には人々に仕えることの重要性を唱えている。古の道元、栄西、法然、親鸞、日蓮などはみな仏教界において登る道を放擲し、比叡山を降りた。彼らはあえて野に下る道を選んだのだ。対して山に残った者たちにはあまり・・・だったのだ。かくして人間の真骨頂は、「下り」において明らかとなると言うわけだ。しかるニッポンキリスト教では上昇志向と言うか、高められたい人々が多いようではあるが・・・。

ちなみに五木氏自身も人生の節目節目で鬱病を患っているようだが、すでに齢70を超えて、依然として人生を追求する気力に敬服する次第。頭の中で彼の博識が空回りしている感じだ。これはかなり辛いだろうなあ、と。しばしば鬱病の人は粘着性が高い。私などはすでに主に任せるのみで、そのような苦悩する気力もあまりないのだ(微笑)。

この二人の思想について、やはり東洋人だなと感じると共に、いわゆる思想や哲学、あるいは宗教と言われるものは、実体にして真理なる方の影なのだ、と再確認する。「真理とは何か」と、イエスを裁いたピラトは、イエスに尋ねたが、自分の裁きに着かれたその方がまさに真理そのものだったのだ。真理とはひとりのパースンであり、いのちの充満なる存在なのだ。その方は究極までに自分を低くされ、自分を放棄され、自分を捨てられ、自分を裂いて、自分を他人のいのちとして提供された。この死ぬことによる贖いと復活による救い(いのちの分け与え)の過程が真理なる方のなされたすべてであったのだ。

かくしてジェット・リーも五木寛之もまさにその方の影を唱え、また実践しているわけだ。『葉隠』に「武士道とは死ぬことと見つけたり」とある。武士は常に死と隣り合わせで生きていた。イエスはまさにその実体だったのだ。五木氏は「日本人はキリスト教の価値観で構成された洋魂を持ち得ず、今は外面の猿真似だけになっている」と指摘している。彼はやはりイエスとキリスト教を同一視してしまっているのだ。かなり聖書も読み込んでいるようだが、キリスト教のフィルターを通して読まれているようだ。そこで「21世紀は一神教の時代ではなく、多神教の時代である」と言われる。しかしそのフィルターを外すならば、イエスこそまことの禅者にして仏教徒であり、まことの武士であり、まことのジェット・リーであり、最も東洋的な生とを死を経たお方と言えるのだ。五木寛之氏の理想的生き方と死に方をされたお方が、実はイエスその人であった。

こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。

りそな銀行の闇

先に紹介した休刊する『月間現代』に「小泉改革とは何だったのか」と題する記事がある。前に紹介した友人の政治学の専門家も最近は小泉関連のメディア報道規制が激しい、と言っている。「反小泉報道」はタブーとなっているのだ。この記事の中でりそな銀行の会計士が自殺した件を詳細に報告しているが、これについて植草氏が記事を書いておられる。彼もりそな銀行の闇を暴く本を出す直前で「痴漢」とされたわけだ。本件では新聞記者がふたり、会計士がひとりいろいろな形で死んでいる。彼の著作『知られざる真実-流刑地にて-』は前に紹介したが、今回の記事はこれよりもさらに突っ込んだ取材がなされている。どうも本件の闇も相当に深そうだ。それに関わるとアブナイとわが友人も言っているのだが・・・。

日銀無制限貸し出し策

貸し渋り解消のため決めたようだ。量的緩和策の解除は時期尚早と指摘したが、そのとおりだった。問題は金融機関には回っても、下々に流れるか否か。金融機関は冷酷なのだ。また国債も30兆を超えるようで、さらに小泉氏が決め地方を崩壊させた公共事業の毎年3%削減策も凍結する動きもあるようだ。これはいいこと。むしろ2兆円をばら撒くよりは、こちらの予算を増額すべきであろう。

先に私も指摘し、森田実氏も指摘しているが、マスコミの公共事業叩きがニッポンの金の回りを悪くしている。競争入札は弱肉強食を助長し、企業間の食い合いで、結局は勝ち組も負け組みも疲弊する。私は前にも談合は悪くないと書いたが、このシステムはきわめて日本的な金の循環手段だったのだ。税金をムダにするなとマスコミが騒ぐほどに、カネの回りが悪くなる。私は麻生氏の公共事業に期待したが、森田実氏も同じ事を指摘している。あのソ連の崩壊を70年代に予言した小室直毅氏も指摘するとおり、経済の原理からして、国がカネを使うしかないのだ(→こちら)。

大衆は常に愚かなもの。小泉氏のMCに乗せられて、郵貯350兆をアメリカに取られ、国内は疲弊の極み、最近ではみのもんたや古館伊知郎に乗せられて、自らの首を絞めると。アメリカの国債もドル暴落ですでに24兆円の含み損が出ているが、政府は売らないと約束したらしい。今のニッポン、アメリカの利益のために政治がなされているのだ。すでにニッポンキリスト教には勝手にして欲しいが、世の中には「お人よしのおめでたいニッポン国民もいい加減に気がつけよ!」と声を大にして言いたい。

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