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トップ > 2009年06月08日

彼は栄え、私は衰える

「最近KFCの集会の様子が変わってきた」と、感想をいただきました。そのとおりですね。私も密かに喜びを覚えているところです。これまでは私のメッセージを聴きに集まる人たちが多かったのですが、今は主に触れ、主から直接聴くことを、それぞれの兄弟姉妹がされているのです。ある弁の立つ人のメッセージにぶら下がる集会のあり方は正常ではありません。事実、パウロの説教はまったく面白くもなかったのです。それで若い兄弟が眠気を催して、二階から転落したほど。昨今の「10分毎に笑いを取る説教」などと比べると、エンターテイメント性においてはるかに劣っていたのです。

私もまだしばらくは語るつもりでおりますが(まだお役御免とはいかないようです)、KFCの集まりの場をお借りして、話をさせていただくと言うスタンスになることでしょう。これはこの数年来言ってきましたが、主にネットでのミニストリーのためです。兄弟姉妹たちはすでに自分たち自身で主の前で、ただ主に責任を負って、歩むことができるようになっていますから。特定の人の影はますます薄くなり、ただ主の存在感だけが濃くなることでしょう。これがエクレシアの成長の兆候なのです。

冤罪の構図

ファイル 890-1.jpg今般の足利冤罪事件を表に出てきた情報だけで見てみると、この犯人とされた菅谷さんのパーソナリティと密接な関係があることが分かる。

昨日『サンプロ』に本人が出ていたが、彼の傾向として、その場限りの話を作り、相手に迎合してしまうようだ。これは彼の兄や自分自身も分かっているようであるが、「小さい時から、人からものを言われると何も言えなくなってしまう。相手の機嫌を損ねることが嫌い」とのこと。彼の弁護士も「捜査官に納得してもらわないといけない、と迎合的に考える傾向がある」と評する。『サンプロ』においては「刑事から暴力的な取調べは受けていない」と言いつつも、別の番組では「髪の毛をつかまれたり、足を蹴られたりした」と主張している。

このような人は他者から拒絶されたりすることを恐れており、それを回避するために、その場限りで、あることないことを話し出す。つじつまが合わなくなると、さらにそれをカバーするために話を作る。かくして自分でも何が真実で、何が嘘なのか分からなくなるのだ。聴いている側からすると、嘘をついているからだ、と思えるのも当然なのだ。実は私が付き合っているホームレスのオッチャンたちにはこの手の人がけっこう多い。彼らの語ることをそのまま信じると、実はとんでもない嘘だったことが分かるのだ。学習遅滞や発達障害などを抱えている場合も多く、これらはいわゆる道徳や教育で矯正できるものではない。

菅谷さんの場合もおそらく当時の担当刑事は彼のつじつまの合わない話を、嘘をついている兆候としてとらえ、さらに当時としては画期的な手法であったDNA鑑定結果に完全に頼り切ってしまったのだろう。事実、当時の担当弁護士や家族すらも菅谷さんの自白を信じていたのだった。裁判もあくまでも情状酌量の線で模索していたのだ。かくして彼が否認に転じたときには彼らも驚天動地。弁護士すら「嘘を言うならば、弁護を降りる」とまで憤ったのだ。

しかし問題は、代わった弁護士が手紙の封筒に菅谷さんの髪の毛を密かに入れさせて、それを鑑定したところ別人の可能性が出たため、宇都宮地裁に再鑑定を申し入れた時、当時の担当女性判事がそれを無視して、7年以上も放置したことだ。この間に事件は公訴時効を迎えた。確かにその弁護士は法律的には適法でない方法で髪の毛を採取したわけだが、しかし、地裁側の典型的な官僚的判断と対応と言わざるを得ない。もちろんそれは最高裁で認められた"事実"をひっくり返すリスクを有しており、司法の権威・体面を守るためでもあったろう。かくして一人の人のもっとも実りが得られるべき人生の時期が浪費された。

この冤罪事案はきわめて個人的な病理と社会制度の間のミスマッチによって生じた悲劇と言える。かの痴漢冤罪の防衛医大の名倉教授ですら、逮捕当時は自殺を試みたのだ(この場合はDNA鑑定はなされなかった)。冤罪が強く推測される植草氏も同様に自殺を試みている。逮捕されること自体がすでに一般的社会人にとっては人生の終わりを意味する。その混乱と絶望の中から立ち上がることは普通の人にとってもきわめて厳しい。まして菅谷さんにとってをや、である。

そしてすでに裁判員制度が始まっているわけだが、法廷でもいわゆるパフォーマンス主義的な審理がなされる。ビデオやプロジェクターを用いて、その内容を素人でも分かり易くを心がけ、それがあたかも真実であるかのように"上映"される。あるいは裁判員の感情に訴える弁論など・・・。これはちょうどテレビのワイドーショーのようなものである。かくして例えば、松本サリン事件の際、河野さんがあたかもマッドサイエンティストで、その狂気的実験に失敗しての毒ガス発生だったかのような構図が私たちの頭に焼きこまれたのだった。

今後の刑事裁判においてはみのもんたや古館一郎的なキャラの立つ役者としての検事や弁護士が成果を挙げるようになるのかも知れない。ニッポンキリスト教においてもヴィオロン氏が警鐘を鳴らしておられるとおり、閉鎖社会におけるヒステリー的検疫・粛清の嵐が吹き荒れつつあるが(このギョウカイ自体が病んでおり、個々の現象はその症候群に過ぎない)、一方で救世軍山谷少佐が提言していることに反して、ニッポン社会も同様に、流れに乗る顔色伺いと思考停止による管理社会となりそうな寒い予感がしている。

追記:人は知・情・意の間に違和感-不協和-を生じたとき、事の真実とは無関係に、その不協和を最小にしようとして、自分自身の内的真実を変える習性を持つ。これを「認知的不協和最小化の法則」と呼ぶ。身に覚えのないことで逮捕されることなどは、もっとも大きな不協和を生じるが、ここである人はあくまでも否認を貫けるが、ある人は逮捕されたという事実自体に合わせて、不協和を最小にするために自分自身の内的事実を変えるのだ。これが偽りの自白のメカニズムである。やってないなら堂々としているはずだ、などは人間を知らない者の発言に過ぎない。まあ、それができるのはゴルゴ13くらいであろう。

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