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荒野に宴をもうけ

ファイル 4064-1.png


ウォッチマン・ニーの黙想


 なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか・・・あなたたちもぶどう園に行きなさい-マタイ20:6f

 ここにある「何もしないで(idle)」と言う単語は、ギリシャ語でargosですが、パウロが説く罪からの解放を実によく説明してくれるものです。なぜなら、この単語はローマ書6章6節にある十字架によって「罪の体が滅ぼされて」、正確には「無効とされて」あるいは「機能しない」と訳された単語の語根であるからです。罪(単数形のSin)は、私たちの古い主人だったのですが、依然として存在しています。しかしキリストにあってその主人に仕えていた奴隷は十字架において死に渡され、罪から解かれて、その肢体は罪に対しては失業状態とされたのです。ギャンブラーの手は失業しました。詐欺師の舌もまた失業しました。そしてこれらの肢体は今や、「神に対する義の武器」として用いられるのです。これらの状況に置かれるためには、主の質問に次のように答える必要があります、「なぜなら誰も雇ってくれないからです」と。そして新たに、栄光の報酬をくださる主によって雇われる必要があるのです。「あなたたちもぶどう園に行きなさい。何でも必要な権利をわたしは与えます」。

□注:"idle"でいることは幸いなのです。誰に雇われるか、キリスト教や牧師や教団や神学と言ったものに雇われることは災いです。

CLIP:哀愁のカサブランカ

郷ひろみの話しついでにYoutubeを眺めていたら、この曲が出てきた。これは私のカラオケの定番でもあるが、名曲と思っている*1。かつてのあの人を思い出すのかもしれない・・・。

*1:ゲーテの子孫Bertie Higginsの原曲はハンフリー・ボガードとイングリッド・バーグマンの『カサブランカ』を歌っている。郷バージョンはちょっと内容が軽くなっているが・・・。

2014年のチャレンジ2

ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。-Matt 18:20

ここの「において」のギリシャ語の単語は"eis"。普通、英語では"into,unto"と訳される。そしてこの小さな前置詞が実に重要なのだ。私たちは誰の名にintoして集まるのか?名とその実質は分離不可能だから。この名を誤ると主ご自身不在の集まりと化す。その時、先に書いたとおり、『パーパス・ドリブン』だの、ドラッガーだの、小賢しい人間の手の業が侵入するのだ。終末に生きる私たちが地上の歩みを進める上で、この点、きわめて重要にして致命的なものとなるだろう。老子にいわく-

企(つまだ)つ者は立たず
跨(また)ぐ者は行かず
自ら見(しめ)す者は明らかならず
自ら是とする者は彰(あらわ)れず
自ら伐(ほこ)る者は功なし
自ら矜(ほこ)る者は長ぜず-老子二十四章 

かくして今週のニーの黙想にあるとおり"idle(無為)"でいること。自分が用いられているとか、神の業に預かっているとか、自分では何も知らないことは幸いなのだ。

無為を為し、無事を事とし、無味を味わう-老子第六十三章

それは真の道(タオ)であるお方の業なのだ。

神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません
地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実がはいります。実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです。-Mark 4:29-29

かくして兄弟姉妹、ブラザー・ローレンスの言う「聖なる怠惰」を楽しもうではないか。

2014年のチャレンジ

今朝は実に寒々しい空気の中、キーーンとくる刺激を受けてきた。生きてる実感。もう正月も終わるが、昨晩はちょっとした隠れ家的な店で和食とワインを楽しんだ。場所はヒ☆ミ☆ツ。で、すでに書いたとおり、今年はいろいろチャレンジするつもりであるが、もうひとつ付け加えた。

それは食の追及。食べることと信仰は密接に関係している。人類は堕落以前は草食だったが、堕落後は肉食が赦された。それはいのちをつなぐためにはいのちの犠牲が必要であることの象徴。つまりキリストの血の贖いの型なのだ。同時にイエスは自分はパンであると、また肉であると宣言された。その血潮によりまことの植物系と動物系の食をわれわれは得たのだ。かくして食べることによりいのちの信仰はつながれる。決して教団組織や神学の勉強などによるものではない。栄養学を知らずとも健全な食品を食べることにより健康は保たれるのだ。現代のキリスト教はこれが逆転している。栄養学の知識はたっぷり詰め込んでも、食べてないので霊的に痩せているのだ*1。体脂肪を蓄えるのはよろしくないが、霊脂肪はたっぷり蓄えたい。これからの霊的飢饉に備えるためにも*2

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・・・と前ふりが長くなったが、何をしたいか。そう、ミシュランガイドの店を巡ること。この本、眺めているだけでわくわくする。このBlogに書いている部分だけを読むと、さも私が六本木で贅沢三昧かのように見えるであろうが、普段の私の食事は実に質素なものだ。というか、あまり食べない。もちろん筋肉の養成のためにプロテイン中心であり、炭水化物系は極力食べない。夕食のご飯などは小さな茶碗に半分程度だ。老化はAGEs(後期糖化生成物)の生成によると最近言われているが、これは糖の過剰摂取、運動不足、喫煙、ジャンクフードなどで促進される。さらに血糖値を急激に上昇させる食品はすい臓などに負荷をかけて、糖尿病や血管性疾患を生むとされる。この時に指標となるのがGI値(グリセミック指数)。要するにブドウ糖と比較してどの程度血糖値を上げるかの指標だが、これが高いものは老化を促進する。この辺に興味をお持ちの方は、前にも紹介したがこの本をどうぞ-

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この写真の著者は50歳だ。確かに若い。ちなみにわが永遠のライバル郷ひろみが58歳にして双子を授かったとか。いや、たいしたものだ。西城秀樹や沢田研二の悲惨な姿と比べると実に若い。これで再来年還暦*3。(→弾願GROOVE

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要するに意識の問題、モチベーションの問題なのだ。私も若い子たちを相手にしている手前、若さは常にキープしたいところ。腹が出て、口と体臭が臭う、いわゆる「おじさん」は嫌われる*4。実は30代前半の私ははっきり言って車だん吉状態。写真を見せてもいいのだが、あまりにも××なので、イメージを崩さないためにやめておく次第。が、ある時、ある件で一念発起。それからはずっと30代のボディをキープしている(と勝手に思っている・・・)。

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そんなわけで、いつもは節制、食べる時には思いっきり食べる。このメリハリを楽しみたいのだ。人生、つまらんことやビョウキの人たちと関わると無駄にする。これはニッポンキリスト教と意図に反して関わらされて実によく分かった。このギョウカイ、精神科病棟とあまり大差がない。今、あらゆる柵から解かれて、さすがに郷ひろみのように一から子供を作ることはできないが*5、残された時間と資源を十分に用いて地上の生を満喫したいのだ。まことに曹操の詠うが如しだ-

酒に対して当(まさ)に歌うべし
人生幾何(いくばく)ぞ
譬(たと)えば朝露の如(ごと)し
去る日は苦(はなは)だ多し
慨(がい)して当に以(もっ)て慷(こう)すべし
幽思(ゆうし)忘れ難(がた)し
何を以てか憂いを解かん
唯(ただ)杜康(とこう)有るのみ

*1:と言うよりは奇形が多発している。
*2:特に御言葉の飢饉はすでに始まっている。例の『パーパス・ドリブン』だの、経営の神様ドラッカーの手法による教会の運営とか、ナンセンス極まりないものが蔓延りつつあるのだ。
*3:従来の還暦のイメージは変える必要があると思う次第。人生の振り出しに戻ることであり、ジジイ・ババアの記念日ではないのだ、絶対
*4:と言うよりそもそも相手にされない。彼らにとっては人生の背景みたいなものなのだ。
*5:生物的には十分可能なのだが・・・

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