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日々キリストにありて

ファイル 4715-1.jpg


ニール・アンダーソンによる黙想


 だれでも神の御霊に導かれる者たちは、神の子である(ローマ8:14)。

 私の人生において、事の達成よりも関係性が優先されるべきことに焦点を置くようになった重要な出来事がふたつあります。ミニストリーに召される前、私はアポロ計画の航空エンジニアとして働いていました。私は月着陸船が月面に降り立ったその日を決して忘れません。「ニール・アームストロング、月に降り立つ」というヘッドラインがミネアポリス・スター紙の一面を飾りました。私はその計画の一端を担った者として誇りを感じています。
 しかし、実際的に重大なニュースが7ヶ月後に三面記事の7ページに報道されました:「ハイジ・ジョ・アンダーソン、ニール・アンダーソン夫妻に誕生。ノースウエスタン病院、1969年3月12日」と。これはあなたにとっては大きなニュースとは響かないでしょうが、彼女の母親と私にとってはきわめて大きいニュースです。ハイジは私の書斎を専有し、冷蔵庫のひとつの棚をすべて自分のものとしたのです。彼女は私たちの睡眠のパターンを変え、社会的活動のカレンダーを制限しました。しかし、彼女は私たちにとって、かかえ、抱きしめ、そしてケアすべき私たちのための存在でした。
 神は月を目指すことをどのようにケアされるでしょうか?それは外側でなされる行為です。ある者たちがいつか登場して、さらに上手に、素早く、高度に、それを達成するでしょう。神がケアされる対象はハイジ・ジョ・アンダーソンのような小さい人々です。なぜなら彼らは神と永遠に共にいるからです。
 私の人生で次の重要な出来事は、最初の博士号を取得したことです。しかしそれは私の人生でももっとも面目を失う日になりました。天からの賞賛は何もなく、小羊の書にある私の名前に星印(※)が付けられる事ほどのものでもないと感じたのです。その日以前から私は神の子であり、その後も私は神の子であり続けるのです。
 しかし罪人が悔い改めるとき、天で何が起きるしょうか?賛美です!なぜ?それは神との関係は永遠のものであり、地上の達成は一時的なものであるからです。一時的なもののために永遠のものを犠牲にすべきでしょうか?人間的な達成のために個人的かつ霊的な関係を無視したことはないでしょうか?つねに関係性は一時の達成よりも最優先されるべきなのです。

 主よ、私のスケジュールの忙しさと所有物の散乱の中で、今日、関係性を大切にし、養うことができますように。

TODAY'S CELEBRATION 【Feb 01, 2015】

UPしました。

●タイトル:マインドのメタモルフォーゼ
●聖書箇所:ローマ12:1-2;使徒10:38;2コリント5:17;2コリント10:5など

ノー・エクスキューズ

「・・・ただ、もし、おできになるものなら、私たちをあわれんで、お助けください。」
するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、なんでもできるのです。」
するとすぐに、その子の父は叫んで言った。「信じます。不信仰な私をお助けください。」-Mark 9:22-24

イエスは明確に言われた:all things are possible to the one that is believing.(YLT)

これをどう受け取るのか。いろいろ、あれこれ、それぞれ、これまでコンフォームされた思い(mind)の形に従って、コメントあるいは注釈をつけるだろう。事実、講解書にはついている。あるいは軽くスルーしておく手もある。が、ここで、この父親はいっさい弁明や注釈をしていない。ただ、叫んだ、不信仰な私を助けてくれ!と。するとイエスはレーマを発し、子供は解放された。

ペテロもイエスが湖面を歩くのを見て、単純に、私も・・・と願い出ると、主はその願いに答えて、「来なさい」とレーマを発せられた。すると単なる人であるペテロも水面を歩いたのだ。

この二つの場面で共通することは、

 ①イエスに率直に求める
 ②イエスが言葉(レーマ)を発する
 ③信仰が息吹かれ、結果を生む

言い訳や自己弁護、自分の思いに合致させる操作などをするとき、信仰はストップする。なぜなら主の言葉が発せられないからだ。信じられないときは自分の何かを保つために解釈や結論を出すことなく、今の私には信じられません、あわれんでください、と申し上げることが最善なのだ。パリサイ人たちは自分の何かを保つためにイエスのアイデンティティーと業を否定した。まことに神の国は幼子のものだ。

追記:信仰は聞くことから、聞くことは神のことば(レーマ)によるとあるが、この点についてはDr.Kさんが実に重要な指摘をされている。

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