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Dr.Lukeの一言映画評

朝のジョッギング、午前はプールとサウナ、午後は映画の巡航パターン。

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映画はウッディ・アレンの監督・自演作品『ローマでアモーレ』。

旅行中に婚約した娘を訪ね、ローマにやってきた元オペラ演出家のジェリーは、娘の交際相手の父親の隠れた才能を見出す。田舎育ちの新婚夫婦のアントニオとミリーがローマに上京するが、早々にミリーは迷子になり、アントニオもトラブルに巻き込まれる。アメリカ人建築家ジョンは若い頃暮らしていたローマを散策中、建築家志望の青年ジャックと出会う。平凡なサラリーマンのレオポルドだが、ある日一躍有名人になり、マスコミに追いかけ回されるハメに。

アレンらしいコメディかつラブストーリー。シャワーの中だけで天才オペラ歌手になれる男を売り出そうとか、ごくフツウの冴えない男がなぜか有名人になり、マスコミに追われ、美女に囲まれると一体どうなるのか、いささかのナンセンスな笑いを楽しめる作品。ローマの名所も楽しめる。ちなみに観たい作品はいくつかあったのだが、なんといってもペネロペ・クロスが出演していることで決定したのだった。加えて、アレックス・ボールドウィンが実にシブイ。こんな感じで年齢を重ねたいものだ。

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当たり前の・何気ない・普通の一日がとっても幸せに感じられる昨今ではある。

*   *   *

似て非なるもの、そう、漢語と日本語。漢詩を練っていると、日本語的思考による単語がはたして漢語なのか、日本語なのか、ふと途方に暮れてしまうのだ。いわゆる日本漢詩には和習あるいは和臭と言われる要素がどうしても入り込む。まあ、英語でもJapalishがあるように、だ。そこで気になっていたこのテーマについての本を探していたが、ちょうどピッタシのものを発見。

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漢語からみえる世界と世間――日本語と中国語はどこでずれるか』。母国語以外の原語では、理屈は理解できても、感覚が伴わないのだ。『日本人の英語』で有名なマーク・ピータセン氏が挙げている例として、「昨日の夜、裏庭で鶏肉を食べたんだ」と言うべくして、"Last night, I ate a chicken in the backyard."がある。これを理屈で読むと、意味としては理解できるものの、ネイティヴからすると、かなり不気味な光景を思い浮かべてしまうのだ。つまり、鶏を捕まえて、首を絞めて、血を滴らせつつ"丸ごと"食っている場面が。「鶏肉を食べた」とするならば、"a"は不要。この"a"からネイティヴはかなりvividな"丸ごと"の感覚を得るわけだ。かくしてこのようなことは漢詩でも言える。私も詩語辞典と漢和辞典で確認はするのだが、感覚的にはまだ実感が湧かない。・・・というわけで、根が凝り性なのでハマるとけっこう突っ込む次第。漢詩はとにかく数学的に面白いが、さらにその一歩先に入り込みたいのだ。

*  *  *

映画と言えば、かつての『エネミー・オブ・アメリカ』や最近の『イーグル・アイ』では市民が当局によって監視されている。プライバシー保護を叫ぶほどに、実はすでにプライバシーはないのだと思うべきなのだ。"愛"を叫ぶ者には愛がなく、"正義"を叫ぶ者に正義はない。これはニッポンキリスト教を見れば分かること。で、今回、米NSAのプリズム・プログラムによる個人の監視システムが暴露された。昔からエシュロンなどはよく噂されていたが、なんと映画のとおりだったのだ。その件に対して、オバマが実に冴えない擁護論(イイワケ)を展開している。お暇な方は御付き合い下さい:

Dr.Lukeの一言映画評

連休の中日、プールは休館日。午後はいつものとおり、映画。作品は『L.A.ギャングストーリー』。きわめて古典的ギャング対正義の戦いストーリー。

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1949年、ロサンゼルス。NYブルックリン生まれのギャングのボス、ミッキー・コーエンは、ドラッグ、銃器取引、売春などで得た金で街を牛耳っていた。手下たちだけでなく、警察や政治家までも意のままに操り、自らを“神”と豪語するコーエン。そんな中、街の平和を取り戻すべくロス市警のジョン・オマラ巡査部長とジェリー・ウーターズ巡査部長率いるL.A.市警のはみ出し者たちによる、たった6人の極秘チームが結成され、身分を隠し闇社会に戦いを挑む。

闇社会に対しては法治国家の論理は通じないとばかり、力に対しては力で対抗。LAにおける実話とかで、ヒーローがやや間抜けな場面もあり、確かにリアリティがある。まあ、所詮この世はサタンの配下にあるわけで、"正義"なるものが逆に社会を委縮させることは民主党でさんざん経験したはず*1。ニッポンキリスト教と民主党が同じ体臭を醸していることは何度も指摘したが、妬み・嫉妬の霊とビョウキが蔓延しているニッポン・キリスト教なるものが蔓延ればこの国はオワル。その予行演習が民主党だったのだ。

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しかし、最近、とみに感じるのはどこに行っても人出のすごいこと。先日の江ノ島もしかり。昨晩ファミリーで会食したVOLKSしかり。チネチッタも、ラゾーナも人、人、人。何か85年当時くらいのバブル前夜の雰囲気なのだ。経済は心理学と前から言っている。大衆の心を緩めること。少なくともアベノミクスはここまではうまく回っている。持たざる者よ、妬むことなかれ。カネは天下の回りモノ。持つ者がさらに潤ってリッチになれば、そのおこぼれが回るのだから。改めてバブルの夢よ、ふたたび、だ。

*1:曽野綾子氏は別に好きではないが、彼女に言わせると『正義は胡乱』、彼女の本『悪と不純の楽しさ』の紹介文が目を引いた。まことに同意だ。

平等の名のもとに能力の差に目をつむることが、果して本当の正義なのだろうか?男女の能力の差、人種の能力の差を真摯に見つめ、ときにその違いを認めることこそ本当の「優しさ」なのではないだろうか?自称「ヒューマニスト」が横行する世の中の、何と息苦しく薄っぺらなことか!そんな世の中をちょっと「ワル」になって見つめれば、真実が見えてくる。

Dr.Lukeの一言映画評

朝のジョッギング、午前は漢詩の想を練り、プールとサウナ。午後はランチにしゃぶしゃぶ食べ放題(エキササイズすると肉が食いたくなるのだ)。そして映画の巡航モード。作品はシュワルツネガーの『ラストスタンド』。

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ストーリーはのどかだった自分の街に乗り込んでくる凶悪脱獄犯を、その保安官が人生の誇りにかけて捕縛すると言う、やや西部劇的なもの。シュワちゃんが老体をおして大活躍・・・。しかし昨日のクラス会の写真と言い、身体の経年変化は如何ともし難いもの。私以外にも、誰か分からんと訴えたT君のメール、「歳取るのは怖いわ」と。なるほど・・・。まあ、みんな苦労して偉くなったのだ。私などはほとんど苦労はしていない。気分はいまだに学生気分。好き勝手に生きている。されど、それなりにメンテしないとこのボディは言うことを聞いてくれない。かくしてやけにシュワちゃんに自分を投影してしまった作品ではあった。

ちなみにこれがわが愛読書・・・

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Dr.Lukeの一言映画評

午前はプールとサウナ。午後は映画の巡航モード。作品はスピルバーグの『リンカーン』。

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南北戦争が膠着していた1865年、再選を果たしたリンカーンは奴隷解放の修正憲法法案を通過させようとする。その裏舞台の政治工作を描くのだが、リンカーン自身の妻や息子との確執という家族力学をも描いている。人類の崇高な目的を達すると言うよりは、かなり家族の問題が背景にあったことが分かる。

しかし、なぜこの時期にリンカーンなのだろうか?アメリカは共和国としての体制が綻びを見せつつあり、中には連邦政府からの離脱を宣言する動きもある。ボストンやテキサスなどの意味不明な爆発事件などは監視社会への動きを加速する。否、すでにアメリカは専制国家と言ってもよいのだ。私は以前から二重構造であると指摘しているが、表向き「自由と平等」を標榜するほどに、実は実態はそれと真逆であることを証明しているのだ。いずれマーシャルローなどの施行も予測される現在、あえてスピルバーグは何を訴えたかったのだろう。穿った見方をすれば、人類はみな平等にして兄弟、宗教もひとつ、差別や戦争のない世界を・・・的なスタンスなのだろうか。あのおフランシスさまはすでにOWR(One World Religion)への布石を打っているし、いずれNWO(New World Order)も到来する。そのための大義妙分を与えるためなのかも知れない。

*  *  *

寒い春の日、しのつく雨が冷たい・・・・七言絶句・仄起式で

Dr.Lukeの一言映画評

実は昨日も観ている。あの『マトリックス』と同じ作者による『クラウドアトラス』。

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600年に渡る壮大な時間スケールの中で繰り返される同じような階層化された事象。時間軸上を行ったり来たりで頭が混乱するが、何気に輪廻思想かつニューエイジのノリ。人間の霊魂の不滅性を描いているようではある。が、花粉症薬でボーっと機能停止している頭にはちょっとツライ。

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で、本日は二宮クンの『プラチナデータ』。全国民のDNAデータ・バンクを作る天才科学者。彼にとっての人間とはATCGの塩基配列、すなわちDNAのみ。人格もすべてDNAで決定されるとの信念の塊。ところがある時、犯罪者のDNAを分析してみると、なんとそれは自分のものだった。自分が犯罪を???警察に追われつつその謎に挑む彼・・・実は彼は人格を二つ持っていたのだ。かくして彼のDNA信仰は揺るがされる。そして明らかになる驚愕の真実と悲劇的最期・・・。

何故にDNAですべては決定されている一つの肉体の中にふたつの人格が存在するのか?要するに私たちの魂と肉体の一部で大脳との関係は?人間の人格も運命もすべてDNAで決定するならば(確定論)、人間は何とも不条理なもの。自由意志(偶然論)の働く隙はないのか?自分で自分を造り上げることはできないのか?前にハードコアディスカッションでも取り扱ったが、カルバンVsアルミニウスの論争のごときテーマだ。ま、低級な神学論争にはかかわりたくはないが・・・。

この肉体・魂・霊の関係についてはこちらを参考にしてほしいが、ちょうど電気屋さんが面白い記事をものしておられる。

体 魂 霊の微妙な関係

いわゆるニッポンキリスト教徒が混乱と狂気に陥り、「クルシチャン」化して自己憐憫と妬み・恨みの霊を発散させるに至る原因は、すべてこの魂と霊の混同にあるのだ。この切り分けができない人々が自作自演的に自滅の道をたどる(2Pet 3:15)。

それは、私たちの愛する兄弟パウロも、その与えられた知恵に従って、あなたがたに書き送ったとおりです。その中で、ほかのすべての手紙でもそうなのですが、このことについて語っています。その手紙の中には理解しにくいところもあります。無知な、心の定まらない人たちは、聖書の他の個所のばあいもそうするのですが、それらの手紙を曲解し、自分自身に滅びを招いています。-2Pet 3:15-16

「ひとつ所にふたつは立たず」。これは『三国志』でもよく言われたセリフである。曹操は他者を押しのけて己を主(あるじ)とし、劉備は自らを退けて相手を主とする。ではクリスチャンの道は?・・・いつやるか?今でしょ!・・・ご紹介しておきます。

この賜物について話すには、人の知恵に教えられたことばを用いず、霊に教えられたことばを用います。その霊のことばをもって霊のことを解くのです。生まれながらの(Gk.魂の)人間は、神の霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、霊のことは霊によってわきまえるものだからです。-1Cor 2:13-14

参考

Dr.Lukeの一言映画評

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宮本輝原作の『草原の椅子』。人生を振り返るべき年代50台、自分の人生は何だったのか、そんな基本的疑問を提起する純文学的物語。

バツイチで、年頃の娘と二人暮らしの遠間憲太郎に、50歳を過ぎて三つの運命的な出会いが訪れる。ひとつは、取引先の社長・富樫に懇願され、いい年になってから親友として付き合い始めたこと。もうひとつは、ふと目に留まった独り身の女性貴志子の、憂いを湛えた容貌に惹かれ、淡い想いを寄せるようになったこと。3つめは、親に見離された幼子、圭輔の面倒をみるようになったこと。憲太郎、富樫、貴志子の3人は、いつしか同じ時間を過ごすようになり、交流を深めていく中で、圭輔の将来を案じ始める。年を重ねながら心のどこかに傷を抱えてきた大人たち。そして、幼いにも関わらず深く傷ついてしまった少年。めぐり逢った4人は、異国への旅立ちを決意する。

なかなか大人のしっとりとした味わいの作品。佐藤浩一の重厚な、しかしどこかユーモラスな演技が光った。人生は出会いと言われるが、まことにその不思議な運命的出会いによる人生の転機。三人の大人の出会いとその後の展開が実にシリアスにして軽妙に描かれている。

それにしても「愛こそすべて、すべての人は神の子だぁ」と叫び、生活は破たんし、圭輔を捨てる父、そして3.11の被災から絆がすべてと涙しつつ、やはり子供を捨てる母。いや、これはどこぞによくあるパターンではないか?その常識からかい離した自己内世界に生きる者の「自然な自明性の喪失」による不気味さは(ニッポン)キリスト教の臭いだ*1

ここでも、やはり、自分の来し方を振り返ってみて、「アム・アイ・ハッピー?」なる質問にどう答えるかが問われるのだ。自分が真にハッピーであるかどうか、それは自分の心がもっともよく知っている*2。ハッピーな人はあえて自分がハッピーとは叫ぶ必要はないのだ*3。そこで、新学期のキャッチコピーを思いついた、「キミたち、じわっとハッピーしてる!?」。大人のあなたに薦める秀作。

*1:実際に子供を捨てずとも、子供の心を捨て子同様にし、子供をスポイルするのがキリスト教的教育。いつも言うが、子供はCSなどではなくエジプト(世)で育てるべきなのだ。モーセ、ヨセフ、ダビデなど、みな世で訓練されたのだ。良き地(宗教)には親の資産を食いつぶす愚かな兄たちがいたのだ。
*2:人は偽れても、自分の心を対話する時、偽ることができない質問なのだ。
*3:あえて何かを叫ぶとき、その欠如を感知するのだ。満たされている人はただ満たされているのだから。

Dr.Lukeの一言映画評

午前はプールとサウナ、午後は映画の巡航モード。タダ券が溜まっていたので作品は、『ダイハード・ラストデイ』。

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世界一不運な男ジョン・マクレーンがCIA工作員となっている息子ジャックと共にモスクワで大活躍。チェルノブイリの事故の裏には陰謀があったとして、その経緯に巻き込まれるのだ。いや、このアクションシーンがすごいのなんの。あの『西部警察』も真っ青。プールとサウナで身体がほぐれているので、一部夢うつつで楽しんだ。

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で、本日仕込んだCDは、一枚目が"BLUE NOTE NOW"。2009年に70周年を迎えたBlue Noteの往年の代表的ナンバーをオムニバスで収録。ブルーのジャケが新鮮。

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二枚目はHalie Lorenの初Live アルバム、"HALIE LOREN Stage"。視聴コーナーで耳にした彼女のヴォイスに一発ではまった。初々しいがディープで、ややスモーキー。調べるとアルバムもかなり出ている。Diana Krall的にハマルかもだ。

Dr.Lukeの一言映画評

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ジェロニモことビン・ラディンを抹殺するための特殊部隊による『ゼロ・ダーク・サーティ』作戦に至るまでには、若き女性CIA情報分析官マヤの狂気を帯びた追跡があった。2001年9月11日以降、膨大な費用を投入しても居所不明であったビン・ラディンを追いつめたのは、うら若き美女だった。うーん、このコントラストが面白い。

『ハート・ロッカー』でアカデミー賞監督となったキャスリン・ビグローの最新作は、その前作同様アメリカが今まさに直面している戦争を描いたものだ。9.11テロから10年、人々のビンラディンに対する記憶も薄れようとしている2011年5月1日、アメリカのネイビーシールズがビンラディンの隠れ家を急襲し、殺害する事件が起きた。そしてその裏に、ひとりのCIA女性分析官の功績が大きかったことが明らかになる。本作はその分析官マヤがパキスタンに赴任してからの8年間を追い、彼女が隠れ家を探し出す過程をリアルに描いたものだ。映画のハイライトとなるビンラディンの隠れ家への急襲シーンは、まるでドキュメンタリーを観ているかのように再現されている。主演のジェシカ・チャステインは、世界の映画賞を受賞した納得の熱演を見せ、第85回アカデミー主演女優賞にもノミネートされた。

作りは派手なものではなく、ドキュメンタリータッチで淡々と描いている。いわゆる特殊部隊のアクションを期待すると失望するかもだ。しかしシナリオはすべて当事者たちの証言に基づいて構成されているだけあって、リアリティは迫ってくる。

まあ、「9.11」がそのものがアルカイダによるとは、この時期多くの人々は思っていないだろうし、果たしてこの作戦で消去された人物がビン・ラディンだったかも不明だ。映画では最後に、死体袋の中の人物をマヤ自身が確認する場面があるが、何気に「?」を覚えてしまった次第。アメリカは湾岸戦争でも若き美女兵士を捕虜にしたててヤラセをしたわけで、どうも素直にはなれない自分と直面してしまうのだった。そもそもこの情報分析官がゴッツイおやじだったらこんな映画は作られなかったろうし、あえて若き美女と言う点が・・・。あああ、でも、これでやめておこう

Dr.Lukeの一言映画評

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いくつか観たいものがあるが、本日は『脳男』。生田斗真が美しきサイコパス的人物を演じている。感情がない人間。私たちの魂は知・情・意からなるわけだが、この三つの機能の統合が失われるといわゆる分裂病。今回の"鈴木一郎"は感情が欠落しており、あたかもプログラミングするかのように、状況に応じた感情的反応を学習していくのだ。しかし知性はきわめて高く見た物をただちに記憶する。ちょうど自閉症のサヴァン症候群のような能力を有する。ゆえに彼を最初に診た医師は、彼を「能男」と命名した。そして彼は自らの価値観に従って悪人を処刑していく。彼を診る精神科医も実は過去にトラウマを抱えている。そのトラウマを乗り越えるために仕事をしている。が、その仕事は"鈴木一郎"によって崩壊させられる。・・・なかなか現代的な設定だ。映像も十分に怖い。

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似たモチーフの作品として、『ストロベリーナイト』がある。これも一週間前に観ているのだが、書き忘れていた。ドラマのDVDも見つけ、一通り見たところだ。なるほどこれで登場人物などの関係や裏が分かり、映画も視界が広がって楽しめる。この女刑事姫川玲子が高校時代にレイプされると言うトラウマを抱えている。その時に流した自分の血を自ら贖い、そのトラウマを乗り越えるために、ほとんどすべてを投げ打って仕事に没頭するのだ。女の勘が彼女を導くが、時に大いなるミスをする。彼女と部下の菊田刑事のやや酸っぱい恋愛関係も見どころのひとつ。

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ついでにDVD作品の『罪と罰-A Falsified Romance』。そう、文豪ドストエスキーの原作を現代的にアレンジしたもの。これも社会の悪に呻吟する純粋かつ正義感を持て余す若者が犯罪者に自ら天誅を下し、自らが犯罪者に堕ちる。彼の座右の銘は「崇高な目的のためならば、流した血は贖われる」。倒錯した正義は狂気を生む。ただし、これは現在進行形にて、評はまた後程・・・。

これらの作品の共通項は、人間が人間を裁くことの闇。主イエスは「裁くな、裁かれないために。人は自分の秤で測り返される」と言われたが、まことに人が人を裁くことは、その物差しをもって自らを神の前に置いてしまうことを意味する。神は御自身の義以前に、まずその本人の物差しを突きつけるのだ。彼は自らを自分で裁く。そして憐れみを示さない者は憐れみを受けることなく裁かれる。何と言う恐るべきこと。人に裁かれていることの方が幸いだ。また流された血を人間が贖おうとすることは主イエスの十字架と御血に対する冒涜。この意味で現在のニッポンキリスト教の狂気の入った告発合戦の悲惨な有様などは、まさにこのドストエフスキーの世界と言える。彼らはその動機においてすでに裁かれている。まことに-

人の怒りは、神の義を実現するものではありません。・・・ あわれみを示したことのない者に対するさばきは、あわれみのないさばきです。あわれみは、さばきに向かって勝ち誇るのです。-James 1:20;2:13

追記:ちょうど再建主義の富井氏も同じ問題意識の記事を書かれている、「神を出し抜くな」と。まことにアーメン。ただ、蛇足だが、モーセに神は、一度目は岩を打てと言われ、二度目は、岩に命じよと言われた。が、モーセは二回とも岩を打ってしまったのだ。人の裁きはモーセが二度目に岩を打ったようなものだ。それは神を出し抜いている。神の主権に触れているのだ。むしろその打つ行為は自分に返り、自ら神の裁きにより良き地をミスすることになる。

Dr.Lukeの一言映画評

今朝も4.2キロ、約300Calの消費。熱いシャワーとストレッチ、そして最近始めた『弱った体がよみがえる人体力学』。整体師が書いたものだが、これがけっこう気持ちいい。身体は統合的に機能しており、ある部分のコリや血行不順、骨のズレがとんでもない処の問題を引き起こすのだ。その不具合の元をほぐす姿勢や運動がきれいなイラストで手引きされている。それなりに負荷のかかる(キツイ)所作であるが、実に爽快感を味わえるのでお薦めする次第。

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で、昨日の鑑賞作品、トム・クルーズの『アウトロー』。アクションと謎解きの本格的推理ドラマ。かなり楽しめる。しかしトム・クルーズは50を超えていると思うが、バディもできているし、若い。あの『トップガン』でライバル役だったアイスマンことバル・キルマーがすっかりふやけてしまったのと対照的だ。

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かの美しき沢田研二も今ではすっかりメタボ腹、数日前に西城秀樹が闘病生活を告白していたが、二度の脳梗塞でロレツが回らずやや哀れを覚えた。わが永遠のライバル郷ひろみは健闘している。

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バディは所詮マシン。かのゴルゴ13ですらもギラン・バレー症候群*1という難病を抱え、日頃あれだけ鍛えている彼も、年に一度仕事から完全に退いて、各分野の名医たちを集めてバディのメンテをするのだ。何かにのめり込むとどこかに知らぬ間にしわ寄せが来るもの。仕事、勉強、育児、教会事等々、これら自体はなんら悪いことではないが、しかし没頭することはアブナイ。「忙」しいとは「心を亡くす」と書くとよく言われるとおり、何だかよく分からないままに「忙しい」の感覚を覚えた時は要注意だ。ちなみに出力30%、いつもアイドリングの私などはつねに暇を持て余している感覚。カッコよく言えば(言い訳だ、と突っ込まないこと)、『三四郎』の「偉大なる暗闇」こと広田先生のごとく*2、教師は高等遊民であるべしと思っている次第。

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さて、本日も『三国志』の世界にトリップ。赤壁で敗北し、敗走する曹操と関羽とのやりとり。男と男の義理と人情の葛藤、泣ける場面だ。

*1:根神経炎の一種、筋肉を動かす運動神経の障害で手足が動かなくなる難病。スナイパーであるゴルゴにとっては致命的。症状は右手の麻痺が主体で、そのため左手を訓練し、左手でも射撃可能。
*2:モデルは旧制一高独逸語教授岩元禎。頑固一徹、情容赦なく落第点をつける徹底した厳格さの古典的理想主義の哲学者だとのこと。私は「ホトケの唐沢」と言われているが。

Dr.Lukeの一言映画評と本日の一枚

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つやのよる-ある愛に関わった、女たちの物語-』。他に観るべきものがなく、安倍寛主演ということで観てみた。いや、これはある意味深く、ある意味こわい作品。男と女の情念を実にしぶく、淡々と描いている。ドラマチックなセリフとか場面がない分、逆に現実感が漂い、ドキュメンタリーを見ている感じもするほど。信仰もしばしば狂うが、愛も狂うのだ。しかし男と女は悲しく、時に滑稽なものだ。愛に対する6種類の女のあり方*1。酸いも甘いも噛み分けたオトナの作品、胸に心当たりのある方はぜひ一度どうぞ。しかし、主人公がついにカミングアウトしない趣向も面白い。6人の女の人生を通して、この見えない女「艶」を描く。

*    *    *

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本日の一枚、先にLupin Jazzがよかったので、これを。菊地成孔はじめとする一流Jazzメンによる「LUPIN the Third 峰不二子という女 オリジナルサウンドトラック」。アニメと言うなかれ、実に味のある仕上がり。オトナの鑑賞に十分耐える。最近の傾向はカヴァーとアニソンのJazzアレンジ。

*1:愛を戦う女、愛を確かめる女、愛に寄り添う女、愛を待つ女、愛を問いかける女、愛を包み込む女だ。

Dr.Lukeの一言映画評

今朝も痛いほどの冷たい風が肌にカイカン。これからの時期、ピッシっと締まる。しかし早いものだ、もう1月も中旬。ゆっくりと冬眠生活を楽しみたい。

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で、昨日*1は午前はプールとサウナ、午後は映画の巡航モードだったが、作品はリーアム・ニーソンの『96時間リベンジ』。そうかつての『96時間』の続編。ニーソンにやられた国際的売春組織が復讐をするわけだ。きわめてテンポの良いアクションと頭脳戦が楽しめる。犯人に拉致され、目隠しされたニーソンが、時間を測り、周囲の音などを記憶、さらに2点測地法で自分の居場所を特定するテクなどは実に面白い。しかしニーソンの娘にはややうざがられつつも、そのシブイ父親に似合わない特殊技能を身に着けた中年の男の魅力を再度満喫できる。

*1:現在、筋トレでうっかり右肩を痛めてしまい書くのが苦痛なのだ。幸い五十肩ではないとの診断、鎖骨の関節炎らしい。

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