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Tag: Elohim

神の霊から生まれることの奥義

世の最も最悪の悲劇。それは御霊から生まれていないのに、キリスト教徒となる人。自分は"クリスチャン"と思っていても、霊的にはまったく異なる人。霊がもとより異なるから、決してキリストのいのちを共有し得ない。キリスト教のマトリックスの中に拘束される。しかも拘束されていることにすら気がついていない。先に紹介したJarrod Cooperのエクレシアで起きるような神のタッチを受けることもない。むしろ彼らにとってはこのような場面は集団ヒステリーかなんかに見えることであろう。

I came to be in the Spirit on the day of YAHWEH, and I heard behind me a great voice, as of a trumpet,-Rev 1:10 (HRB)

が、神のタッチはわれわれの体をも支配する。きわめてタンジブル、手で触れることができるのだ。私は体全体が神の霊のバイブレーションに共振する。それは神の愛による束縛。エクスタシーなのだ。栄光はカボド、その意味は重さ。神の霊が臨むとき、それはヘヴィー。文字通り立っていられなくなる。

祭司たちは雲のために立って仕えることができなかった。主の栄光が主の宮に満ちたからである。-1Kin 8:11

神の霊から生まれた存在はエロヒム。神のいのちの霊をインプラントされた存在であり、神聖である。それは神の新創造、ニュークリーチャー、そしてニュースピーシーズ。われわれはエイリアンなのだ。ゆえにそのいのちはキリストと共に神のうちに隠されている。まことにそれは奥義、ミステリー。だから、誰かれに明らかにされる性質のものではない。オツムの空転現象に陥る人々には理解得し得ない領域の経験なのだ。

魂の人にとってはそれは愚かであり、決して理解できない。霊のことは霊によってのみ理解できるからだ―1Cor 2:14

愚かな者とされること、あるいは狂信者とされること。これは、霊の人にとっては最高の栄誉だ。自分は世の物差しではなく、神の国の物差しで生きていることの証明だから。それは彼らとは物差しが違う世界に生きていることが明らかにされる絶好の機会なのだ。

霊の人は誰からも判断されない・・・私たちはキリストのマインドを持っている。-1Cor 2:15-16

フェイスの覚醒はすなわちキリストのマインドのアクティベーション。聖書がまったく異なる光の中で見えるようになる。それは解き明かしとか、互いの意見をすり合わせる話ではない。御言葉が3Dとなって浮き上がってくる。ジーザスの息遣いも感じるほどに。WOW!!!

ちなみに、「ニッポンキリスト教」という用語はDr.Lukeオリジナルではないことは何度も指摘している。鹿島春平太氏の造語だ。彼は著書の中で「ニッポンキリスト教は最初から闇の中である」と指摘されている。最近、FBにおいて同氏からリクエストをいただき、友人としてリンクしていただいた。日本でキリスト教が広まらない理由はすでに明らかであろう。胡散臭いし、束縛感があるし、せっかくの日曜につまらん牧師の説教聞くために時間を取られたくないし・・・。教会も世に媚びている、あなたの街のお気軽な教会♪・・・とか。すでに見透かされているのだ。

でも、けっこう関心だけはあるのだ。聖書は50万冊毎年売れている隠れたベストセラーである。御言葉をダイレクトに提供すること。砂糖まぶしが無意味であることはすでに明らか。あなたは愛されるために生まれたとかのスローガンも・・・。まさに直球勝負の時代である。

UNSEEN REALM SEMINAR by Dr.Heiser

このDr.Heiserによるセミナー・シリーズは必見だ。いわゆるキリスト教神学に幽閉されると元々聖書が啓示している見えない領域から外れたところでオツムの空転現象を起こすようになる。歴史的に二千年の間で組織されてきたキリスト教神学、特に西方のものは哲学や主知主義に汚染されているのだ。ヘブル語ワールドで啓示をとらえる必要がある。

追記:本日のプレイヤーMTG、かなりすごかった。迫りが手に触れる感覚。「臨在」とはパニーム、顔だ。「栄光」とはカボド、重さ。臨在による栄光はヘヴィーなのだ。立っていられない。日本語マトリックスでは完全に本意を外す。

しかし、「私たちはエロヒムだ」には相当に抵抗感があるようだ。ニッポンキリスト教では「神」とか"God"のマトリックスの回路で考える人がほとんどな のだろう。「ニュー・クリーチャー」とか「ニュー・スピーシーズ」はきわどいところでセーフのようだが、「ネオ・ホモサピエンス」とか「スーパー・ヒュー マン」あたりになるとすでに抵抗感が出るらしい・・・。

すべてはマインドのマトリックスから生まれるのだが、それにすら気づかないで、脊髄反射的に反応してくる方々もいる次第。せめてヘブル語を調べてからにしてほしいのだが・・・。繰り返すが、聖書はiPSやSTAPと同じ生命現象の書である。

追記の追記:FBでの反応―

A氏:「私たちはエロヒムだ」  確かに最初は大丈夫ですか~って思いました。しかしよく考えたら神の子なのだから、蛙の子は蛙、鳶の子は鳶、神の子は神。御使いを捌くほどの者という意味もなるほどです。ありがとうございます。

小生:エロヒムを「神」とか"God"とラベルを貼ることが罠になります。YHWHを"LORD"にしたりとか・・・も。私の固有名詞を勝手に「主人」とされても 困るわけでして・・・。言語はそれ自体がマトリックスですから、日本語や英語にした時点で本意からズレます。エクレシアも「教会」とするからニッポンキリ スト教ができるわけです。これで日本語の中でああでもない、こうでもないとグルグル回り、まことにお疲れさまです。

加えると、ポイメンを「牧師」とか・・・。これで「牧師先生」と呼ばないと怒り出す輩が出るわけでして。新共同訳では「牧者」ですけどね、さすがに(笑)
 
追記の追記の追記:ついでにちょっとショッキングな事実を。"GOD"って単語、何気に一般名詞的に使ってますが、元々はバビロニアの神の固有名詞なんですね。言語のマトリックスの罠は予想以上に広がっている次第。

私たちはエロヒムである―ヘブル語の回路

私は日本語で聖書の真理を考えるな。それはニッポンキリスト教を生み出すだけだ。言語自体がマトリックスであり、霊的真理をそのマトリックスの回路に乗せて考えてはならないと言ってきている。その最たる例が神の名前である。いわゆる「神」とか"God"とか、最近では「創造主」とかするむきもあるが、同じ罠に陥っている。

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In the beginning God created the heaven and the earth.

もちろん創世記1章1節だ。これはKJVだが、このように英語に置き換えた時に、すでに真理は削られている。神はヘブル語の言語体系の中に霊的真理を啓示された。これをHebraic Root Bibleを見るとこうある―

In the beginning Elohim created the heavens and the earth;

英語では"God"とされている単語は"Elohim"、それは複数形。メッセでも語ったが、通常、この複数形は父・子・聖霊の三位格を含意しているとする。現に動詞は単数形で受けている。ところがこの"Elohim"はあちこちに散見するのだ。通常、"gods"とか「神々」と訳され、それは人間が生み出した偶像の神々であるとする。ところがだ、詩編にこうある― 

[A Psalm of Asaph.] Elohim stands in the company of the Almighty El; He judges in the midst of Elohim.
Until when will you judge unjustly, and lift up the faces of the wicked? Selah.
Vindicate the poor and fatherless; do justice to the afflicted and needy.
Deliver the poor and needy; and save out of the hand of the wicked.
They neither know nor will understand; they walk in darkness; all the foundations of the earth are shaken.
I have said, You are Elohim, and all of you are sons of the Most High.
But you shall die as men, and fall like one of the rulers.
Rise, O Elohim, judge the earth; for You shall inherit in all the nations.―Ps 82:1-8(HRB)

人間が作り出した偶像の神々ならば、何故会議など開くのだ? 直訳すると―

エロヒムは最も高きエル(単数形)の会議において立ち、エロヒムの間で裁きを行われる(1節)。

わたしは言う、あなたがたはエロヒムだ。最も高き方の息子たちである。しかし、あなたがたは人として死ぬ。支配たちのひとりのように落ちる。起きよ、おお、エロヒム、地を裁け。なぜなら、あなたがたは国々を受け継ぐのだから(6-8節)

この部分を受けて主はこう言われる―

イエスは彼らに答えられた、「あなたがたの律法に、『わたしは言う、あなたがたは神々である』と書いてあるではないか。 神の言を託された人々が、神々といわれておるとすれば、(そして聖書の言は、すたることがあり得ない) -John 10:34-35

と、ましてやご自分が神の子であることを論証している。

さて、ここで問題は、私たちは人ではないか、なぜ神になれるのだ?よく「神化(Theosis)の教理」と呼ばれ、東方教会では普通に信じられている。西方ではいわゆる「聖化」だ。このときに、人が神になる?と考える人のマインドには<神=God>なる等式があるのだ。しかも、その<God=父・子・聖霊の三位格にいまして本質においてはひとりの神>とのマトリックスができている。ゆえに、あり得ない!となるわけ・・・。前に私がウィットネス・リーと同じことを言い出したとコメント欄に書かれた方がいるが、リーは神性と人性を混ぜ合わせて、神格は持たないいのちと性質において神になると言うのだ。まったく違うと言っておく。彼の"mingling(混ぜ合わせ)"の教理はナンセンスだ(こちらを参照)。

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さて、ここでカギになるのは、ジーザスは自分を「わたしはある」と言われた(John 8:58;18:6)。この箇所は日本語訳では間の抜けた表現になっているが、ジーザスは「I AM」と言われたのだ。つまりYHWH!モーセにご自分の名を明かされたとき、主は「わたしはありてある者」と言われた。これが最も高きエロヒムであるYHWHなるお方だ。ポイントがお分かりか?創造主なるお方はエロヒムであり、いろいろおるエロヒムの中の最も高きお方、その御名がYHWHである!

HRBの詩編82章の注にはこうある―

1節について―

A clear description showing the plurality of the Elohim family and Yahweh judging in the heavenly court.

6節について―

It is the wonderful potential of human beings to repent of their sins and be baptized in the family name of YHWH and have an elder lay hands on them for the receiving of the Ruach H'Chodesh (Holy Spirit) and become a literal child of Elohim, Joh_10:34, Rom_8:14-17.

一応訳しておくと―罪々を赦され、ファミリーネイムYHWHの中にバプテスマされ、長兄によりルアハ・ハ・コデシュ(聖霊)を受けるために手を置かれ、エロヒムの文字通りの子とされた人類の素晴らしい可能性である。―これが私が、私たちがエロヒムである、と言う意味である。私は「私たちはYHWHである」とは言っていないことに注意してほしい!ヘブル語の回路に入るのだ。「私は神(God)である」と英語や日本語のマトリックスの中で考える人にとっては、トンデモ発言になろうが、それはその人のマインドのマトリックスを顕わにしているに過ぎない。勝手にオツムが空転加熱化するだけである。

私は前々から、私たちの霊は神の霊から生まれ、神のDNAを得ており、それは神聖な存在であり、神属(族)であると言ってきた。まことにこの理解はヘブル語の原典に忠実であったことがHRBやDr.Heiserの著書により、今回、証明されたのだ。いわゆるキリスト教神学、特にニッポンキリスト教のマインド・マトリックスを大きく逸脱する言説とは思うが、彼らが聖書から外れているに過ぎない。私たちはすでに完全であり、神聖な存在神属人類であり、ニュークリーチャー新生命体なのだ!それは神をエミュレートする。まったく新しい種であるから、これまでのマインドのフレームをはるかに逸脱する。ゆえに古いフレームから判断することなかれ。それは神の言葉を裁くことになるから。

and to the congregation of the first-born, who are enrolled in heaven and to YAHWEH the judge of all; and to the spirits of the just, who are perfected;-Heb 12:23(HRB)

詩編82編にはエロヒムの会議が描写されていた。そこでは最も高き方(比較表現があること自体が他にエロヒムが存在することを意味するのだ)が裁定を行っている。そしてここのヘブル書においては私たちが得た(完了形!ここも邦語は誤訳)のは、

シオンの山、生ける神(エロヒム)の都、天にあるエルサレム、無数の天使の祝会、天に登録されている長子たちの教会、万民の審判者なる神(YHWH)、全うされた義人の霊

なのだ。これもエロヒムの会議である!私たちのいのち(Zoe)はキリストと共に神のうちに隠されている(Col 3:3)。考えて見よ。なぜ不完全な汚れた地的な存在が神のうちに隠されることがあろうか。血肉は神の国には入れない。なおさら、神のうちにあり得るはずがない!私たちの本質は霊であり、それはYHWHなる家名を持つ神(Elohim)なのだ。われわれ神の霊から生まれた存在は神属人類、エロヒムである!WOW!!!

神の敵、サタンはこのことが開かれることを恐れ、また嫌悪する。ゆえに躍起になってこの真理を攻撃し、封印しようとするのだろう。このことに関して彼は歯ぎしりをする。なぜ?それは彼自身が神になりたかったからだ。ゆえにその嫉妬と妬みが燃えるのだ。確かにこれは挑発的でもある。果たしてあなたはこの真理にアーメンするであろうか、それとも異端・カルト思想として拒絶するであろうか?これによりそれぞれの内にある霊の本質が明らかにされ、その後の霊的歩みを決定するであろう。ルアハ・ハ・コデシュならばそれは大いなる喜びにして、興奮を覚えるはずである。

追記:キリスト教のマトリックスから解放されよ。五感によって見ることなかれ、判断することなかれ。この体は罪を宿す旧創造、また魂はいろいろと欠けがある。が、霊はパーフェクト!聖書はそう言っている。そのパーフェクト性がこの肉において現れるのだ。フェイスにより!ハレルヤ!

ご紹介:Dr.Heiser

いわゆるキリスト教がいかにマトリックスに過ぎないかが分かります。私がこれまで語ってきたことをヘブル語のレベルで裏付けてくれているsmile

あなたがたはElohimである!

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うーん、この本、ヤバい。読み応え十分! これまでのパラダイムが崩壊すると同時に、新しいスーパーナチュラルな世界が開かれる。カギは詩編82編。

たとえば、ヨブ記。ヨブは神の許可の下でサタンに試みられたとされている。が、原語ヘブル語の「サタン」には定冠詞がついているのだ。"The Tom"とか言わないであろう。それは誰か?

そもそも、なぜエバは蛇の語りかけに驚かなかったのか? Elohimとは誰? Yahwehとの関係は? いや、これは興奮する。キーワードは"the council of Elohim"。

20160631-2.png

ちなみにこちらのバイブルも同じ視点で訳されている。おススメだ。


●The Hebraic Root Bible(⇒http://www.coyhwh.com/en/bible.php)。

 

たとえば、本書の詩編82編6節―

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I have said, You are Elohim, and all of you are sons of the Most High.

「あなたがたはエロヒムである。あなたがたはみな、もっとも高きお方の息子たちである」。その注にはこうある―

It is the wonderful potential of human beings to repent of their sins and be baptized in the family name of YHWH and have an elder lay hands on them for the receiving of the Ruach H'Chodesh (Holy Spirit) and become a literal child of Elohim, Joh 10:34, Rom 8:14-17.

"a literal child of Elohim"! WOW! 文字通り神属の存在!カギは"Elohim"の原語の意味だ。日本語で考えるな。これまでのパラダイムを捨てよ!

とにかく言えることは、日本語で聖書を理解するな、それはニッポンキリスト教を生むだけ。日本語のマトリックスと原語のリアリティーはまったく 異なるシステムなのだ。われわれは母国語としていないから、白文では読めなくとも、今やツールが備えられている。日本語のマトリックスを離脱することはそ の気があれば、いくらでも可能なのだ! WOW!!!

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