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Tag: セレブレーション

セレブレーションとはジーザスのライブ

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このクリップ、そのうち字幕をつけてくれると思うが、とても重要なこと。不思議なものでセレブにいる人々が何を思っているか、実はメッセージをしている側は手に取るように分かる。自分の想念は自分だけが知ること、と思うと実はこれが違う。想念は個人の大脳に浮遊しているだけではない。霊の領域においてそれは漂い、また人の霊に反映するのだ。だから霊の領域を見ることができる人にはすべてが見える。

イエスは、彼らが心の中で考えていることを、御自分の霊の力ですぐに知って言われた。「なぜ、そんな考えを心に抱くのか。」-Mark 2:8

私たちのセレブにおいてはすべての人が口を開くことを奨励している。つまり霊的領域にすべての人が自らの意志を用いて参加すること。ところがこれがある種の人々にはつまづきとなるのだ。私はちゃんとここに参加しているのに、なんで参加していないと言われるのか分からないとか、自分はルークさんの祈りにアーメンしているのだから、自分が祈る必要はないとか・・・なんとかかんとか・・・・。

嗚呼、愚かなものだ。観てるだけのヤツはバカ。宴会に来て、ごちそうが山ほど提供されているのに、自分は見てるだけ。ルークさんが食べているのをアーメンしているから、それで十分だと誰が言うであろうか? いや、別に自分で手を出して食べたくない人はそれでけっこう。ご勝手にどうぞ。祈りも同じ。祈ることが苦痛だとか、何をどう祈ってよいのか分からないとか、口を開けと言われるとプレッシャーとか感じる人は、他に行けばよろしい。チンマリとお勤めするだけのいわゆる礼拝はいくらでもある。

はっきりと言うが、不平や不満の想念を抱く人はその場を汚している。口に出さずともそれは霊の領域にはすべて反映しているから。宴会に来て、口を開いて、自ら手を伸ばして食べよと言われることがプレッシャーと感じる・・・。自分は見てるだけでいい・・・。はあ??? 嗚呼、これほどに宗教の霊は彼らを拘束しているのだ。そして彼らのマインドを閉ざしている。彼らも自分のマインドに去来する想念を自分の感情でとらえ、ぶつぶつ、あれこれ、どううのこうの・・・。

矢沢のライブに参加したら、みなが「永ちゃん!永ちゃん!永ちゃん!」と盛り上がる。その場で下向いて、何だこの人たちは?とか思う人はそもそも来るべきではないでしょう? セレブも同じ。「ジーザス!ジーザス!ジーザス!」と盛り上がるのだ。おいおい、礼拝を矢沢のライブといっしょにするとはけしからん、とか言われる宗教の徒もいるであろう。自分は静かに礼拝したいとか、下向いて黙想していたいとか思う人は、はっきりと言うが来るところを間違っている。ついでに言えば、ダビデの裸踊りを冷ややかに見下したミカルは不妊の女となった。いのちを生めなくなったのだ。

繰り返すが、私たちはニッポンキリスト教の儀式を行っているのではない。ジーザスのライブに参加しているのだ。あるいはジーザスのパーティーである。ジーザスの復活の勝利を祝うのだ。セレブレーションとは祝賀会であり、凱旋記念日だ。祝え、叫べ、食べよ! 宗教からエクソダスせよ! 神の国は激しく襲われているのだから!

わたしたちの力の神に向かって喜び歌い/ヤコブの神に向かって喜びの叫びをあげよ。
ほめ歌を高くうたい、太鼓を打ち鳴らし/琴と竪琴を美しく奏でよ。
角笛を吹き鳴らせ/新月、満月、わたしたちの祭りの日に。-Ps 81:1-3

Our Worship-I See the Lord

私は通常、会場の皆さんを見ていない。ひたすら主のみにフォーカスしている。全体のアトモスフィアは背中で感じ取っている。霊の温度を感知できるのだ。何かの悩み事や病気の症状で圧迫されている人は凝り固まって霊が冷えている。それが分かる。逆に御霊のタッチを受けて解放され、その凝りがほぐれて、霊が温まってくるとそれも分かる。霊が全体を自由に流れるようになるのだ。

昨日はなんというか、みなさんから噴水が噴出しているような、あるいは温泉の源泉が開かれたような感覚を覚えて、背筋に電気が走るような感覚がした。霊の温度も高く、その流れが激しかった。主は確かに私たちの上にご自身のFavourを置いて下さっている。それぞれに抱えている重荷も主の元に下すコツが開かれるならば、私たちがなすべきはただ賛美と感謝しかないのだ。主の迫りが毎回激しくなっていることを覚えている。

Glory be to God!

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