油清め事件の本質-アイデンティティー・クライシス
この考え方と実行って、聖書のどこを根拠にしているのだろうか?油は聖霊の型であり、王が預言者によって任命されるときに注がれた。新訳では病気の癒しのために油を塗ることが勧められている。清めはイエスの血と御言葉の水によるのだが・・・。本人は悪意はまったくないようで、むしろ自分を預言者として率先して行っていたようだ。多分、なぜ逮捕状が出されたのかも理解できないのではないだろうか?
この方のお姉さんとは、かつてVIPクラブと関わっていた頃に親しくしていただいた。都内の豪邸に住んでおられるのだが、韓国からの帰化人であるため、アイデンティティー・クライシスを経験されたと言われていた。在日系の人たちは日本社会でけっこう成功している方々が多い。パチンコ業界はいわずもがな、芸能界や経済界、さらにマスコミなどはかなり彼らによって占有されている。このアイデンティティーを得ようとする努力する過程で、各分野で成功してしまうのだろうか?私などはそういったハングリー精神がないので、いつまでも小市民なのだ・・・(やや自虐的に)。
それにしても本人のメッセージを聞いても、何か日本文化に深層心理的なレベルで敵意を感じているような節がある。神社とか寺は悪霊の巣窟であるとか・・・。極私的には神社や寺の雰囲気はけっこう好きなのだ。元々私は禅に入れ込んでいた人間であり、道元の『正法眼蔵』や鈴木大拙のことはここでも何度も紹介している。静岡の臨在寺の倉内松堂老師とも交流があったし、永平寺の七十六世管長秦慧玉禅師とも間接的に関係があったこともかつて書いた。再建主義の富井氏のようにすべてはユダヤ教のものとは断定はできないが、類似性は大いに感じている。かくして今や一線は引きつつも、神社や寺には親しみを覚える次第。
そもそも神の国とこの世とは対立する。
あなたがたは、この世の形に形づくられてはならない。むしろ、思いを新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。-Rom 12:2
世と世にあるものとを、愛してはいけない。もし、世を愛する者があれば、父の愛は彼のうちにない。-1John 2:15
神の国のリアリティ、あるいはサブスタンスがこの地に現出するときには必ず摩擦が生じる。なぜか。この世は法的権利はすでにないが、サタンの配下にあるからだ。彼はあらゆる手段を持って神の国の現出を阻害しようとする。こちら側はよほど思慮深くないと、相手は隙を突いてくる。今回の件で、いわゆるクリスチャン側がすべての宗教に寛容であるべきだとして、霊的妥協に陥る危険性がある。世に媚びる形で。この物理的時空間においては現在の経綸ではもろもろの霊的存在が混在することは不可避である。が、霊的領域での妥協は決して許されない。私たちは常にこの二つの領域と関わりつつ生きていることを意識する必要がある。なぜなら
もしあなたがたがこの世から出たものであったなら、この世は、あなたがたを自分のものとして愛したであろう。しかし、あなたがたはこの世のものではない。かえって、わたしがあなたがたをこの世から選び出したのである。だから、この世はあなたがたを憎むのである。-John 15:19
イエスは答えられた、「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであれば、わたしに従っている者たちは、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったであろう。しかし事実、わたしの国はこの世のものではない」。-John 18:36
私たちは世にいるが、世のものではない!実はここでも在日の方や帰化された方のようにアイデンティティーの確立が重要なのだ。多くの場合、信仰の危機はアイデンティティーが脅かされることから生じるからだ。私は一体何者か。神の新創造であり、世には置かれているが、世の者ではない。この経綸は寄留者として送るべきなのだ(1Pet 2:11)。
追記:この方は霊的なメッセージのみでなく、オバマケアの裏を暴いたり、米政府の闇など、かなりきわどいことを語ってもいるようだ。
追記の追記:残念ながら、本人は否認している模様だ。ごめんなさい!と言ってしまったほうがよいのだが・・・。