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「霊の戦い」系の方々に一言

この戦場は第一に私たちのマインド。マインドこそがバトル・フィールドなのだ。マインドは霊と魂の接点。敵はここにあらゆる火矢を打ち込んでくる(Eph 6:16)。罪定めの感覚、後悔、絶望感、欝、不安・恐れ、焦り・緊張、妬み・嫉妬、不純な想い、野心などなど。それに対してパウロはこう処方箋を出している。

わたしたちは、肉にあって歩いてはいるが、肉に従って戦っているのではない。 わたしたちの戦いの武器は、肉のものではなく、神のためには要塞をも破壊するほどの力あるものである。わたしたちはさまざまな議論を破り、神の知恵に逆らって立てられたあらゆる障害物を打ちこわし、すべての思いをとりこにしてキリストに服従させ-2Cor 10:3-5

この時に最も大切なことは、私たちが自分の力で勝利を得ようとするのではない。それは消耗戦。敵はそこにわれわれを落とし込みたい。が、すでに十字架でイエスが勝利しているのだ!このスタンスを保つこと。私たちはすでにキリストとともに死んで復活し、天の座に共に座している!敵は私たちのはるか下にいることを忘れてはならない。

罪過によって死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし―あなたがたの救われたのは、恵みによるのである―キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、共に天上で座につかせて下さったのである。-Eph 2:5-6

聖霊派の一部では神社仏閣を破壊したい向きもあるようだが、見当外れだ。まずそのような想いに囚われていること自体が敵の策略にハマっている兆候。私たちのマインドを見張り、マインドを平安と安息で満たすこと。つまり霊につけられた思いはいのちと平安である(Rom 8:6)。これが魂が繁栄すること。するとあらゆる領域で繁栄し、健やかになれるのだ(3John 1:2)。

今回の事件の方もある意味、ニッポン・キリスト教に見切りをつけた節が感じられる。しばしば宗教ではなく、主との関係であると強調している。ただ、聖霊様、聖霊様を繰り返すのは極私的には違和感を覚えるところだ。聖霊はイエスを証する霊。私たちはイエスの名を呼ぶべきだからだ。これは最近、意外にもベニー・ヒンも言い出している・・・・。「聖霊様」とか「聖霊充満」といった用語はチョウ・ヨンギ由来と推測するが、ややキムチ臭い。今、私たちに与えられた救いの名はイエスのみ!

-霊的戦いについて

-御霊と人の関わりについて-油注ぎと油塗り

 

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