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クリスチャンが見当はずれに陥る理由

いわく、きよく・ただしく・まずしく・うつくしく・・・。いわゆる宗教としてのキリスト教のあり方だ。つねに神から裁かれないかとビクビク、自分はどうのこうの・・・。病気になれば、神のみ心だから受け入れ、その中でも賛美して、喜ぶことが素晴らしい・・・。それは確かに人間の自己満足的素晴さ。イエスは病者にそう言われただろうか?彼はすべて自分の元に来られる人を癒したのだ。そして自分は父の心を行っていると言われたのだ。

なぜ、こういった見当はずれに陥るのだろうか。罪はハマルティア、的外れ、とよく言われる。そのとおりだ。ところが自我を十字架につけてぇ、魂を否定しぃ、罪を犯さず、清い生活を送れぇ、あれこれ・・・。まさにこれが的外れなのだ。要するに復活のパワーを知らないからだ。十字架と復活の事件の後は、相が完全に転換した。この復活のパワー、デゥナミスが解放されたのだ。神の国はロゴスにではなく、デゥナミスにある。終わりの時代、私たちはこれを経験する必要があるのだ。

イエスは答えて言われた、「あなたがたは聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている。」-Matt 22:29

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