語り出された言葉の力
- 2015/06/15 20:40
- Posted by Dr.Luke Karasawa (唐沢治)
- Category:信仰
- Tag:YHWH, レーマの力
ある方から伺った話。その方の母親は、なぜか、自分はガンになる、ガンになると繰り返していたとのこと。さらに自分は70歳で死ぬとまで。そしてなんと、69歳でガンになり、1年後に亡くなった。私たちの生と死は口によって支配されるとあるとおりだ。
死と生は舌に支配される。どちらかを愛して、人はその実を食べる。-Prov 18:21
前に紹介したこのCLIP、この中でもエルビス・プレスリーの話が出ている。彼は母親と同じ歳までは生きていないと、生前繰り返していたようだ。そして、ちょうど母親と同じ年齢で死亡した。語り出された言葉、レーマにはパワーがあるのだ。これらの人々は負の自己予言をしてしまったのだ。私たちはポジティブな言葉を自分自身に語るのだ。
・アイ・アム・神の子
・アイ・アム・聖
・アイ・アム・義
・アイ・アム・リッチ
・アイ・アム・御座
・アイ・アム・ブレスト
・・・・
神の名はYHWH、発音についてはいろいろと説がある。Adonaiの母音をつけて、「エホバ」;否、「ヤハヴェ」、否「ヤホワヤ」などなど。意味は「ありてある」。「アイ・アム」だ。イエスは「エゴ・エイミー」と言われた。まさに「アイ・アム」である。私は前著で「信仰とはアイ・アムの実体化だ」と言った。私たちも神のZOEをインプラントされた存在として、「アイ・アム」を継承しているのだ。これらの言葉を語れば、その実を得る。語り出された言葉は霊であり、いのちである(John 6:63)。
あなたが霊を送られると、彼らは造られる。あなたは地のおもてを新たにされる。-Ps 104:30
わたしは唇の実りを創造し、与えよう。-Isa 57:19
神の霊があるところには創造がある。霊から語り出された言葉には神の霊が塗られている。その実を楽しむことができるのだ。
このCLIPを採録しておこう。個人的携挙による天の領域での仕事は語ることなのだ。
-「天にある自分の園を手入れすると地上で何が起きるのか」 Dennis Walker
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フレデリックマイヤーズ 「人間個性を超えて」第3部抜粋:
「われわれキリスト教徒は、数世紀に亙って、祈りの実践を蔑み誤用してきた。われわれはそれを自己の利己的な目的のために用いてきたのである。敵の破壊を祈願し、神が選良――それは社会のほんの一握りの人のことである――のみを心に留めるよう懇願した。そして他者すなわち人類全体を無視したのである。さもなければわれわれは口先だけの饒舌家よろしく、言っていることについては何も考えず、ずっと昔に死んだ人の作った文句を、まるでそれらに魔術的な意味でもあるかのように、また、言葉の音そのものが望みの効果を持つとでもいうかのように機械的に唱えてきた。おそらく歴史上で今ほど福音書に立ち帰り、祈りの真の性質と働きを再発見する必要のある時はあるまい。
私は不滅への道を地上の人よりも幾らか永く旅してきた者である。死後の生活において私は祈りの効果はその言葉にあるのではなくそのときの心の態度によるのだということが分かった。神を呼び、神に己が心を開かんとする者はまず厳しく己れの心を浄めなければならぬ。自らの創造者の前に祈願や嘆願の祈りをしようと決したときは、利己心の混入や己れの利益を計る気持ちがあってはならぬことを心に銘記しておかなければならない。そのときは人類同胞への想い、宇宙の奇びに触れる想いに満ち溢れた状態でなければいけないのである。言い換えれば、自分自身の小さな個我から出て、あらゆる生命あるものの魂と融合しようとしなければならない。そこで初めて彼は神の前に立ち、祈りの言葉を口にし、他人を傷つけたりするものでない限りにおいて、自分の赤心からの願いを述べることができるのである。・・・
あなた方が自分のために祈るときは、本霊が賜物を下すようにと祈りなさい。ただ他人のために祈るときのみ、物質的窮乏の軽減を願いなさい。もしあなた自身を幼子のようにして、繰り返し天の父への祈りをするなら、その祈りごとの中にあるように、日々の糧を願っても無駄にはならないであろう。しかしあらゆる祈りのうちでも最も大きなこの祈りを口にするとき、あなたは大人の心を奇麗に片づけて、キリストが彼の前に呼んだ子供たちの聖なる単純さに自分を戻さなければならない。キリストはその御言葉の中で「幼子のごとくなければ、神の国に入ることはできない」〔マタイ18:3〕と言ったのである。
祈りの行為をなしつつある人は、今まさに神の国に入らんとしているのだということをよく心に留めておかなければならない。彼は取るに足りない煩いや些細なことを気に掛ける日常意識から無限意識へと移っていく。彼は永遠の生命と一体にならなければならない。それゆえ、心と目的を単純にして、疑いや恐れや不信その他神の国の入口を閉ざしてしまう人生のあらゆる重荷を投げ捨ててしまわなければならないのである。」
参考サイト:梅原伸太郎文庫
URL: http://www.k5.dion.ne.jp/~spiritlb/ume-9-4.html