マインドのパワー
- 2015/06/21 08:51
- Posted by Dr.Luke Karasawa (唐沢治)
- Category:信仰
- Tag:マインド, トランスフォーメーション
朝の空気が実に気持ちいい。緑も濃くなってきた。自然を見るとき、前と違って見えるのだ。前は単純に自然を楽しんでいた。今は霊的世界と声を感知する。神の声がすっと聞こえるのだ。アダムに対して神はこう言われた。
神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。-Gen 1:28
「地」とは「天」に対する存在。つまりこの物理的時空間、ナチュラルな世界だ。時間と空間と物質(エネルギー)から構成される世界。この世界をコントロールするのだ。神はアダムにその権威を与えた。サイセンスはそのひとつの型である。
そして主なる神は野のすべての獣と、空のすべての鳥とを土で造り、人のところへ連れてきて、彼がそれにどんな名をつけるかを見られた。人がすべて生き物に与える名は、その名となるのであった。-Gen 2:19
コントロールすることや名をつけることは、もちろん、マインドの機能。アダムのマインドはこれだけのパワーを有していた。へブル語では言葉と実質は同じ。つまりアダムは生き物にその実質、サブスタンスを与えたのだ。これも信仰の働き。アダムのマインドにおいてどのような状況が展開していたのであろうか。考えてみよ、地上の生き物の種類を。彼が呼ぶとそのとおりになった。
時は下り、イエスはこう言われた:
そして、道のかたわらに一本のいちじくの木があるのを見て、そこに行かれたが、ただ葉のほかは何も見当らなかった。そこでその木にむかって、「今から後いつまでも、おまえには実がならないように」と言われた。すると、いちじくの木はたちまち枯れた。
弟子たちはこれを見て、驚いて言った、「いちじくがどうして、こうすぐに枯れたのでしょう」。
イエスは答えて言われた、「よく聞いておくがよい。もしあなたがたが信じて疑わないならば、このいちじくにあったようなことが、できるばかりでなく、この山にむかって、動き出して海の中にはいれと言っても、そのとおりになるであろう。
また、祈のとき、信じて求めるものは、みな与えられるであろう」。-Matt 21:19-22
疑わずに語り出すこと。アダムが得ていた権威をイエスは人間として回復された。そして今、私たちに付与された。私たちがマインドで思うことはそのとおりになる。
彼はその魂で思いめぐらす通り、そのままの人間だ。-Prov 23:7(原語)
時に主は下って、人の子たちの建てる町と塔とを見て、言われた、「民は一つで、みな同じ言葉である。彼らはすでにこの事をしはじめた。彼らがしようと思いめぐらす事は、もはや何事もとどめ得ないであろう。-Gen 11:5-6
ゆえにマインドをウォッチする必要がある。どこかにポートを開けておくと、サタンはそこからアクセスする。彼の放つ火の矢を受け入れて、あえて思いめぐらすならば、それはそのとおりに実現するであろう。FEARとはFalse(偽りの)、Expectation(期待が)、Actually(実際に)、Realize(実現すること)なのだ。思いめぐらすならば、それは肥大化し、自分の価値観や思想・人生観・哲学となり、ついにはプライド・要塞と化し、御言葉をすら排除するに至る。虚しい騙しごとの哲学とパウロも言っている。次の言葉は必ずしも不信の者に対するだけではない。
彼らの場合、この世の神が不信の者たちの思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝きを、見えなくしているのである。-2Cor 4:4
私たちが主のうちに住まい、御言葉がうちに住んでいるならば、すなわちマインドがキリストのマインドに浸されているならば、欲しいモノがあれば、大胆に、何でも、イエスの名によって求めよ。そして疑わずに「得た」と語れ。いちじくの木に起きたことが起きるのだ。スーパーナチュラルな領域が動く。それは与えられ、私たちの喜びが満ちる。それは御父の栄光なのだ。宗教の霊から解かれよ!
参考:「見える」ってどういうこと?その一例。
-「霊を見分ける」 Jonathan Welton-SEEING INTO THE UNSEEN REALM
同じ人物によるこれも興味深い。
-Jonathan Welton - "The Seven Shifts Coming to the Church"