フェイスの覚醒の時代
- 2016/03/15 08:38
- Posted by Dr.Luke Karasawa (唐沢治)
- Category:信仰
- Tag:フェイス, サイエンス, マインド, トランスフォーメーション
この時期、一昨年までの私にとっては地獄であった。花粉症。私はけっこう重くて、熱が出る場合もあった。30年近く・・・。が、昨年それが一瞬で消えた。今年はどうかと、正直いぶかしがっていたが、出ない。右耳の中等度難聴も、腰の損傷による右足のマヒも癒された。御座に上げられ、あれを見て、あれを聞いてから・・・・。
フェイスとは願うことのサブスタンス、目に見えないものを立証すること(Heb 11:1)。日本語で"信仰"とするから、トンデモ勘違いが起きる。"信じて仰いだ"のに癒されない、なぜだ!とか。あるいは癒されないのは信仰がないとでも言うのか!とか。これらの訴えが肉のものであり、ゆえに神に敵対してしまうのだ。
フェイスはシックスセンス、スーパーナチュラルなパワー。それはサブスタンス、実体、土台、権利証そのものなのだ。信じれば癒されるとマインドに刷り込まれている人々はしばしば失望を味わう。フェイスは癒しの条件ではない!癒しのサブスタンス、実体そのものなのだ。癒されないのはフェイスがないから。なぜ?フェイス=癒しだから。
神のバイブレーション(弦)は宇宙に満ち、神の言葉(ミレア)は全地に響いている(Ps 19:4)。現代物理学でも宇宙は11次元の超弦のバイブレーションであると説く。神は語り、自らの言葉(レーマ)により万物を生じた(Heb 11:3)。語り出された言葉はバイブレーションである。そして今もなお言葉(レーマ)によって宇宙を支えている(Heb 1:3)。すべてのものの実体は言葉なのだ!
イエスも内なる父の言葉を語り出してみわざをなされた。自分では何もできないと証言しつつ。われわれも同じ。内なる父の言葉を語り出すこと。それは内なる霊のバイブレーションを言語化することだ。フェイスはレーマを聴くことによる(Rom 10:17)。フェイスは願うことのサブスタンス、ゆえにレーマを受けることは即サブスタンスを得ること。ヘブル語の「言葉」はDabar、それは実質・実体・マターの意味。それは癒しそのものなのだ。
神の言(ロゴス)であるイエス自身が神のサブスタンスの現出であった(Heb 1:3)。物理的肉体を持たれた存在として。グノーシスの言う仮現論ではない。見て、手で触れる存在。Tangibleなのだ!霊である神のロゴスがこの物理的時空間に現出すること。これはまさにフェイス。フォースの覚醒ではなく、フェイスの覚醒。それは日本語の信仰ではない!そしてフェイスを使え!それは霊的領域のサブスタンスをこの五感の領域に現出させるパワーである。
万物は神のフェイスによって創造された。神は無から有を呼び出すお方(Rom 4:17)。われわれも同じパワーを有している。イエスは言われた、信じる(フェイスを得る)者はわたしと同じわざをなし、さらに大いなるわざをする。わたしが父のもとに行くからだ(John 14:12)。無いものがあるようになる!クリエイティブ・ミラクルだ。私の難聴の癒しも医学的に考えてみると、蝸牛の中の繊毛が再生したからだ。WOW!!!
聖書の真理は日本語で考えてはならない。それはニッポンキリスト教を生む。マインドを新たにせよ!(Rom 12:1-2)マトリックスから解かれよ!ピスティス、フェイスとは信。信とは実体でありその立証。内なる神の霊のバイブレーションに共鳴せよ。そして語り出せ。それは現出する。このようにして地において天の御心がなる。創世記の「地を従わせよ」が成就する。Take Dominion! 天が地に下るのだ!究極的に完成されたエクレシアである立方体の新エルサレムは小羊との結婚のため地に降りてくるのだ。PTL!!!