クリスチャン心臓外科医の証
移植を必要としていた患者が祈りにより治癒。さらにオペ台で心肺停止した患者に対して、異言で祈ると蘇生。彼は異言を祈る教会ではなく、異言も知らなかったが、突如、ブレインをバイパスして腹の底から祈りが沸き上がったと。そう、これが霊の祈りだ。
異言はフリをするものでもないし、絞り出すものでもない。それは内側からマインドに関係なく沸き上がるのだ。神はその霊による祈りの内容をご存じであり、それに応答して下さる。知識による祈りは限界があるあるが、霊による祈りは時間的にも内容的にも限界がない。自由に霊的領域にアクセスし、自由にそのサブスタンスを解き放つことができる。
ヒゲアザラシ
ども、おはようございます。
「霊による祈りは無限、知識による祈りは限界がある」
そのとおりかもしれませんね。
でも・・・異言とは? 耳したことがないので未知の世界ですが(^▽^)