プレミレVS.ポストミレ―同じ書を読んでいても・・・
今回、再建主義の富井氏が次のように書いている:
tomi 2016/06/14(火) 23:28
A:パリサイ人の流れ:バビロニア思想→ミシュナー→バビロニア・タルムード→偽メシアによる世界政府
今日われわれが目撃しているのは「第3の世界政府破壊」である2
この世界はキリストの王国である。(1)
キリストの法が支配している。(2)
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イエス・キリストが紀元70年に神の国を開始されてからこの世界はキリストによって支配され、その支配を拒絶する人全員に呪いが下る。(3)
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9-16節から、「家」とは「神の国」を指していることが分かる。
つまり、神の国を建設するはずのイスラエルの民がイエスを見捨てたが、それが基礎となったと。
パリサイ人に主導された当時のイスラエルは、グローバリストの国であった。(4)
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これがイルミナティのトップ中のトップ。
(Edward Hendrie, Solving the Mystery of BABYLON THE GREAT)
彼らが『シオン議定書』を書いた。
この書にあるように、パリサイ人の目的は今日でも「ユダヤ人をメシアとする世界政府の建設」である。
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彼らにとってナザレのイエスは邪魔者である。
当時、パリサイ人は、イエスを十字架につけて殺せば、自分たちの世界政府ができると考えた。
イエスは彼らにとって偽メシアであった。
本当のメシアならば、十字架から降りてきて、ローマ軍と戦い、勝利するはずだと。
しかし、結果は、ユダヤ民族の滅亡であった。
紀元70年に、イエスは再臨され、ローマ軍を通じて、世界政府建設を目指す堕落したイスラエルを裁かれた。(5)
そして、「捨て石」であったご自身を「本当の世界政府」つまり「神の国」のための礎石にされた。(6)
図式化すると、
B:イエス・キリストの流れ:聖書→ナザレのイエスをメシアとする世界政府
この2つの世界政府の戦いこそが、聖書の中心テーマである。(7)
紀元70年に再臨のイエスは、Aを破壊され、Bを確立された。
今日われわれが住む世界が向かっているのは、再度のAの破壊と、Bの確立である。
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実に不思議だ。マインドにおけるパラダイムが、同じ本を読んでいて、これだけ異なるのだ。
(1)これはそのとおり。すでにジーザスの初臨で神の国が地に介入し、現在われわれをとおして拡大しつつある。
(2)今、われわれを支配する法は廃された石の律法ではなく、いのちの御霊の法則。
(3)なぜAD70年なのだろう。すでに十字架上でイエスは「完成した」と言われた。神殿の幕も裂け、そこに刺繍されたケルビムも裂かれた。これは旧約の終わり。それを復活により証明された。昇天されるときに、「天と地の権威はわたしに与えられた」と宣言された。
(4)パリサイ人がグローバリスト?
(5)AD70年の再臨は第一の再臨で、さらに千年期後に第二の再臨があるとか・・・? それでは再々臨であろうに。
(6)イエスは「わたしの国はこの世のものではない」と言われたはずだが。
(7)物理的な五感(血肉)の世界のおける戦いではなく、霊的領域におけるもののはず。しかもすでに主は勝利されている。それを地上において現すことがわれわれの使命。必ずしも世界政府を樹立することではない。これは主の再臨の後に主ご自身がなさること。これがプレミレの立場だ。
そして現在が千年期、つまり文字通り物理的な神の国であるとすることにおいて、もっとも致命的な点は、血肉は神の国に入ることはできないこと(1Cor 15:50)。この旧い創造に属する肉体が霊の体に変貌することによってのみ、文字通り全存在が神の国に入る。今は霊がその領域に関わるのだ。私たちの霊をとおして、神の国のサブスタンスがこの五感の領域に現出する。これがフェイスのパワーだ。
またポストミレを認めるには、黙示録の成立時期がAD70年以前でなくてはならない点と合わせて(これについてはすでに論駁している)、富井氏の説には多々学ぶべき点があり、インスパイアされることも多いが、現在までのところポストレミ、あるいは再建主義を認めるには至らない次第。あくまでも聖書を読むのに、このような視点があるのかと、ひとつのパラダイムとして学ばせていただいている。
-再建主義者富井氏との対話-旧約律法と新約のいのちの御霊の法則
スパムが多くて、一時クローズドしていたハードコア・セッションを再開します。こちらのコメント欄では扱えないようなテーマはこちらまでヨロシクです。