言語マトリックスの罠に落ちるな
昨今、スピリチュアル系、特にニューエイジが隆盛をきわめている。私の書いた記事も紹介しているが、その中に、私が最近用いている単語と同じ単語をニューエイジでも用いている。たとえばチャネルとかポータルとか。で、この単語を見るだけで、Dr.Lukeはニューエイジに走ったとか思われる向きもあると思う。
これは邦語訳聖書の問題点でも何度も指摘しているが、たとえば、霊(pneuma=spirit)と魂(psyche=soul)を、思い(nous=mind)と心(cardia=heart)を混同している場合がきわめて多い。日本語で聖書を読んで真理を理解することは困難なのだ。なぜか、これもすでに指摘したが、pistisを「信仰」と訳した時点でアウト。日本語の世界観が入り込むからだ。pistisは「信じて仰ぐ」のではない!聖書は聖書で定義すること。pistisとはサブスタンスとその立証なのだ(Heb 11:1)。
何を言いたいか。私は、要するに「チャネル」とか「ポータル」と言っても、それは普通名詞として用いているだけ。日本語で言えば、単なる「門」、「出入り口」。そもそも聖書で「天の門」、「ハデスの門」と用いているのだ。もっと言えば、サタンは神の物真似をするだけ。ニューエイジが聖書をパクったのだ。表向きの単語に引きずられないように。そもそも霊(spirit)にしてもニューエイジでもオカルトでも用いている。しかし私たちの使う霊は聖書によって定義されている。物事の表層で判断しないようにお願いする次第。
一言付け加えると、ニューエイジの本質的問題点はイエスの十字架と血潮によらず、人間が神的能力を開発する点。あるいはgodsになろうとする試み。私たちはイエスの十字架と血により、ニュー・クリエーションとされている。この真のアイデンティティーはpistisにより私たちにおいて実体化、あるいはフレーム化される。この時に私たちのマインドがトランスフォーメーションされる必要があるのだ。ここに各人の十字架が働く。私たちのマインドは霊(スーパーナチュラル)と魂(ナチュラル)の接点において機能するのだ。
さらにもうひとつ指摘しておく。ヤコブの逸話だが、ここで出てきた「天の門」とか「神の家」を譬え話と理解する向きがあるようだ。主は「この岩の上にわたしの教会を建てよう。ハデスの門も打ち勝たない」と言われた[1]この辺りはDr.Heiserの新著"Reversing The Hermon"が取り扱っている。。これも譬え話にするのだ。ノー。現実を見てみよ。地獄の門(ポータル)があちこちに開いているではないか。私たちエクレシアは天の門なのだ。神の国のサブスタンスを現すのだ。それが癒しであり、しるし、不思議の形となる。なぜなら神の国はもともとスーパーナチュラルだから。御言葉を2Dの世界に留めてはならない、神は3Dの世界で実際にわざをされるのだ。実体として。神のサブスタンスであるイエスが目で見え、手に触れたようにだ。
References
↑1 | この辺りはDr.Heiserの新著"Reversing The Hermon"が取り扱っている。 |
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