再建主義のポスト・ミレを論駁する

最近、再建主義の富井氏の論も理解できるようになってきたので、一度その主張の矛盾点を整理しておこう。

プリマス・ブレズレンのダービーによるディスペンセイション主義ではプレ・ミレ[1] … Continue reading。つまり千年期前にイエスは再臨され、地上に文字通りのご自身の統治による御国を設立する[2] … Continue reading。それが千年期である。一方、ラッシュデューニーの再建主義によるとポスト・ミレ。つまり現在がすでに千年期であり、黙示録19章までは成就している[3] … Continue reading。すなわち現在は黙示録の20章である(☞富井氏の黙示録図解[4] … Continue reading

再建主義の旗手富井健氏によれば、AD70年にイエスはイスラエルを裁き、旧経綸を終わらせるために最初の再臨をされ、千年期後に二回目の再臨をされる。また携挙も起きたとする。その根拠はマタイ24章(Matt 24:34)でイエスが言う「この時代(genea)」とはせいぜい40年間を指すものであるから、マタイ25章の終末予言はAD70年のローマのタイタスによるエルサレムの裁きのことであるとするのだ。

さらにパウロは「主が再び来られるときまで生き残っている私たち」(1Thess 4:15)と書いているのだから、主の(最初の)再臨はパウロが生きている時代であると(そうでないとパウロは偽預言者となる!)。ゆえに黙示録の19章まではすでにAD70年に成就している。理由は黙示録が書かれたのはネロの時代、つまりAD60年代であるからだ、とする。私たちは通常、ヨハネの晩年であるAD90年代と考えている[5]この論点についてはすでに論駁している→「666の正体は?」。cf.「黙示録は誰に対して書かれたか

ここで私がプレ・ミレに立つ根拠を三つほど述べておきたい:

1.パウロは「生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ」と書いている。この携挙はイエスの最初の再臨の時、つまりAD70年に起きたと再建主義者は言うわけだが、実はパウロはAD70年には生きてはいない。彼はAD60年代にネロにより斬首されているのだ。つまり再建主義の立場に立つのであれば、パウロの預言は外れたことになるのだ。彼は確かに切迫再臨の感覚を持っていた。が、再建主義者の立場においてすら、彼においては成就しなかった、つまり富井氏的視点からは、パウロは偽預言をしたことになる。

2.千年期については黙示録20章に書かれている(Rev 20:6)。しかし、黙示録16章にはこうある:

第三の御使いが鉢を川と水の源とにぶちまけた。すると、それらは血になった。また私は、水をつかさどる御使いがこう言うのを聞いた。「常にいまし、昔います聖なる方。あなたは正しい方です。なぜならあなたは、このようなさばきをなさったからです。」-Rev 16:4-5

ここには「やがて来たる方」とは書かれてない。つまり第三の御使いによる鉢の裁きの前までには、主は来ておられるのだ(Rev 14:14-16)。それはもちろん千年期のである。再建主義によれば、これがAD70年の最初の再臨ということなのだろうか? すると二回目の再臨は黙示録20章以下のどこに書かれているのだろうか? そもそも再臨が二回あるって???(それでは再々臨だろうにと素朴な疑問が・・・。)

3. 黙示録20章にはこうある-

わたしはまた、多くの座を見た。その上には座っている者たちがおり、彼らには裁くことが許されていた。わたしはまた、イエスの証しと神の言葉のために、首をはねられた者たちの魂を見た。この者たちは、あの獣もその像も拝まず、額や手に獣の刻印を受けなかった。彼らは生き返って、キリストと共に千年の間統治した。-Rev 20:4

果たして、現在このような事実が証言されているのだろうか?

とりあえず、この三点を指摘するに留めるが、しかし、同じ聖書を読んでいて、これだけ解釈に差が出る論点もめずらしい[6] … Continue reading。そしてこの違いは、まさに<今・ココ>における私たちの生き方そのものに影響するのだ。

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1 富井氏はディスペンセイション主義は悪魔の教えであり、自分はその教えで人生を失ったと言われる。すべては主の再臨で虚しくなるのだから、仕事も家庭も放棄し、厭世主義的になってしまったと。が、私は再建主義ではないが、「地を治める」ために生きている。仕事も家庭も人並み以上のものを得たし、あらゆる面で祝福されている。現在は来るべき時代の前味わい(foretaste)であるし、主が来られることは大いなる希望である。
2 神の国はイエスの初臨により、すでに到来しており(過去相)、私たちの内に到来しつつあり(現在相)、そして再臨により完全に到来する(未来相)。この三つの相をプレ・ミレでは想定しているのだ。
3 再建主義にも、フル・プレテリスト(すでに新天新地であるとする立場)とパーシャル・プレテリスト(新天新地までは行っていないとする立場)に分かれており、富井氏は後者である。
4 現在、世界統一政府への動きが見られるが、これは千年期の終わりに解かれるサタンの働きである。また終末的事象はすべてイルミナティなどの陰謀であり、ロスチャイルドなどが黙示録的終末の光景を演出しているのであるとする。しかしながら、天における不思議な現象地震などの発生頻度の増加など、これらの自然現象まで演出できると考えているのだろうか?
5 この論点についてはすでに論駁している→「666の正体は?」。cf.「黙示録は誰に対して書かれたか
6 前にも書いたが、一応断ると、私はプレミレに立つが、それは今までのところプレミレを捨てる理由がないからだ。再建主義の主張を詳細に調べても、それを棄却するところまではいかない。もし今後、十分なるエビデンスが与えられれば、私もポストミレに変わるかもしれない。これは数理統計学的思考。すなわちある仮説を立てる。この否定の仮説(帰無仮説)を立てる。帰無仮説の上で今起きている事象の確率計算をして、それが5%未満のとき、帰無仮説を捨てる。これで危険率5%で当初の仮説を否定し得ないとするわけだ(これを「「統計的に5%の有意水準にある」と言う)。私の仮説はプレミレ。帰無仮説はポストミレ(この際、ア・ミレは除いておく)。聖書と世界の諸現象からポストミレが成立する確率を推定すると、今のところきわめて低い。よって、なお判断ミスの危険(これを第一種の過誤と呼ぶ)はあることを承知の上で、プレミレは否定できないとしているのだ。これがサイエンティストの思考法なのだ。なお、第二種の過誤とは帰無仮説が間違っているのに棄却しない誤りのこと。

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