再建主義の謎が一つ解けた

いつもの再建主義の富井氏の論。

  1. 要するに、旧約が終わったので、イスラエルのエルサムが世界の中心でなく、クリスチャンの体が神殿であるゆえに、エクレシアが世界の中心。だから物理的神殿も不要。
  2. 聖書の預言はすべてイエスの初臨により成就しているから、これから終末を迎えることはない。それはAD70にすべて成就した。
  3. 地上にイエスがいる必要はない。地上には聖霊がおられ、イエスは天におられる。キリストが再度地上を歩むとは聖書にはない。
  4. これらに反する教えはユダヤ人による陰謀である。

なるほど・・・。極私的には、彼がなぜユダヤ人が神殿において旧約の儀礼をおこなうことがないと主張するのか不明であった。彼らはいまだに旧約に生きており、ナザレのイエスではない”メシア”を待ち望んでいるとするのが普通の理解だ。彼は自分のミニストリーはユニークであり、世界で唯一であると言う。確かにその通りであろう。

結局、ポイントは「AD70年に旧約が裁かれて完全に終了している」とするドグマがあるわけだ。よって「新約の事実が世界を席巻すべきである」と。そのために「再建主義はサタンの欺きをとん挫させるべく働く」のだと。

旧約は確かに終わった。すべてが新しくなった(2Cor 5:17)。が、現在の経綸では、それは霊的リアリティであり、信じた者がフェイスにより経験することできる(Heb 11:1)。イエスを信じないユダヤ人は、したがってその恩恵にはあずかれない。依然として旧約の世界に生きることになるのだ。だから第三神殿の再建が悲願であり、それが今なされようとしている。何もおかしくはない。

そして彼らはヤコブの苦難を経て、イエスの再臨(再臨は一度だけ!)において、初めて彼らはイエスこそがメシアだったと気付く。

その日、わたしはエルサレムに攻めて来るあらゆる国を必ず滅ぼす。わたしはダビデの家とエルサレムの住民に、憐れみと祈りの霊を注ぐ。彼らは、彼ら自らが刺し貫いた者であるわたしを見つめ、独り子を失ったように嘆き、初子の死を悲しむように悲しむ。-ゼカリヤ12:9-10

その日、主は御足をもって/エルサレムの東にある/オリーブ山の上に立たれる。オリーブ山は東と西に半分に裂け/非常に大きな谷ができる。山の半分は北に退き、半分は南に退く。-ゼカリヤ14:4

この聖句も再建主義においては成就しているわけだ。果たしてオリーブ山が南北に避ける事態がAD70において起きたのであろうか?

前から指摘しているとおり、現経綸においてはいのちの木の路線と善悪を知る路線が並行している。イスラエルとエクレシアの関係もこの3D視点から見ないと、いわゆる置換神学に陥ることになる。一度、ドグマにハマるとそれに突き進むしかなくなるの典型であろう。

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