人の営みとはエデンの園で喪失したものを自力で再獲得する試みである-ニッポンキ業界の根本的病理-

人はマズローの理論によれば五段階の欲求を満たされる必要がある。

これらはエデンの園で喪失したIPPAを自力で獲得する試みとなる。人の営みとはこの喪失を補填することなのだ。これが家庭、社会、国家、そして歴史を形成する。私の言うIPPAとはIdentity(自己同一性)、Provision(生存のための備え)、Protection(生存のための保護)、そしてAsignment(委託=生きる意義)だ。これを主の愛にあって働くフェイスにより実体化(経験化)すること。

私たちは主の愛にあって、これらのすべてをキリストのうちに再獲得している。ところがこれが実体化されないために、キ業界なるマトリックスの中で自力でこれらを獲得しようと努める罠に陥る。これがボクシであれ、シントであれ、いわゆるバーンアウト症候群を生み、ニッポンキ業界に鬱病が多いことで証明される。

だからボクシの説教は金太郎飴、模範シントもほぼ同じ匂いを醸す。その違和感をまず認め、自分を取り戻すこと。キ業界からのエクソダスはそこから、ね!

セコンド・エクソダスはまず各人の内的経験において開始される。ニッポンキ業界における達成によって受容され、承認されようとする罠を抜けること。それはキリストにあって完全に得ているのだから。私たちのすべての働きはまず満たされることから開始される。もしあなたのうちに何かの欠乏感や渇望があるのであれば、それが敵が付け込むトポス(土台)あるいはチャネルとなる。何かをすることへと誘惑されることがないように。私たちのすべては主の甘い愛の中に生きることだ

ブラザーローレンスの証を紹介しておく:

この水を飲む者はだれでも、またかわくであろう。しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう。-John 4:13-14

■追記:

人類の営みはエデンの園で喪失したYHWHによるIPPAを自力で再獲得する”あがき”なのだ。Identity(自己同一性), Provision(備え), Protection(保護), Assignment(委託・生きる意義)をね。そのあがきの舞台がこの世であり、その形跡が歴史となる。

いのちの木の実体であるイエシュアはこれらすべてを満たして下さったのだ(2ペテロ1:3)。が、キリスト教なる営みはそれが見えず、ボクシやシントも奉仕や伝道や献金や礼拝出席などで埋め合わせようとする(アリバイ作り)。これが善悪の木による宗教である。

彼らはつねに欠乏を意識し、まだまだと目先のニンジンを追う。聖霊様の充満~、油注ぎ~、あの教え、この方法、アメリカやカンコクの聖霊に満たされた器~などを追っかけてね。

フェイスはAlreadyモードに安息すること(ヘブル4:10)、宗教はNot Yetモードでのもがきだ(同4:2)。

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