2024年の一言ご挨拶を口上たてまつります-世界線を共有する祝福

新年早々、世界線の交差で大変なことが起きてる2024年。世界線は単に交差するだけではなく、絡み合うこともある。それが人と人の交流、聖書用語では交わり(koinonia;fellowship)だ。エクレシアは「バベル憲章」に生きる者たちではなく、それぞれがイエシュアに直結して生きる有機的生命体。その現場は「教会」と称する建物の中ではなく、家庭であり、職場であり、日常の生活そのものである。一人ひとりがエクレシアの細胞であり、器官であり、それは建物の中の現象でも、社交サロンでもない!

わたしにとって生きるとはキリストである。-Phil 1:21

キリストのために生きるのではなく、To live is Christ. セレブ(集会)では、いわばスピリチュアル・エナジーのチャージを受けるのであり、またビジョンを共有するひとつのセッティングに過ぎない。よって、私たちは「高い会堂を建て、名を挙げて、散らされないようにしよう(大きくしよう)」(Gen 11:4)とする「バベル憲章」とは真逆のスタンスである。絶えず自由に、流動的に、固定化されない。まさにオーガニックである。

極私的には、来る者は拒まず、去る者は追わず。まあ、ニッポンキ業界に不満を持つだけとか、自分の問題解決などを目的として接触してくる人とは長くは続かない。不思議なことに、ただイエシュアのみにフォーカスしている方々とは20年近くか以上のお付き合いがある。YouTubeもPodcastもない、テープをダビングして回す古き良き時代からだ。ここ(FB)にもそのような方々がいて下さる。

また17年以上の交流のある元学生諸君もいる。時に飲んだり、ライブに出かけたりと、お互いの成長を確認しつつ生きている。人生においてこのように世界線を共有できる人々がいて下さることは実に幸いなことだ。互いのボロも受け入れ合いつつ、それが障害とならない熟成されつつある関係。

すでにニッポンキ業界でも、戦後GHQの意向の下で行われてきた「囲い込みの時代」は終わっている。特にコロナ騒動がその囲いを壊した。ある牧師が、最近は信徒が勝手に他の先生のメッセを聴いているので牧会がやりにくい、とぼやいていたが、一言アホ。これがニッポンキ業界のリアルを暴露している。

かつてはぼくのメッセはあちこちの有名どころでも地下でダビングされて回されていたものだが、今や誰でも接点が持てる。囲い込み系牧師がよく「だれだれ先生は危険だから接触しないように」とかお触れを出すことがキ業界の常だったが、それももはやナンセンス。そのようなお達しは逆に興味を深めるし、それに従うような化石オツムとの接触はむしろ丁重にお断りする次第。

ぼくの好きな映画TOPGUNのMavericのセリフ:That’s right, Ice…Man, I am dangerous !

実際、囲い込み系のセンセにはぼくは極めて危険な人物なのだ。しかし、神の言葉(ロゴス)はキリスト教の会、つまり教団や牧師や神父の手の中に束縛はされない。今や、終わりの時代にあって、それは自由に解き放たれている。まことに使徒行伝にこうあるとおりだ:

神の言葉(ロゴス)はますます栄え、広がって行った。-Acts 12:24

「バベル憲章」に立つボクシたちは、何が栄え、何が広がるのか、よく読むべきであろう。

…という次第で、荒れ模様で始まった2024年、これからも倍旧ヨロシクお付き合いの程、お願い申し上げたてまつる次第でございます(時代劇かよ!)。

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