ボディ・コンシャスの覚醒-クライスタイズのカギ-
この茂木氏の論はまことに同意。生体のブレインはボディとの相互作用が必要なのだ。
身体性(embodiment)は、結局、学習のインプット・アウトプットの全体のスキームの頑健性(robustness)及び柔軟性を保証する機構になっている。身体性を持たない深層学習は、そのような生物特有の利点を持たない。だから、ある特定の評価関数の最適化しかできない。AIの進化に身体性は必須だ。
そしてフェイスでも身体性の回復が必要。エクレシアはキリストのボディ。これは譬えではない。そしてその方の充満(プレローマ)だ。
この教会はキリストの体、すべてのものをすべてのものの中に満たす方の充満である。-Eph 1:23(岩波訳)
これは聖霊派の「聖霊さまの油注ぎ~、聖霊様ジュウマン~」とかではない!(これね、実にキムチ臭い)。それはキリストの充満そのもの。つまりキリストそのものである。本日のメッセで語ったが、タイヤキにあんこが詰まっているとする。エクレシアとはあんこを入れる皮ではない、あんこの充満そのもの。つまりあんこ自体だ。「聖霊さまの油注ぎがあって聖霊様が充満する場所」という偽りのマトリックスから解かれよ!
われわれはキリストのボディとして彼の体性記憶を有する。それを実体化されるのが聖霊である。聖霊は今や、ジーザスという人間性を経験した霊として、彼の記憶を届ける存在。だから旧約のただの神の霊とは経綸的に異なるのだ(☞御霊と人の関わりについて)。聖霊派の偽りを捨てよ[1] … Continue reading。現にそのシンボルだったベニー・ヒンは悔い改めであろう(☞最近のベニー・ヒンの聖霊論について)。が、いまだにニッポンキリスト教の聖霊派は変わっていない。
私たちはキリストの体としてボディコンシャスに覚醒する必要がある。これもリバイバル新聞で述べていたが、理解できる人はほとんどいなかった(☞霊的アイデンティティの確立4;霊的アンデンティティの確立9)。聖餐に与る条件は御体の認識。これがなくてパンに与るならば裁きを受ける(1Cor 11:29)。バブル時代はボディコン。また今こそボディコンに覚醒する時である[2]キリストはご自身の体を建て上げておられる。つまりボディビルダーである。。アイ・マイ・ミー・マインのセルフ・コンシャスから、キリストの体としてのボディコンへ脱皮すること。それは同時にクライスタイズ(Christize)されることでもある。以下、メッセを参照のこと。
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