人は自分が”頼りとするもの”に応じた末路を迎える

あの偉大な業をなしたモーセは岩を叩いて水を出した奇跡の前例に従って、岩に命じよと言われた主を信じないで、再度岩を叩いたため、良き地に入ることを禁じられた。

ダビデに反逆した自他認ずる美しさを誇るアブサロムは髪も豊富だったが、それが木の枝に絡んで吊るされたところをヨアブにとどめを刺された。

ヘロデ(アグリッパ1世)は王座から演説をし、大衆から「これは神の声だ、人の声ではない」と”賞賛”(=世辞)を受けた直後、主の使いによって打たれ、虫に刺されて息絶えた。(注:ヘロデとは「英雄的」の意味)

キャサリン・クールマンやジョン・ウィンバー、またビル・ジョンソンの妻のように、癒しを”売り”にする者はしばしば心臓病や癌で死ぬ。自分の”売り”が致命傷となる。

癒しや奇跡を売り物にしたT.B.ジョシュアは会堂が倒壊して多数の死傷者を出し、自身も急死した(原因は公表されていないが、時期的にコロナもあり得る)。

かくしてあなたの名によって徴・不思議をなし、悪霊を追い出し、預言したではありませんかと自己の功績を主張する輩はイエシュアにより、まったく知らないと拒絶される。

先に書いた湘南の豪邸婦人も、終末に備えて物資を備蓄していたが、当のご本人が逝ってしまった。彼女は頼るべき対象を誤ったのだ。

高い塔の会堂を建て、有名になって、散らされないようにしようのボクシはその野心が致命傷となる。ガラスの会堂を誇った繁栄の神学のロバート・シューラーを見てみよ。最期は破産して終わった。

先のブランチ・ダビデアンの教祖コレシュ(=キュロス;火を持つ者の意味)も名前の通り、終末預言解釈を誇り、炎の中で死んだ。

再建主義の旗手富井健氏も自分の論敵にアナテマを送り、コロナも魔女によるブルーウェーブだから、主によって勝利すると宣言しつつ、コロナであっけなく逝った。彼は自分の神学を絶対とし、それに反するもの(ディスペンセイション主義など)を悪魔の教えと断罪していた。

要するに”アイ・マイ・ミー・マイン”は致命傷となる。アーサー・ホーランドのようにマッチョボディやハーレーを”売り”にする者はそれに応じた末路を辿る。まして生誕祭などを受け入れるとは、愚かさの極みだ。おのれの頼りとするところ、誇るところ、ウリにするところ、これがその者の致命傷となる。

なぜなら―

しかし、このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです。-Gal 6:14

誇る者は主を誇れ。・・・多くの者が肉に従って誇っているので、わたしも誇ることにしよう。誇る必要があるなら、わたしの弱さを誇りましょう。-1Cor 10:17;11:18;30

福音の真理を語ることにおいては、自己や自己の功績を持ち出すことは主がもっとも嫌うことだと肝に銘じるべきである。つまり主は栄光を他の者に渡すことは決して許されない。

わたしは主(YaHaWeH)、これがわたしの名。わたしは栄光をほかの神に渡さず、わたしの栄誉を偶像に与えることはしない。-Isa 42:8

ニッポンキ業界の聖会などで頻繁に唱えられる「すべっての栄光をかみっさまにお返しします~」といった臭いマントラは偽善の象徴である。有名どころの末路を見てみよ。特にキ業界でヨイショされた連中のそれを。

真にYaHaWeHの栄光に触れることは、その重さによってひれ伏すしかなくなるものである。栄光(Kabod)とは「重さ」の意味である。マントラなどは入り込む余地はない。

この10年以上、篩い分けの時代であると言ってきているが、コロナがそのために用いられた。篩われる者と留まる者が明確に分けられる時代である。それはすべてわれわれの動機によるのだ。主は外見や達成ではなく、心を見られるお方だから。

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