とあるとおり、これは四役である(∵ある人×4回)。牧することと教えることの機能は重なっている同一の機能である[4]英訳では”some pastors and teachers”、接続詞は”and”、「A and … Continue reading。ちなみにキリスト教という宗教システムに組み込まれると、ポイメンが牧師となり、伝道者は時に伝道師ともなるが、預言者は預言師とはまだ言わない。そこで彼らは「五役の回復」とかのスローガンの下、いずれキリスト教に組み込まれると預言師も出現するのかもしれない。
英訳では”some pastors and teachers”、接続詞は”and”、「A and B」はAとBが共に真の時のみに真となる命題である。論理学的にも別々ではないのだ。「五役」なる解釈は、一度、キリスト教で刷り込まれると、御言葉を通り越してその刷り込みが伝統、習慣として固定化することの実例である。
It is the wonderful potential of human beings to repent of their sins and be baptized in the family name of YHWH and have an elder lay hands on them for the receiving of the Ruach H’Chodesh (Holy Spirit) and become a literal child of Elohim.
しかし、YaHaWeHエロヒムはMORE THAN ENOUGH。エロヒム族はすべてを余剰価値、つまり余った分でこなすのだ。ぞうきん搾りの悲喜劇からエクソダスせよ! なぜなら12のかごはパンくずで満ち溢れているから。われわれ異邦人は机の上からこぼれるパンくずで十分なのだ。否、主の恵みのパワーは十分を超えるのだ。
この霊はエロヒムの霊、この霊を受けたものはYaHaWeHエロヒムの霊的DNAを組み込まれたニュークリーチャー。この霊こそが新しいアイデンティティであり、これからすべての天的なものが流れ出るのだ。聖も義もフェイスも、あらゆるYaHaWeHエロヒムのすべてがそこにすでにある。その方はHAYA ASHER HAYA=I-AM THAT I-AM=であるゆえに。そのI-AMが私にとってのXとなられる(ginomai)。ゆえにI-AM THAT I-AM X。このXに私たちのあらゆるニーズを代入することができる(☞I-AMのパワー)。これが「わたしの名にあって祈り求める」の意味である。
エロヒムは霊的生命体の総称であることは何度も繰り返している。いわゆる白いキリスト教はこの概念を取り違えていわゆる一神教を生み出した。エロヒムは生物の分類の「ドメイン」とか「属」とか相当するメタ概念であり、その最も高きエロヒムがありてあるYHWH (EHYAH ASHER EHYAH) である。この詩編ではElyon (The most High)とされている。