- 2025-06-18
iDLE UTTERANCE
Dr.Luke的日々のココロ
タグ: レーマ
News special

注目すべきヨブ記と通底する神道神職の指摘-ヘブル11:1のフェイスに定冠詞はないがその意味は?
こちらの神職さんの発言、実に興味深い。まずは一読されたい。 9 …
こちらの神職さんの発言、実に興味深い。まずは一読されたい。
9割の日本人は勘違いしているけど「心配する」ことは、相手を呪うことと同じなんだよね
・子供の将来が心配
・夫の健康が心配 ・愛する人が無事でいられるか心配 もちろん心配って相手が好きで大事だから、生まれてしまう感情なんだけど… それは、
・子供が将来社会から落ちこぼれること
・夫が病気になってしまうこと
・愛する人が事件や事故にあうこと
これを想定してイメージしていることと同じなの 心配性の人は是非とも理解して欲しいことがあるのね
それは「人の意識が現実を創る」ってこと あなたが心配すればするほど、その現実を創造することになるんだよ だから… 心配するんじゃなくて「信じましょう!」
・この子の将来は安泰
・夫はずーっと人生を楽しめる
・愛する人は今日もちゃんと守られている
あなたがそう信じれば、ソウなりますよ
神はそれほどの力を人間に与えたのです
そしてその力を幸福な未来のために使いましょうよ
おおらかに幸福な未来を信じる!
これが神道的な生き方の基本です!
なんと面白いではないか。霊的法則を見事に喝破している。ヨブ記についてはすでに何度か書いているが、その悲劇のメカニズムはまさにこの方の指摘通りなのだ。
ヨブは正しい人であったが、サタンの訴えに対して神が許しを出したので、あのような悲劇を経験した。なぜ神は~・・・として、人間の不条理な実存的状況と神の意志との関係がうんちゃらかんちゃらって眉間に皺寄せる神学者たちのハマルティア論が誕生する。
しかしフェイスの法則から見れば実に単純なメカニズムである。彼はすでに息子たちのことを案じていた。また自分に不運がもたらされることを予期し、恐れていたのだ。ニューエイジ的に言えば、引き寄せの法則である。
事実、彼は-
こうして祝宴の日が一巡すると、ヨブは彼らを呼び寄せ、聖別することにしていた。彼は翌朝早く、彼らひとりひとりのために、それぞれの全焼のいけにえをささげた。ヨブは、『私の息子たちが、あるいは罪を犯し、心の中で神をのろったかもしれない。』と思ったからである。-Job 1:5
これは彼の敬虔な信仰の表明行為であったとするむきもあるが、それはハマルティア。書いてある通りに理解すべきであろう。そして彼には次々に災いがもたらされたが、これは神が意図されたことではない。ヨブのフェイスに穴がすでに開いており、そこにサタンがつけ込んのだ。むしろ神はヨブを守ろうとしている(Job 1:12)。
そしてヨブは 「私の最も恐れたものが、私を襲い、私のおびえたものが、私の身にふりかかったからだ。」Job 3:25)と告白する。まさにこれがヨブ記の本質なのだ。
”FEAR”(恐れ)とは”False Expectation Appearing Real”である。ネガティブ・フェイスとも言える。現にガンになる人はしばしば、やっぱりだと呟くことが多いと聞く。例えばこの方。
「あなたはがんです」と言われた瞬間、いちばん最初に思ったのは、正直に言うと「やっと私の番がきたな」でした。 私は小さいときから梅宮家のみんなががんにかかるのを見て育ち、いつか遺伝で自分もがんになると思っていました。父、梅宮辰夫は36歳で肺がんになり、4年前に81歳で逝去するまでがんと一緒に生きました。父の2人の妹もそれぞれ大腸がん、乳がんにり患しました。 だから、がんを告知されたときもあまり驚きませんでした。
想念は言葉として放出される際、霊が乗るのだ。これが日本語で言われる言霊である。ポジティブ・フェイスは聴いた御言葉にフェイスの霊を混ぜて(Heb 4:2)語り出すとき(2Cor 4:13)、それは御言葉のサブスタンスを実体化する。ヘブル語の言葉は”Dabar”であり、その意味は単にラベルとしての意味だけでなく、実体・実質の意味を持つ。
ヘブル11章1節のフェイスには定冠詞はない。つまりいわゆる聖書的フェイスに限るものではない。それはスピリチュアル・パワーとしての霊的能力を定義する。
「いま、フェイスとは願われるサブスタンス(実質・実体)、まだ観測されていない事実のエビデンス(現出)である。」-Heb 11:1(私訳)
これをいわゆる超能力者やニューエイジャーも用いているのだ。ただし、彼らがスピリチュアル・スフィアにコンタクトするチャネル(ポータル・門)はイエシュアではない。別のチャネルを用いている。つまり彼らのフェイスはリアルである。世のサイエンス的には「パラサイコロジー」と呼ばれる現象が生じる。これを頭から否定しかかるキリスト教徒は逆に見透かされているのだ。
かくして、人類は物理領域だけに生きる者たち(Sarxikos)、精神的領域に生きる者たち(Psuchikos)、そして霊的領域に生きる者たち(Pneumatikos)と分けられる。それぞれ、第一コリント書3章1節、2章14節。そして2章15節に啓示されているとおりである。神道者も十分に霊の領域の法則を知っており、それを用いているのだ。むしろキリスト教徒は空理空論の神学で霊の経験はほぼ欠如している。今のニッポンキリスト教界の惨状を見れば明らかであろう。
かつてニューエイジ的映画『スターウォーズ』に「フォース・アウェイクン」という作品があった。そして「フォースを使え!」と。彼らから霊的経験をゲットバックせよ。われわれは「フェイス・アウェイクン、フェイスを使え!」と。

〔神は〕彼を万物を受け継ぐ者とし、彼を介して世々を造ったのであった。彼は神の栄光の反映(反射・放出・放射・流出)、〔神の〕実体の刻印であり、その力ある言葉(レーマ)によって万物を担っており・・・-Heb 1:2-3
この栄光と卓越した力によって、私たちには貴い偉大な約束が与えられている。それは、これらにより、あなた方が、この世界がもたらす、そして欲望がもたらす滅びから逃れて、〔イエスの〕神的な本性に参与するようになるためである。-2Pet 1:4(岩波版)
キリストの内に〔こそ〕神性の全き充満が形態化して宿っており、あなたがたはキリスト-すなわちあらゆる支配と権威の頭-にあって満々と満たされているのだから。-Col 2:9-10(岩波訳)

Dr.Lukeのショート・ショート:世界はYHWHのレーマのフレーム化-局所実在性は幻想である
2022年の物理ノーベル賞の業績は量子のエンタグルメントによる …
2022年の物理ノーベル賞の業績は量子のエンタグルメントによるベル不等式の破れの証明だった。これは隠れた変数を否定する、言い換えるとモノの局所実在性を否定する驚くべき結果であった。
アインシュタインはエンタングルメントをスプーキー(気味が悪い)現象と呼んだ。簡単に言えば、相対論では光速が物理的現象の限界であるが、ふたつのエンタングルメントした量子は、それを超えて瞬間に相関するというものである。専門の学者の解説をどうぞ。
そこにモノが実在するという、極めて常識的なコトが否定されたのだ。え、目の前にモノはいくらでもあるでしょう?! いや、それは幻想であると。えっ、では、この世界はいったいどうやってできているの?! ここで物理からフェイスの領域に入るのだ。
信(フェイス)によって、この世が神の言葉(レーマ)によって造られ(フレーム化され)たこと、したがって見えるものは知覚しうるものから生じているのではないことを、私たちは理解している。-Heb 11:3(岩波訳改)
お分かりだろうか。究極の存在とはI-AMなるお方のことば、レーマであるというわけだ。
彼(御子)は神の栄光の反映(流出)、〔神の〕実体の刻印であり、その力ある言葉(レーマ)によって万物を担っており・・・。-Heb 1:3(岩波訳)
まことにバイブルは、数式を使うことはないが、サイエンスの先を行っているのだ。

文科省教科書で規格化された公立学校教師の授業などはつまらん。対して規格化されていない予備校講師の講義はその個性が発揮されて、多少のバイアスはあろうが面白い。現在、無料で彼らの個性的な講義が聴ける。
G-Kidの通う東大に80名前後入る進学校では教師が独自のカリキュラムで自由に教える。方針は予備校や塾に行かずとも内部で十分な情報と訓練を提供すること。本人や親にとっても二重の通学や学費負担から解かれる。部活も課外活動も活発。かくして当たり前に東大に入る。今後、鉄緑会などの超進学校に特化した処以外の予備校や塾も淘汰されるだろう。
ニッポンキ業界もYouTubeなどで規格化されていないDr.Lukeのようなメッセに触れるチャンスが生まれている。これが迷惑なセンセイもいるだろうが、規格化された不味い説教を半強制的に聴かせる囲い込みの終焉の流れはもはや止められない。あとは情報を選択する視聴者のモチベーションとリテラシーの向上次第でいくらでも質を高めることができる。
さらにディープラーニングによるAIなども今後幾何級数的に性能を向上させ、対話してる相手が人間なのかAIなのか区別がつかなくなるだろう。公立学校の退屈な授業などに出る必要もなくなるし、ボクシのつまらん説教を聞くために礼拝に出るまでもなくなる。
ダニエル書に―
終わりの時が来るまで、これらの言葉を秘密にし、この書物を封印せよ。多くの者があちこち訪ねまわって、知識が増すであろう。-Dan 12:4(岩波訳)
とあるとおりだ。
では人間がメッセする意義はどこに担保されるのか。それはスピリットであり、ゾーエだ。善と悪の判断すらAIができるようになるだろうが、いのちはAIが置き換わることは決してできない。イエシュアは言われた、
わたしが話したレーマはいのちであり霊である。人を生かすのは霊であって肉は何の役にも立たたない。-John 6:63
YHWHのエコノミーとはZoeのいのちの分与と成長・増殖である。
エロヒムの成長を成長する。-Col 2:19(原文、田川と岩波訳は正確)

- 引用聖句:Heb 1:3;11:3;Phil 4:13;Luke 1:37;Matt 8:8;14:28;Esther 8:8Col 2:7-10;1John 1:3;2Pet 1: etc.
- 次回:2023年1月22日(日)
- 場所:NATULACK石川町元町店3F
- 時間:13:00-16:30
- プレイヤーMTG:しばらくお休み
- セレブレーションのライブ録音DVD:希望者にお分けできます。1ヶ月分、3,000円(原則4DVD);あるいは希望のタイトル1枚1,000円にて。ご注文はオンラインショップへ。

- 引用聖句:Rom 4:11;Esther 8:8;Heb 1:3;11:3;2Cor 4:17 etc.
- 次回:2023年1月15日(日)
- 場所:NATULACK石川町元町店3F
- 時間:13:00-16:30
- プレイヤーMTG:しばらくお休み
- セレブレーションのライブ録音DVD:希望者にお分けできます。1ヶ月分、3,000円(原則4DVD);あるいは希望のタイトル1枚1,000円にて。ご注文はオンラインショップへ。

これは興奮しますね、昨年のノーベル賞のテーマ、ベル方程式の破れ。それは局所的実在性というより、実在性そのものが壊れていることの証明であるとHotta先生。
一方で、素粒子物理学の加速器実験では、10のマイナス18乗メートル程度の微小な世界でも、局所性を保つ相対論的場の理論で正確に記述されていることが、既に知られています。したがってフェアな実証科学的立場をとるのならば、ベル不等式の破れは、局所性ではなく実在性が壊れていることを意味します。
— Masahiro Hotta (@hottaqu) January 6, 2023
では、なぜ宇宙は、またわれわれは”存在”するのか。聖書的に言えば、世界(アイオン)がYHWHエロヒムのレーマによりフレーム化されたように、現在も御子のレーマによって支えられているのだ。
彼(御子)は神の栄光の反映(流出)、〔神の〕実体の刻印であり、その力ある言葉(レーマ)によって万物を担っており・・・。-Heb 1:3(岩波訳)
つまりYHWHエロヒムのレーマの流出と反響がこの宇宙を成り立たせている根源である。それはYHWHエロヒムのバイブレーション。
聖歌隊の指揮者によってうたわせたダビデの歌 もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。
この日はかの日に語りつたえ、この夜は知識をかの夜につげる。
話すことなく、語ることなく、その声も聞えないのに、その響き(=バイブレーション)は全地にあまねく、その言葉(=ミレー)は世界のはてにまで及ぶ。神は日のために幕屋を天に設けられた。-Ps 19:1-4
この宇宙には五感では知覚されずとも”何か”が満ちており、伝搬している。つまりYHWHエロヒムの弦の振動としてのマトリックスなのだ。それと感応して、受信すること。そして語り出すこと。これがフォティーゾである。それはうちなるいのちを与える霊となられたキリストを知ることである。
それは彼らの心が励まされ、愛において一つに結び合わされ、満ち溢れるばかりの、まったく欠けるところのない豊洞察に、神の奥儀の認識に、〔すなわち〕キリストの〔認識〕に至るように〔と願ってのことである〕。この方の中に知恵と知識のすべての宝隠されている。・・・キリストの内に〔こそ〕、神性のまったき充満が形態化して宿っており、あなたがたはキリスト-すなわちあらゆる支配と権勢の頭-にあって満々と満たされているのだから。・・・体全体はこの頭によりもろもろの関節と靭帯を通じて支えられ、一つに結び合わされ、神の成長を成長するのである。-Col 2:2-19(岩波訳)
その時、あなたはソレをゲットする! 2023年、あなたの思いが形になって現出する年である。

Anyone who becomes seriously involved in the pursuit of science becomes convinced that there is s spirit manifested in the laws of the universe, a spirit vastly supelior to that of man. -Albert Einsten
「科学を真剣に追求する者たちはみな、宇宙の法則の中にはある霊が存在することを確信させられる。それは人間の霊をはるかに越える霊である。」-アルバート・アインシュタイン
All matter originates and exists only by virtue of a force. We must assume behaind this force is the existence of a couscious and intelligent Mind. This Mind is the matrix of all matter. -Max Planck
「あらゆる物質はある力によって生み出され、存在するに至った。われわれはこの力の背後に意識的かつ知的なマインドの存在を認めなくてはならない。このマインドはあらゆる物質のマトリクスである。」-マックス・プランク
聖書にはこうある:
・初めに(=時間)神は天(=空間)と地(=物質)を創造された。-創世記1章1節[1]創世記の「初め」は時空間の開始点としての初めであり、ヨハネ福音書の「はじめに」は時空間を超えた永遠の領域におけるはじめである。
・神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。-ローマ書1章20節
・神は霊である。-ヨハネ福音書4章24節
・託宣/イスラエルについての主の言葉。すなわち天をのべ、地の基をすえ、人の霊をその中に造られた主は、こう仰せられる。-ゼカリヤ書12章1節
・信によって、わたしたちは、この世界が神の言葉(=レーマ)で造られたのであり、したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟るのである。 -ヘブル書11章3節
最近の『超弦理論』では11次元時空間における膜構造をなすスーパーストリングの振動、バイブレーションが宇宙を構成していると言う[2]アイキャッチ画像は11次元のうち、丸まっている6次元空間。カラビー・ヤウ空間と呼ぶ。その性質はまだほとんどわかっていない。。聖書はすでに紀元前千年頃にこう言っている:
・その響き(=弦)は全地にあまねく、その言葉は世界のはてにまで及ぶ。-詩篇19篇4節
現代物理学の最前線では神の存在を認めざるを得ないのだ。この神とはYHWHエロヒム、エロヒムの中の最も高き存在Elyon、日本のアニミズム的「八百万の神」ではない[3]これらの神々も世界に配置されたエロヒムとも言える。。宇宙のクリエイター、創造主そのもの。最近は「サムシング・グレイト」によるID理論(インテリジェント・デザイン説)が欧米のサイエンティストに流行しているが、この存在は誰か。私の著書『神の新創造』ではこれらのアインシュタインやプランクの発言に応答する内容となっている。

今晩は中秋の満月だ。美しく月が光っている。ちょっと宇宙に思いを馳せてみた。

一部のクリに「宇宙は存在しない」とか、「地球が平らだ」とかのたまうむきがある。ほぼ相手にするまでもないのだが、これまでサイエンスの先人に対する冒とくである。またキリストの名を貶めることにもなる。
さて、もっと突き詰めると、「存在って何か」ってことにぶち当たる。量子論のレベルで、ベルの不等式がアスペにより否定されたことによって、局所的実在性が否定された。いわゆるエンタグルメント現象である。量子コーチなるものはせめてこの程度の知識は得てからにしてほしい。
すると次のような主張も重みが出るのだ。
EMAN氏はこう述べている(https://eman-physics.net/quantum/bell.html):
舞台裏に何がある
我々の生存,いや我々だけでなく,全ての存在の舞台となっているこの宇宙.その舞台裏に,離れた 2 点間の状態を「同時」に操る仕組みが存在している.この「同時」というのは,我々が考える時間の概念を超越した意味での「同時」だ.なぜなら時間は,現在の理解の枠組みでは,この宇宙という舞台の一部であるから.・・・
個人的な思索
私は物理を離れたところでふと思う.私は宇宙の片隅にいるちっぽけな存在に過ぎないが,私が取った行動,決断,思いの全てが,即座に全宇宙のあらゆる場所に何らかの影響を与えているのではないだろうか.この宇宙は巨大で複雑な「生き残り頭脳ゲーム」のようなもので,私は普段の生活で何の気も無しに重要なレバーを引っ張っていることがあるのかも知れない.
あるいはこんなことを思ったりする.
私は今ここにいて,この小さな身体が私の全てだと思っているが,この私という存在は,全宇宙が複雑な組み合わせによって,この場所に作り出した影のようなものに過ぎないのではないだろうか.私をここに生かすために全宇宙規模で複雑な計算が行われている.私の本体は全宇宙であり,私の意志はどこか別のところで全宇宙を用いて決定されているのかも知れない.
この「仕組み」とは何か?聖書ではこう答えている:
” Through faith we understand that the worlds were framed by the word of God, so that things which are seen were not made of things which do appear. ”-Heb 11:3(KJV)
「信によって我々は、此の世が神の言葉によって整えられたのだ、と理解している。すなわち見える事象は(表面に)現れた現象から生じたわけではない。」同田川訳
「 信によって、この世が神の言葉によって造られたこと、したがって見えるものは知覚しうるものから生じているのではないことを、私たちは理解している。」同岩波訳(信に訂正)
世とはアイオン、言葉はレーマだ。つまり神のレーマは時空間を超える存在(サブスタンス)。これが時空間においてフレーム化(物質として実体化)されたと言うわけ。
まさにベル不等式のほころびはこの時空間を超える「仕組み」-マトリックス-を想定せざるを得ないのだ。
なお、フェイス(pistis)を「信仰」などとすることなかれ。それは五感を超えるスーパーナチュラルにしてスピリチュアルなシックスセンスである。「使徒信条告白~、われはナントカを信ず~」なんてものではないからさ。私たちニュークリーチャーは時空を超えたスピリチュアル領域でキリストとエンタグルメントしているのだ。

神にできないことは何一つない。ルカ書1:37の聖句だが、これがまた不適訳。神のレーマには不可能はないが正解。つまり語り出された言葉(レーマ)があるときに不可能が可能になる。

ペテロが水の上を歩いたのも、イエシュアの言葉があったから。百人隊長も、お言葉をくださいと願ったのだ。その言葉もないのに水の上に足を伸ばせば恥をかくだけだ。笑い話だが、これが笑えない。マジでやる人がいるから。
かつてあるご婦人が乳がんを発症したが信仰で癒す~とやって咲花状態になり、結局は死亡した。悲喜劇である。ぼくの友人も膀胱がんを聖水で癒す~とやって、何度も医学を勧めたが手遅れで死んだ。
いいですか、現代において神は、基本、疾病に対しては一般恩恵としての医学に任せなさい、医学を利用しなさい、と語っているのだ。それに従うことがフェイス。医学とフェイスは対立しない。コロナを信仰で癒す~とかは社会に迷惑をもたらすだけ。イエシュアの御名を貶めるのだ。
Kenneth Copeland healed viewers of the coronavirus through their televisions last night. pic.twitter.com/8lwHufTIy4
— Right Wing Watch (@RightWingWatch) March 12, 2020
アメリカのボクシにも信仰でコロナに勝つ~とやって死亡したのがいた。有名テレバンジェリストも遠隔治療とかやっているが、いかがわしい限りである。

この記事は実に面白い。かつて学生時代に読んだ京大の小針氏の確率論の中で、妄想であるとしつつも、この三つの等価性を予言されていた。今日、まことに物理理論として提案されているのだ。
- There is no dark matter. Instead, information has mass, physicist says
- The mass-energy-information equivalenceprinciple
この論文の中で提示されている三つの等価性の図

もしこれが真理であるとすれば、YHWHのレーマを解放することは物理的領域のエネルギーや質量の分布を変えることになるのかもしれない。女が主の衣の房に触ったジーザスはデュナミスが流れ出るのを感じたのだ。
この記事の中で示した聖句の重みを覚える次第である。
By faith we understand the ages to have been framed by the Word of YAHWEH, so that the things seen should not come into being out of things that already appeared. –Heb 11:3 (HRB)
信仰によって、この世(アイオン)が神の言葉(レーマ)によって造られた(フレーム化された)こと[1]ここは「レーマに適合するように(adjust to)」とある(CLV)、したがって見えるものは知覚しうるものから生じているのではないことを、私たちは理解している。(岩波訳)
われわれもまたキリストの内にインヒュージョンされた者として、キリストと同じわざをなし得るのだ。それはYHWHの言語を用いることによる。状況に対して「ある(haya)」とされたYHWHの言葉(dabar)をスピリットにより語り出す。それがレーマであり、このように語り出されたYHWHの言葉は無益に帰ることはないのだ(Isa 55:11)。
これを私はこのように定式化している:<レーマ=ロゴス×スピリット>。フェイスはスピリットである。つまりロゴスとフェイスを混ぜること(Heb 4:2)。その時、<客観的事実(霊のサブスタンス)×フェイス=主観的経験>となるのだ。
フェイスを語り出せ! 山は動き出して海に沈む!

この記事は面白い。時間と空間、つまり宇宙[1]「淮南子 (えなんじ) 」斉俗訓によれば、「宇」は天地四方、「宙」は古往今来の意で、空間と時間の広がりを意味する。は量子論的エンタングルメントで形成されるとの説だ。
現代物理学では観測し得る領域の外にある「何か」を想定しないとならないフェーズに入ってきているのだ。聖書ではこう啓示されている:
By faith we understand the ages to have been framed by the Word of YAHWEH, so that the things seen should not come into being out of things that already appeared. -Heb 11:3 (HRB)
信仰によって、この世(アイオン)が神の言葉(レーマ)によって造られた(フレーム化された)こと、したがって見えるものは知覚しうるものから生じているのではないことを、私たちは理解している。(岩波訳)
時代はスピリチャリティーとサイエンスの邂逅あるいは融合のフェーズに入ってきているのだ。キリスト教神学などのマトリックスからエクソダスせよ。
References[+]
↑1 | 「淮南子 (えなんじ) 」斉俗訓によれば、「宇」は天地四方、「宙」は古往今来の意で、空間と時間の広がりを意味する。 |
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我々が五感の領域で経験するあれこれ、それは何によって生み出されているのだろう。「あれこれ」とはアイオン(αἰών)、Strongによればこうある:
From the same as G104; properly an age; by extension perpetuity (also past); by implication the world; specifically (Jewish) a Messianic period (present or future): – age, course, eternal, (for) ever (-more), [n-]ever, (beginning of the, while the) world (began, without end). Compare G5550.
Vincentはこう解説している:
Lit. the ages. The world or worlds as the product of successive aeons.
つまりわれわれの時系列的経験、五感によって感知される諸事象を意味する。そしてヘブル書はアイオンは目に見えるものから生じるのではなく、見えないものから生じると証言する:
信仰によって、この世が神の言葉によって造られたこと、したがって見えるものは知覚しうるものから生じているのではないことを、私たちは理解している。-Heb 11:3(岩波訳)
Through faith we understand that the worlds were framed by the word of God, so that things which are seen were not made of things which do appear. (KJV)
「言葉」はレーマ、「造られ」はフレーム化あるいはレンダー、すなわち五感の領域にあらしめるの意味(田川訳では「整える」)、「理解している」の原意はヌース(思い)により把握する、である。信仰という単語は不適切であるとすでに繰り返しているが、フェイスとは五感を超えたシックスセンスであり、スーパーナチュラルなスピリチュアル・パワーである。
現代量子論によると、量子は波動でもあり粒子でもある。ド・ブロイは物質は波であるとして、λ=h/mv=h/p (p=mv)とした。λは波長である。これを波動方程式に組み込むことによりシュレディンガー方程式が構成され、それは実験結果ときれいにフィットした。ところがその意味が問題となった。波動関数φとは何か。ボーアやアインシュタインとの論争の中で、それは粒子の発見確率を意味するとされた[1]φの絶対値の二乗|φ|2が確率密度関数を表すとするもの。。つまり波動は局所的実在としての波ではなく、確率分布という情報であるとするのだ。
これは局所的実在を否定するペル不等式の破れと言う形で証明されることになった。詳細は省略するが、二つの波動関数を共有する量子は距離に関係なく一方のスピンが決まると他方のスピンが決定してしまう。すなわち光速を超えて情報が伝達するという、相対性理論と合致しない現象の存在が証明されてしまったのだ。これをエンタグルメントと呼び、アインシュタインはspooky(不気味)な現象と呼んだ。
つまりこの量子は「五感で感知される時空間を超えて存在する何か」とするしかなくなるわけだ。このことを「局所的実在性が否定された」と言う。なんとも不思議ではないか。この世界を造る物質を分解していくと、分子→原子→電子・中性子・陽子→クオーク→弦となるのだが[2] … Continue reading、その電子などの量子は局所的実在ではない何かなのだ。では私たちの体はいったい何なのだ? 確かに五感によって知覚されているではないか、しかしその究極的構成要素は五感の領域を超える何かであるとは???
まさに「見えるものは知覚しうるものから生じているのではないことを、私たちは理解」せざるを得ないのだ。それはレーマすなわち言葉すなわち情報がフレーム化したもの、あらしめられた(レンダーされた)ものなのだ。パワーポイントで投影された映像は、もとをただせば0と1の集合体、あるプロトコル(規則)に従って構成されたマトリックス、すわなち情報である。それがPCとプロジェクターによりフレーム化(レンダー)されたものである。0と1の集合体はわれわれはその意味をすぐには理解できないが、フレーム化(レンダー)されるとき、五感で感知し得る意味が生じるのだ。これと同じことをヘブル書は説いてる。
さらに、もっと原意に正確に訳すと
By faith we are apprehending the eons to adjust to a declaration of God, so that what is being observed has not come out of what is appearing.(CLV)
アイオンは神の宣言に適合するようにあらしめられるのだ。神の宣言とは語り出されたロゴス、ヘブル語ではダバー(dabar)、それは実質・実体そのものである。われわれが五感の領域で感覚/知覚して経験する事象はYHWHエロヒムの発出したロゴスそのものに適合するあり方とされたアイオンである。
そしてヘブル書は宣言する:
神は、むかしは、預言者たちにより、いろいろな時に、いろいろな方法で、先祖たちに語られたが、この終りの時には、御子によって(の中で)、わたしたちに語られたのである。神は御子を万物の相続者と定め、また、御子によって(を通して)、もろもろの世界を造られた。 御子は神の栄光の輝きであり、神の本質(ヒュポスタシス)の真の姿であって、その力ある言葉(レーマ)をもって万物を保っておられる。-Heb 1:1-3
御子とはYHWHエロヒムのロゴス(John 1:1)、すなわちダバー(dabar)、実質・実体である。ここで大切な点は、YHWHエロヒムは御子にあって語られた(アオリスト)ことである。すでに語られた(過去形)。つまりYHWHエロヒムは御子にあってすでに宣言されたのである。何を?
しかし、聖書に書いてあるとおり、「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い浮びもしなかったことを、神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた」のである。-1Cor 2:9
五感では知覚できない、思いにも浮かばないことである。そしてそれは
なぜなら、神の約束はことごとく、彼において「しかり」となったからである。だから、わたしたちは、彼によって(あって)「アァメン」と唱えて、神に栄光を帰するのである。あなたがたと共にわたしたちを、キリストのうちに堅くささえ(確立し)、油をそそいで下さったのは、神である。-2Cor 1:20-21
For as many promises as are of YAHWEH, in Him they are yes, and in Him are Amen, for glory to YAHWEH through us. But He confirming us and anointing us with you in Messiah is YAHWEH, even He having sealed us, and having given the earnest of the Spirit in our hearts.(HRB)
旧約において提示された神の約束はことごとくキリストにあって「アーメン」とされた。これは単に「アーメン」というセリフを唱えることではなく、その原意「アマン(אָמַן)」、すなわち「現わしむる・レンダーする」ことである。キリストこそはYHWHエロヒムの約束の成就された実体そのものなのだ。その方は死と復活を経ていのちを与える霊となられ(1Cor 15:45)、われわれのうちに聖霊により内住され、われわれもその方にあって確立される。
キリストの内に〔こそ〕神性の全き充満が形態化して宿っており、あなたがたはキリスト-すなわちあらゆる支配と権威の頭-にあって満々と満たされているのだから。-Col 2:9-10(岩波訳)
For in Him the whole fullness of Deity (the Godhead) continues to dwell in bodily form [giving complete expression of the divine nature]. And you[f] are in Him, made full and having come to fullness of life [in Christ you too are filled with the Godhead—Father, Son and Holy Spirit—and reach full spiritual stature]. And He is the Head of all rule and authority [of every angelic principality and power]. (Amplified)
ここの[f]の注としてVincentはこう説いている:
Rev., made full…. Not, ye are made full in Him, but ye are in Him, made full. In Him dwells the fullness; being in Him, ye are filled.
YHWHエロヒムの充満であるキリストが内住されるゆえに、われわれもその方の充満とされているのだ。詳訳ではこう訳されている:
というのは、彼のうちにこそ神性の全充満<神という方>が肉体の形をもっていつまでも宿られる<神性の完全な表現がなされている>からです。そしてあなたがたは彼のうちにあり、満ち満ちた者とされる<満ち満ちたいのちになる>のです<<キリストにあってあなたがたもまた、神、すなわち父、子、聖霊に満たされ、霊的に完全な身たけに達するのです>>。また、彼は、すべての支配と権威<あらゆる天使的主権と力>のかしらです。
かくしてわれわれを通してその神のすべての約束が「アーメン」とされる、つまり実体化されるのだ。キリストがなされたことをわれわれも再現、あるいは追体験するのである。ゆえに主は言われた:
わたしを信じる者はわたしのわざをなし、さらに大いなる業をなす。わたしが父のもとに行くからである。-John 14:12
ジーザスは父の元に行かれ聖霊をわれわれに注がれた。そしてその内住の聖霊はキリストの御霊としてわたしたちのいのちとして充満する。キリストの御霊はわたしたちの霊から魂へと浸透し(ペネトレーション)、わたしたちの魂をキリストの魂の形へと再構成し、死ぬべき体にすらいのちを与え、われわれはキリストの再現となる。われわれのうちにキリストが構成(モルフォー)されるのだ(Gal 4:19)。ゆえに―
この教会(エクレシア)はキリストのからだであって、すべてのものを、すべてのもののうちに満たしているかたが、満ちみちているもの(Gk.充満)に、ほかならない。-Eph 1:23(口語訳)
新改訳などにあるように満ちておられる「場所」とか「ところ」ではない(口語訳はまだ良心的に訳している)。充満そのものがエクレシアである(岩波訳では正確に訳されている)。すなわちキリストである。われわれの体と魂はいわばガンダムスーツ、それは本質ではなく、キリストの充満そのものがエクレシアなのだ。白いキリスト教の神学などは捨てよ!
お分かりだろうか? YHWHエロヒムはご自身のいのちをまずキリストにあって実体化し、この五感の領域にあって現わされた。キリストは死と復活をとおしていのちを与える霊となられ、物理的存在に拘束されない霊としてわたしたちのうちに時空間を超えて内在される。そのキリストの成就されたすべてが五感の領域にある私たちの体と魂をとおして再現されるのだ。これがエロヒムをエミュレートすることであり(Eph 5:1)、その増殖である(Col 2:19)。
エロヒムの成長(増殖)を成長(増殖)する。-Col 2:19(原意、田川訳と岩波訳は正確)
かくして地上においても天になるとおり御旨(=五感で知覚できない意志のサブスタンス)が現出するのだ(=実体化されて知覚されるリアリティーとなる)。天には罪も病も貧困もトラブルもない! われわれはそのリアリティーを<今・ここで>享受する。フェイスはそのサブスタンスであり、エビデンスである(Heb 11:1)。それは永遠のNOW体験。PTL✨

石原裕次郎の『みんな誰かを愛してる』の出だし-時の移ろいは悲しみを忘却の彼方へと連れていく・・・なかなかシブイ😎
2021年も終わりに向かっている。まことに時(クロノス)の流れは速いと感じる昨今ではある。ひたすら青春のエネルギーをもてあまし、浪費していたあの焦燥の日々。青春の蹉跌で渇き切り殺伐としたあの時。今の方がはるかにしっくりと満ち足りている。古の白楽天もこう詠んでいる、洒脱な世界観である。人生は、是れ遊びの究極の境涯。


早夏遊宴 白居易
慵ものう)しと雖(いえ)ども 興 猶(なお)在り,
老いたりと雖えども老心 猶健やかなり昨日
山水に遊び、今朝は花酒に宴す山榴(さんりゅう)は豔(えん)にして火に似、
玉蕊(ぎょくずい)は飄(ひるがえ)りて霰(あられ)の如し
榮落は瞬を逐いて遷(うつ)り、炎涼は刻に隨いて變(へん)ず未だ木綿の褥(じょく)を収めず、
已に蒲葵(ほき)の扇を動かす且つ
物を喜び人と興じ、年年 相見(あいみ)を得る
若いころは膨大な人生の時間が重かった。今はどんどん軽くなっている身軽になるほどに挙げられる日が近くなる。思へばとほくへでございます。今東光の言葉がしみじみと:
人生は冥途までの暇つぶしじゃ、だからできるだけ高級な暇つぶしをせんとならん。
よってぼくは一生遊び人でいるつもり
ただし、これはクロノスの世界のお話。この世界は量子論的には「実在」はないのだ。あるのは情報のみ。それが創発して来ているだけ。聖書も言う-
信(フェイス)によって、わたしたちは、この世界(アイオン)が神の言葉(レーマ)によって創造(フレーム化)され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。-Heb 11:3
われわれエロヒム属、ニュークリーチャーはカイノスに生きる存在。フェイスは永遠のNOWの経験。アインシュタインも、時間は幻想である、しかもしつこい幻想であると言っている。神の業は天地創世の時に完成しており(Heb 4:3)、ジーザスも天地創世の時に十字架につけられていたのだ(Rev 13:8)。そのスピリチュアル・リアリティーがYHWHエロヒムのフェイスにより現出したのが、あの二千年前の十字架である。まことにDerek Princeが言う通りである-

あなたの人生において時間の事柄から、永遠の世界、神の言葉に、そして永遠の真理と永遠の慰めに転機する瞬間あるいは瞬間瞬間が訪れるであろう。-Derek Prince

TODAY’S CELEBRATION Nov 21, 2021:GPS-ゴッド・プレデスティン・システム-YaHaWeHエロヒムのスーパーナチュラルらせん
引用聖句:Heb 4:3;Rev 13:8;Gen 1:2;P …
- 引用聖句:Heb 4:3;Rev 13:8;Gen 1:2;Ps 104:30;Prov 4:20;23;Isa 55:11;Ps 56:8;139:16;Eph 1:3-14;2:5-6; etc.
- 2021年11月28日(日)
- 場所:鶴見駅前ホール第一&ニ会議室
- 時間:13:00-16:00
- プレイヤーMTG:しばらくお休み
- セレブレーションのライブ録音DVD:希望者にお分けできます。1ヶ月分、3,000円(原則4DVD);あるいは希望のタイトル1枚1,000円にて。ご注文はオンラインショップへ。

これ、実に興奮するではないか。古典的粒子のような実在は存在しない。これはペル不等式の破れで、アインシュタインが「不気味な現象」と呼んだエンタグルメントが証明されたことによる[1] … Continue reading。量子論は情報理論であって、量子の実在がいかなるものかを論じる学問ではない。つまり量子の本質あるは本体はいぜんとして未知なのだ。なんともエキサイティングではないか✨
Through faith we understand that the worlds were framed by the word of God, so that things which are seen were not made of things which do appear. -Heb 11:3(KJV)
信によって我々は、此の世が神の言葉によって整えられたのだ、と理解している。すなわち見える事象は(表面に)現れた現象から生じたわけではない。田川訳
信仰によって、この世が神の言葉によって造られたこと、したがって見えるものは知覚しうるものから生じているのではないことを、私たちは理解している。岩波訳
ここの”worlds”は”aion”、つまり世の時系列的な変化する様相を言う。ゆえに複数形で訳されている。”framed”はちょうどパワーポイントのサブスタンス(実質)は1と0の集合体(プログラム)であるが、PCで変換されてプロジェクターで投影されるとスクリーンというフレーム内に人間にとって意味のある映像となるように、われわれが五感によって経験する世界も、その実質である神の言葉(rehma)が投影されてフレーム化されたものというわけ。
IT FROM REHMA
ベル(CHSH)不等式の破れから古典力学的粒子のような実在は存在しないことが実験でわかったので、そのような実在が決して出てこない理論を考え、実験で計測できる観測値の出現確率を求めるのが、量子力学です。#入門現代の量子力学 pic.twitter.com/DdanbKjDcy
— Masahiro Hotta (@hottaqu) October 15, 2021
「量子力学は情報理論である」という考え方は、そもそもはジョン・ウィーラーの晩年の思想であるIt From Bitが発端です。また「世界は量子情報からできている」と考える”It From Qbit”という現代的な考え方を端的に表しています。量子情報(Qbit)から全ての存在(It)が創発しているというものです。
— Masahiro Hotta (@hottaqu) October 15, 2021