15歳対象のOECD学力テスト(PISA)で、日本がまたランク落ち(→記事)。数学はかつて1位だったが、今回は10位。読解力は何と15位。さらに科学に対する関心は50%に満たないと・・・。
「ゆとり教育」の功罪が問われているわけだが、こんな惨状は私たちは20年前から予測していた。私は15-22歳の若者をすでに20年間定点観測しているわけで、今日のニッポンの現状はとっくに分かっていた。これで文部科学省も焦って、理数系科目を前倒しで教えるとか、授業時間を増やすとか、ばたばたし出したが、役人のすることはいつも馬鹿げている。どんなにあがいても、まあ、この傾向は変わらないでしょうね。ジリ貧です。何しろ数学に限っても「指導要領」が酷い。かくして科学技術立国ニッポンは崩壊の序章を迎えつつあるわけ。
しかし、実は統計的には学力は落ちてているが、個別には落ちていない。できるヤツはとことんできるのだ。要するに二分化が起きているだけ。事実、国際数学オリンピックでは今年もよい成績を収めている。ある意味私の「読み」どおりかもしれない。20%のエリートと80%の働き蜂。前者は徹底的に高い教育と報酬を、その実績に従って保証し、後者はあまり考えることなく、黙々と言われたことを忠実にこなす。これで最低限の生活は保障される。
これは統計学的には「パレートの法則」と言われるが、大体会社でも重要な仕事の80%をこなしているのは20%なのだ。後は「アソビ」。しかし組織にはこういった無駄がないと潤滑油が切れて、かえって効率が落ちる。20%だけのエリートだけでは国は発狂する。かくして今のニッポンの問題は、能力と実力のある20%がしかるべく厚遇されていないこと。棒でボールを打つだけの人が数十億を手にしても、例えば今回の万能細胞を作り出した学者はせいぜいノーベル賞の数千万円だけ。これでは士気が萎えてしまう。
かつてバブル時代には東大の工学部を出た連中の20%が金融系に行った。中には山一證券にも行った者もいるだろう。このあたりから、製造業は3K(キタナイ・キツイ・キケン)なダサい仕事とされた。年収でも35歳にして、方や2,000万、方や550万という差がついた。今や東大生の不安は、自分が社会の落ちこぼれになるのではないか、あるいはニート・フリーターになってしまうのではないか、なのだ。もっとできるヤツとできないヤツに正当な差をつける必要がある。
「学問を修め、実績を上げるならば、それに伴う報酬が与えられる」と言うオペラント条件付けがなければ、嫉妬に基づく悪平等の弊害に落ちているニッポンに将来はない。「2ちゃんねる」のようなものが蔓延ることにニッポンの将来の貧困さが見えてしまっている。今ニッポンに働いている力は「下へ倣え」の下降ベクトルである。かくして前に書いたが、「悪貨は良貨を駆逐する」のとおり、社会的な「グレシャムの法則」が実証されるのだ。さしずめニッポンキリスト教では「ビョウキが健やかさを駆逐する」だろう。実際、ニッポンキリスト教を見れば、ニッポンの将来が分かるのだ。逆もまた言えるのだが・・・。合わせ鏡現象。
ちなみに東大は年収400万以下の家庭には学費免除だそうですよ(→記事)。
参考:メカ設計者たちよ、日本の製造業を救え