倒錯が倒錯でなくなる日
- 2007/12/27 17:09
- Category: 社会
休みになると朝と午後ジョッギングできる。体が実にしぼれるわけ。風呂から上がり「糖質ゼロ」でほっとしております。
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前にも紹介したわが友人で哲学者の平尾氏が面白い指摘をしている(→こちら)。ちょっと引用させてもらいましょう:
実銃は野放しの日本警察
散弾銃を使った犯罪が相次いでいる。
あまり知られていないことだが、プラスチックのモデルガンの銃身に入っているインサート(弾が通らないようにする金属板)を外すと逮捕される。もちろん、プラスチックのモデルガンでは実弾は撃てない。また、金属製(柔らかい亜鉛合金)のモデルガンは金色に塗らなければならないが、これを黒く塗ると逮捕される。玩具のモデルガンやガスガンをカバンに入れて持ち歩いていても逮捕される。どれも銃刀法違反である。
玩具の銃をこれほど厳重に取り締まっている警察が、性格・精神に問題のある人物の実銃所持を簡単に認め、周辺調査を怠っているのだ。総理大臣までが「取り締まりは難しい」と言っている。そんなわけはないだろう(^^)。トイガンは異常に厳しく規制しているではないか。
「ニセモノは監視するが本物は誰でも持てる」ようなアベコベ社会はごめんだ。
なるほど、これも倒錯現象だったわけだ。今回光市の母子殺人事件で最高裁の審理を欠席した弁護士の懲戒請求が棄却されたように、犯罪者の人権が重んじられ、被害者の人権が踏みにじられる倒錯。飲酒運転で事故を起こし、救助することもなく逃げて、大量の水を飲んで血中アルコールの濃度を薄め子供3人を死に追いやった人物に対する危険運転致死罪の適用が困難になると言う倒錯。ビョウキの人の人権を重んじるため、一般社会の蒙るリスクが放置される倒錯。一般メディアをコケにする「2ちゃんねる」ような場所がもてはやされる倒錯。今のニッポン、あらゆるところに倒錯現象が満ちている。やはりここでも、何でも愛して許しての結果、ビョウキの者や倒錯者が跋扈するニッポンキリスト教と合わせ鏡になっている。
現在はまだ倒錯を倒錯と認識できる人々がいるが、これが倒錯を倒錯と認識できる人々がいなくなる時、ニッポンは自己崩壊のフェーズに入ったと診てよいだろう。すでにニッポンキリスト教ではこのフェーズに入っている私は感じている。しかし再度繰り返すが、一度このギョウカイは廃墟を経る必要がどうしてもあるのだ。明治学院大の鹿嶋春平太氏が指摘するように、ニッポンキリスト教は最初から暗闇にあるからだ。その上に積まれたものはフェイクでしかない。今起きていることはまだまだ序章に過ぎない。
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最近、聖霊派のある女性団体の有名なリーダーが癌で亡くなったようだ。この方は長い間闘病生活を送ったらしい。『リバイバル新聞』あたりでも「癒された」とか宣言した記事が出たことがあったような・・・。しかし最後には免疫療法も試みたらしいが、はたして初期の段階でどのような治療を受けたのだろうか?まさか、ベニー・ヒンあたりに頼んで、祈りで治そう、とかではなかったことを願うが。ちなみに聖霊派の有名どころはけっこう癌で逝っている(キャスリン・クールマンしかり、ジョン・ウィンバーしかり、私はベニー・ヒンあたりも危ないと思っているが・・・)
聞くところによると死の間際もかなり無理をしたらしく、聖会で派手に踊りを踊ったりして体力を消耗したようだ。さっさとそんな団体のリーダーなど降りたらよかったのにと、私などは思うのだ。それとも「主のために最後まで身を捧げ尽くした」とか言う記事になるのだろうか?・・・ここでもある種の倒錯が生じている。つまり「神がかり」なのだ。
今週の週刊文春に例の「神世界」の警視と女社長との愛欲生活がレポされているが、「神がかり」だったようだ。何でも背にしている掛け軸からの力が流れて、彼女を通して人へと伝わるのだとか、やれやれ。この手の話は聖霊派あたりには枚挙に暇がない。
前にも言ったが、"愛"に富んで柔和ではあるがメスの切れない外科医と、財前五郎のように冷徹であるがメスが切れる外科医のどちらにオペを頼むとか言ったら、私は間違いなく財前に切ってもらう。これが正常の世界。倒錯した教界の価値観と「神世界」とさほど変わりがないことが今回の二つの件で分かる。
皆さん、きちんと体はメンテして、人間ドックも最低1年に一回は受診し、自分の血液データはずっと保存してモニターしましょう。私は20台からのデータをすべて蓄積しております。成人病は多くの場合、食生活や生活習慣の刈り取りなのだ。人間にできること(自由裁量の領域)は私たちに任されているわけ。この自己責任を果たさないでいざとなって「神がかり」は決して主に栄光をもたらしません。それでも病にかかったら、きちんとした医師にかかり、きちんとした治療を受けましょう。倒錯はあくまでも倒錯として認知できる人は幸いです。