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トップ > 2008年02月14日

アイドリング・ライフのすすめ

ファイル 223-1.jpg日経夕刊に『禅的生活のすすめ』と題する芥川賞作家で禅僧の玄侑宗久氏のコラムがあった(前にも紹介した)。現代日本の問題はキリスト教の悪影響を受けて、社会が管理化されているとし、キリスト教的価値観に対して禅的な価値観で生きることを勧めている。彼の聖書理解はやや偏向しているが、キリスト教の理解に対しては私的にはきわめてアーメンなので(うん、これも下の「神化が足りない」と同じセンスか・・・)、ちょっと紹介しておこう:

今話題の賞味期限も日本人の感性に合わない。食えるか食えないかは自分で判断すればいい。期限を守って捨てるのはもったいないし、現物を見たりにおいをかいだりする能力も衰える。

禅的生活とは言い換えれば、予断を持たずに今の足場に立つということです。予断を持つから苦しみが生まれる。・・・想定外のことが起こると誰しも心が揺らぎますが、この揺らぎを昔の人は『風流』と呼んだ。揺らぎを楽しめる人こそ風流な人です。そういう心構えならば困難があっても何とかなります。

今の瞬間を楽しむのが禅の考え方です・・・。

しかし、彼は記者の「死んだらどうなる」の質問に

なるようになります。心配しなくていい。予断が苦しみを生むのです。

と回答している。ここはキリスト者的には「う~ん」ではある。禅者とキリスト者のディメンジョンの違いがここにある。

田中森一氏実刑確定

ここでも何度も紹介している元特捜検事、現弁護士の田中森一氏に懲役3年の実刑確定(→記事)。執行猶予がつかずと言うことで、厳しい判決です。彼は自著の中でさすがの敏腕特捜検事の彼も判決を受けるために証言席に立つ時には足が震えたと書いている。また最高裁のこの判決も大体予想はしていたようだ。しかしこの人の証言はバブルからそれ以降、ニッポンが狂い出した過程を赤裸々に描いている。再起を期待したい。

神学スルメ論

解剖学者で『バカの壁』の著者養老猛司先生は「解剖学はスルメを腑分けして生命をとらえようとするもの」と喝破しています。サイエンティストは自分がしていることの意味と限界を相対化して認識しているのですね。

同様に神学もスルメですね(神学者のみなさま、相対化を御霊による忍耐にあってお願いします・・・)。キリストと言う生けるお方、神の実質に溢れた方、いのちそのものなる方、ダイナミックに今ここに躍動される方を、人間の論理・言語と言う平面上に投影したものが神学。そこにはすでにいのちはなく、しかもその平面状でケンケンガクガク、人は神になるか否か、いやアタナシウスはこう言った、本質的にナンセンスなカルヴァンとアルミニウスの論争、ラッシュドゥーニーはああ言ってるからモーセ律法を復活して石打刑を行え・・・。しかもこのスルメ同士の間には高いバカの壁がそびえています。

自分の神学を相対化し得ず、その中にどっぷりと飲み込まれている神学者たち。かくしてかつては処刑までもし合ったわけだが・・・。まあ、ある意味神学は人間の愚かさの結晶とも言えるわけです。しかもその愚かさに気がついていない愚かさ・・・。さらには世の中で自活もできず、Isaiahさんの言う献金パラサイト。と言うわけでDr.Lukeの『神学スルメ論』。zionさまもそろそろ食傷気味のご様子。このあたりでお開きとしましょう。各種のスルメ標本も十分採取できましたし、今後「2ちゃん」関係のコピペがあった場合はすべて削除とします。

なお、このようなスルメに囲まれて、その臭いの環境の中で、干からびて、カラカラになってしまった同胞の皆さまには、可及的速やかにこのニッポンキリスト教なるスルメの標本室からエクソダスされることをお勧めします。あの先生、この牧師、この教団、あの同盟、何とか神学、何とか神学者・・・こういった標本室の中に囚われないように。

・子があなたがたを自由にしたのだから、あなたがたはまことに自由な者となる。
・あなたがたは自由を得るために召されたのだから、ニ度と奴隷のくびきを負わされてはならない。

自由を得る鍵はキリストにとらえられることです。その御霊にある自由の中で、新鮮な生けるいのちなるキリストをひたすら求めましょう。この意味で私たちは霊的グルメになるべきなのですね。・・・あ、でもスルメで十分なこのギョウカイに留まりたいお人には無理にとは申しません。

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