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トップ > 2008年02月01日

本日の一冊

平成19年度分の確定申告を提出してきた。還付金請求の場合は期日前でも受け付けてくれるわけ。温泉1回分にはなるのだ。私は20台からの確定申告書をすべて保存している。サラリーマンの方は年末調整で済ませているのだろうが、ぜひ自分で確定申告することをお勧めする。これで税制や経済、さらに政治にも関心が高まるのだ。同時に毎年の主の真実な満たしも数字として知ることができる。

ついでに家長である者は、家を経営する者として、ぜひ複式簿記を勧める。これによって、主婦の家計簿レベル(金銭出納のみ)ではできない、自分が神から預かっている資産の管理もきわめて詳細にできる。また自分の財政状況を客観的に把握できるので、経済的な不安などからも解放される。一般に、不安を抱く場合は、その対象が不明瞭であることが多いのだ。真実をありのままに直視することができれば不安から解放される。何をどうすべきが分かるからだ(自己制御できるから)。

加えて財務諸表(B/S&P/L&キャッシュフロー)が読めるようになると、自分の会社の状態も把握できるし、ひいては世の動きも読めるようになるのだ。第一、他人の懐具合を覗くことはけっこう楽しいし^^。(クリスチャン・トゥデイはついぞ約束した財務諸表を出して来ないが・・・)。ちなみに定期的に献血して自分の血液データもぜひ保存されると良い。私はこれも20代の頃から保存している。これで異常値の発見が容易になるし、体調の管理もできる。創世記で神はアダムに「地を治めよ」と言われたとおり、信仰生活にとって「管理」は重要なキーワードである。

ファイル 203-1.jpgさて、本日の一冊は、泣く子も黙るイスラエルの諜報機関モサドの前長官ハレヴィ・エフライム氏によるそのままのタイトル、『モサド前長官の証言「暗闇に身をおいて」』(光文社)。現代の中東史、さらには世界史の生の証言である。彼らからすると現在のの対テロ戦は"第三次世界大戦"なのだ。一般の日本人にとっておそらく最も理解し難い国家がイスラエルであり、パレスチナ紛争。その根はBC2000年のアブラハムの子、イシマエルとイサクにまで遡るのだから。日本人にとっては縄文時代の因縁が現代の紛争になり得ること自体、その時間観念から見てもアンビリーヴァボだろう。

世界情勢の真実も会社経営状態の真実も、情報が集まる所にいると正確に把握できる。前者では諜報機関であり、後者では経理課である。諜報機関のエージェントとお友達になることは一般の人には困難だろうが(ちなみに私は"中国の工作員"とされておりますが・・・)、自社の経理課にはぜひ友だちを作ることをお勧めする。・・・もちろん会社が倒れる時、真っ先に逃げるためだ。

それにしても今回の毒入り食品事件で、冷凍食品の7割が中国製と知って驚いた次第。さすがの中国工作員の私も知らなかったわけで・・・。しかしこれは自然に混入したと言うよりは、何かの意図を感じますね。zionさんが書かれたように、食品テロかもしれません。ここでもまたニッポンはその脆弱性を露わにしてしまいましたが・・・。マネー、オイル、穀物、食品と、どれをとっても自ら管理できない国家、これが去勢されたわがニッポンの真実なのだ。

見ても見ず、聞いても聞かない

再建主義の富井氏の主張に耳を傾けましょう:

彼らは「いや、モーセ律法は廃棄されたが新たにキリストの律法が現れた」というが、じゃあ、そのキリストの律法とは何か示して欲しいというが示さない
キリストの律法というのはどこに記されているのか?
もしはっきり示すことができなければ、これは「律法廃棄論」である。
ディスペンセーショナリズムを含め、律法廃棄論の決定的な間違いは、キリストを不用にすることにある。
律法が廃棄されたならば、キリストの贖罪は無意味である。キリストの贖罪が有効であるのは、律法が有効だからだ。
きまりがなくなった場合、そのきまりによる刑罰もなくなる。
となれば、その刑罰を免れさせる犠牲の存在も不用になる。
だから、あらゆる律法不要論、律法廃棄論は、究極のところ、反キリストである。
律法不要論であり、なおかつ正統的なキリスト教であることは絶対に不可能である。
キリストの贖罪を主張し、イエス・キリストの十字架の御業を信じるように勧める人々は、全員律法存続論を主張しなければならない。
だから、セオノミーと福音とは切っても切れない関係にある。
旧約聖書の律法の一部であっても、廃棄を主張するならば、その違反のために犠牲となられたキリストの御業を否定することになる。
正解はこれだ。
旧約聖書の律法は、ことごとく存続している。しかし、かつてのようなものではない。それは、バージョンアップされた。
どういうふうにバージョンアップされたかというと、超民族的超時代的規定になったということだ。
モーセ律法において、祭司はレビ族であったが、キリスト以降、祭司はキリストご自身であり、彼はユダ族である。
キリストにおいて、祭司制度が根底から変わった。祭司制度が変わった以上、律法も変わる(ヘブル7・12)と聖書に記されているから、律法も変わった。
じゃあ、どのように変わったかというと、パウロは、ガラテヤにおいて繰り返し「犠牲は本体に変化した」という。
つまり、動物犠牲はキリストご自身による犠牲に変化した。

やれやれ、相変わらずですが、聖書にはこう書いてある::

その祭司は、肉についての戒めである律法にはよらないで、朽ちることのない、いのちの力によって祭司となったのです。この方については、こうあかしされています。「あなたは、とこしえに、メルキゼデクの位に等しい祭司である。」一方で、前の戒めは、弱く無益なために、廃止されましたが、・・律法は何事も全うしなかったのです。・・他方で、さらにすぐれた希望が導き入れられました。私たちはこれによって神に近づくのです。

新しいキリストの律法とはいのちの御霊の法則であると、明確に聖書に書いてあるでしょうに:

なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。

レビ系の律法は廃止され、メルキゼデク系の律法(いのちの御霊の法則)が導入されたのです。それはMS-DOSに代わってWindowsが導入されたのと同じことで、Windowsを用いる時には自動的にMS-DOSも用いているのと同様に、いのちの御霊の法則はモーセ律法をも満たすのです。律法は超民族化されただけではなく、いのちの御霊の法則へとヴァージョンアップしたのです。これが私の言っているヴァージョンアップの意味です。

かくのごとく、ある種の思想にハマリ、先入観念をもって聖書を読めば、自分が読みたいようにしか読まなくなるのです(認知の選択的透過性)。こうして誤謬の体系をますます強固化していきます。富井さんもこれを知ったらこれまでの彼の努力と積み上げてきた体系(再建主義)がすべて崩壊してしまうので、彼の心はそれを見ないように、また認めないように働くのです。頑なになる者はますます頑なになるのです。これが彼が反キリストとするフロイトの発見した心の自己防衛機制です。彼の論点には制度の問題は頻繁に出るのですが、心の問題がほとんどバイパスされているのですね。しかるに御言葉は心を扱うものなのです。聖書はまたこうも言っています:

心はよろずのものよりも偽るもので、はなはなだしく病んでいる。

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