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荒野に宴をもうけ

ファイル 3781-1.jpg


ウォッチマン・ニーの黙想


  ダビデは主の御顔を求めた求めた。-2サムエル21:1

 時に、祈りに相当のエネルギーを注いでも、なお神からの答えが得られないようなことがあります。しかし、私たちはその理由をほとんど追及しません!神の御心に調和しない祈りがどうして答えを得ることができましょう?すべての祈りにおいて鍵を見出す必要があるのです。この章に記されている長引く飢饉に対して、ダビデはその鍵を求めたのでした。
 彼は単に神に対して、「この飢饉はもう3年も続いています。今こそ私たちを憐れみ、この年は豊かな収穫を得ることができるようにして下さい!」と叫びませんでした。そうではなく、彼は神の御顔を求めたのです。このことについて神は、以前に、ダビデに何かを語られていたのでしょうか?この求めに対して、神はただちに答えを与えられ、それと共に答えを得る祈りの鍵をも授けたのです。サウルはギベオン人を殺すに際して、彼らを生かしておくようにとのイスラエルに対する神の命令を守りませんでした。確かに、彼は神に対する熱心さによって行ったのですが、罪を犯しました。神は峻厳なる戒めを破ることを認められません。このように何かが正される必要があるのです。「この後、神はこの国の祈りにこたえられた」と14節にはあります。ダビデは鍵を見出していたのです。

幽居-韋応物

爽やかな朝だ。空気が実に気持ちイイ。まあ、ここは都会に近くして、きわめて田舎。緑と蝉の声と鶯の鳴く里と言える。かくして詩人たちの気持ちがよく分かるのだ。

ファイル 3782-1.jpg

貴賎 等を異にすと雖も
門を出ずれば 皆営み有り
独り 外物の牽く無く
此の 幽居の情を遂ぐ
微雨 夜来過ぎ
知らず 春草生ずるを
青山 忽ち已に 曙け
鳥雀 舎を繞りて 鳴く
時に 道人と偶し
或いは 樵者に随いて行く
自から 当に蹇劣に 安んずべし
誰か 世栄を薄んずと謂わん

先の陶淵明の『飲酒其五』を受けて詠ったもの。陶淵明が自分には十分才能があるが、あえて世俗を離れて隠者の生活を送るのだ、と詠うのに対して、韋応物は、「自から 当に蹇劣に 安んずべし/誰か 世栄を薄んずと謂わん」として、(やや自嘲気味に)自分には世渡りの才能がないからだ、と受ける。いずれにしろ、彼らは世俗を離れて心を幽境に遊ばせていたのだ。いや、なかなか理想の生活ではないか。私などもとても才能があるとは思わないし、大衆に媚びて、自分を売り込もうとも思わない。むしろ大衆からは倦厭されている方が安心。人の評価や心の上で生きるなどと言うきわめて危険なことは避けたい。先の中韻の士でありたいわけ。まことに主イエスも言われるとおりだ:

しかし、イエスは、ご自身を彼らにお任せにならなかった。なぜなら、イエスはすべての人を知っておられたからであり、また、イエスはご自身で、人のうちにあるものを知っておられたので、人についてだれの証言も必要とされなかったからである。-John 2:24-25

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