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トップ > 2013年12月11日

CLIP:瞑想は遺伝子の表現型を変えると判明!炎症反応が抑えられるとの研究結果

ファイル 4022-1.jpeg

私が禅との関係が深いことはここでも何度も書いているが、今回のこれは驚きだ!*1遺伝子そのものは変えられないが、その発現作用をコントロールできるというわけだ(→元記事)。

瞑想の効果のほどは、IRORIOでも数多くお伝えしてきた。昔から精神は肉体に影響を与えるといわれてきたが、今回はなんと瞑想をすると遺伝子にまで影響があらわれるという研究結果が発表された。瞑想により炎症に関わる遺伝子の表現型が変化し、体にもよい影響を与えるのだという。

今回の実験は、8時間の集中的な瞑想でどれだけ遺伝子の分子構造に変化が現れるかをテストしたもの。研究者らは被験者を、8時間マインドフルネス瞑想を集中的に行うグループと、8時間静かな部屋で過ごし瞑想をしないグループに分け、炎症に関わる遺伝子(RIPK2とCOX2)の発現を、実験前後で比較した。 

驚くべきことは実験前の2つのグループには差がなかったが、実験後、瞑想をしたグループだけに炎症に関わる遺伝子発現(エピジェネティクス)に減少がみられたことだ。炎症反応の減少は、ストレスからの早急な回復などに関連している。人間やマウスの実験では、エピジェネティクスは、ストレス、食事、運動といった刺激に対してもほんの数時間で活発に反応することが明らかになっており、瞑想もそのリストに加えられる形となった。ただし今回の実験は、遺伝子に対する瞑想の短期的な影響を目的としたものであり、瞑想の長期的な影響についてまではわからないとの事。

「われわれが知る中では、瞑想が遺伝子発現の迅速な変化と関連した最初の研究だ」と、研究に携わったリチャード・デービッドソン氏。遺伝子の分子解析を行ったスペインのバイオメディカル研究所パーラ・カリマン氏も次のように述べている。「面白いのは、変化をきたした遺伝子表現型が、抗炎症剤や鎮痛剤がターゲットとしている症状に関連していることです。」

マインドフルネスをベースとしたトレーニングは、炎症性疾患に効果があると以前の臨床実験でも明らかにされており、この研究はその生体メカニズムをサポートする形となった。

これについてデービッドソンは、「われわれの遺伝子は、その発現性において非常に活発だという事だ。この研究結果は、精神の安寧も、遺伝子の表現型に影響している可能性がある」と、コメントしている。研究者らは、慢性的な炎症を伴う患者に対し、瞑想セラピーなどの応用に向けて研究を続けるとのことだ。

*1:ただし厳密には禅と瞑想は同義ではない。禅では「生きること即仏」。日常の当たり前の中に仏を見る。この仏は礼拝対象としての超越者ではなく、知性による知識作用に汚されていない本来の自分なのだ。つまり仏教には元々礼拝対象は存在してはいない。ブッダ自身が自分は人間であり、自分を拝すべからずと戒めているのだ。

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