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荒野に宴をもうけ

ファイル 4109-1.jpg


ウォッチマン・ニーの黙想


 主よ、わたしはあなたの救いを待ち望む。-創世記49:18

創世記49章はヤコブを預言者として啓示しています。神の心を真に理解することにより、驚くべき未来の透視をなし得たのです。しかしこの節は、ちょうど真ん中に配置されていますが、預言ではありません。これはヤコブ自身の嘆きの言葉です。これらの託宣の中には喜びと善きことと共に、悲しみと罪の暗い予兆が見られるのです。ヤコブは道端の蛇としてのダンの暗い絵を描いた直後でした。そして、ここでは自分自身を明きらかにしました。目を天に向け、預言者としての自分自身を顕わにしました。説教することは容易なことです。しかし人が説教をしている間に、神が真に彼を得ているか否かは容易に分かるのです。かつてのヤコブであれば、ダンをいかに対処すべきかを考え始めたことでしょう。彼は常に人々を出し抜くことができました。しかし今は違うのです。今では神を知っていたのです。「主よ、わたしはあなたの救いを待ち望む」と。

がん細胞が進化する

との記事が今朝の日経紙に出ていた。で、すい臓がんの例についてこの図があった。

ファイル 4112-1.jpg

この図を見て変だなと思われませんか?すい臓がんの場合、発見されるサイズになるまでに20年ほど要しているのだ。しかし最初の18年の間に発見してオペすれば5年生存率が高くなると!?このトリック、分かりますか?

すでに何度も抗がん剤の有効性のデータに問題があることを、近藤医師の論文などから紹介した(→リスト)。抗がん剤は白血病や一部の固形がん以外は基本的に効果がない。あるいは腫瘍縮小作用はあっても正常細胞も傷つけ、QOLを落とし、結局は寿命延長作用はないのだ!このことがこの図から明らかであろう。つまり初期段階で発見されずとも、がん細胞が悪さをするまでに20年は必要であり、仮に60歳で始まったとして治療を受けずとも80歳までは、がんと共に生きるのだ。もし初期に発見してオペなり抗がん剤や放射線を用いた場合、5年生存率はステージに応じて次のようになる。

すい臓の場合、ステージ1でも31.9%!もしいじらなかったら・・・。なるほど近藤医師の説も頷ける次第だ。私の友人医師の経験例でも、96歳まで元気でいて、7-8cmの肝ガンが発見された症例もある。積極的治療はせずに安らかに逝かれたとのこと。対して私の知り合いで肝臓がんを初期に発見し、針を入れてラジオ波で焼却する治療をすでに5-6年にわたり繰り返している例もある。2週間に一度、再発にびくびくしながらマーカーやX線で検査して、見つかった場合、もぐら叩きのように繰り返すのだが、カネと労力、そして心が折れそうになりつつ、歯を食いしばっているのだ。年齢は75。

そもそも5年生存率を云々するのはあくまでも医者の腕比べのためか、製薬会社の営業のためだ。患者にとってはまったく意味のない数値なのだ。そのデータの取り方でいくらでも結果を動かせることは、ちょっと医療統計学をかじれば分かること。がんとは戦うな(もちろん痛みや出血がある一部のものは除くが・・・)。これ、人生を楽しむ上できわめて重要なパラダイム転換なのかもしれない。

追記:50台までの家族と社会に責任がある間は、体力もあることだから、でかくなっていたら財前五郎のような外科医にスパッと切ってもらい、抗がん剤や放射線は避ける。そして中村仁一医師の言うとおり、70を過ぎて生物的な賞味期限が切れたら(線引きは異論があろうが・・・)、もはや放置でいいと思うのだ。さらにいわゆる早期発見のための検診なども不要かもしれない。がんと同居して20年生きられるのだから。


人生の総決算の時期にゼロからやり直せるか

との記事をいつもの再建主義の富井氏が書かれている。とても重要かつ同意なので一部引用させていただく*1

tomi 2014/02/02(日) 07:10
人生の総決算の時期にゼロからやり直せるか
(3)
われわれは、一生「ただひたすら伏し拝む」姿勢を貫くことを要求される。
老年になっても、一番大切なものを捨てるかどうか試される。
アブラハムはイサクを神の命令のゆえに捨てられるかどうか試された。
身近な人がこの試練に失敗したのを見てきた。
老年になって後継者を自分の息子に据えるために、正当な主張をする役員を蹴落とした人がいた。
その団体は、瓦解し、息子もだめになった。
なんでも握りしめて所有すると、失敗する。
手を開いてその上に載せて所有すべきだ。
つまり、いつ神に取られてもかまいません、と。

(4)
福音派の教会でも「すべてを捨てて主に従いましょう」と言われるが、もし本当にそれを信じるなら、とうの昔に再建主義になっているだろう。
しかし、実際は、ものすごい抵抗に遭う。
まずわれわれの主張を口に出したら速攻で追い出される。
「これまで主張していたことを変えなければならなくなる」と恐れるからだ。
しかし、言っておく。
「神の前でこれまでの業績など、全部ぶん投げろ」と。
「間違っていた!」と気づいたら、「そうです。間違ってました。今まで間違った教えを信じ、それに基づいて活動してきたことを悔い改めます」と言うしかない。
アブラハムがイサクを犠牲にしようとしたように、「積み上げたもの」「自分の人生そのもの」を神の御前に差し出すしかない。
握りしめて、頑固を貫き、横車を押すと自滅する。
捨てるならば「神の山に備えあり」で、神が損失を補ってくださる。
老年になって自分の立場を変えるのは、屈辱的であり、勇気がいるが、それこそ神が望んでおられることだ。
アブラハムが老年になってやっと子供を授かり、その子供を差し出すよう求められたのは、アブラハムに「全的献身」を求めるためである。
神はあえて「酷な」状況を作りだされた。
われわれは、人生の総決算の時期に、ゼロからやり直せるかどうかを試される。
契約の民の代表であるアブラハムにそれが起きたということは、われわれにもそれが起きるということだ。

これは先に言った、生命現象にとってはストレスが不可欠であるとのひとつの例であると思うが、まことにそのとおり。アブラハムもそのストレスを通過してまことのいのちを知り、新しい都の幻を見ることができた。

信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。
信仰によって、アブラハムは他国に宿るようにして約束の地に住み、同じ約束されたものを共に受け継ぐ者であるイサク、ヤコブと一緒に幕屋に住みました。
アブラハムは、神が設計者であり建設者である堅固な土台を持つ都を待望していたからです。-Heb 11:8-9

ここに信仰とは

Now faith is the substantiating of things hoped for, the conviction of things not seen. -Heb 11:1

すなわち望んでいる事柄の実体化である。アブラハムは年老いてようやく授かったイサクを捧げることにより、その信仰を証明し、神からの幻と報酬を受けた。イサクを握り締めていたら、彼はそれを得ることがなかったであろう。なにより自分で一切を握らないことは何と言う安楽なことか!自由でいることの祝福とも言える。この点、先のYAZAWAの問いかけにイエスと答えるための秘訣とも言える。

イエス、アイ・アム・ハッピー!

*1:ただ一点、すべてを捨てれば再建主義になるとの主張は???だが、いつものことながら・・・もっと言えば、富井氏自身は再建主義を捨てることができるのだろうか?主義や神学などを捨てて残るもの、それは内なるいのちのキリストなのだが。ウォッチマン・ニーも52歳の、これから人生の収穫期と言うべき時に中国共産党により捕囚となり、収容所で20年間の人間的にはまったく無駄な晩年を過ごした。が、それは神にとっては麗しい捧げ物の香りであり、ニー自身も自分が得るべきものを明確に見ていたのだ。実は、正確に言えば、神の目においてはやり直す必要などはない。STAP細胞のように初期化されることは実に幸いなことなのだ・・・。

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