礼拝ではなく礼拝者を
- 2015/09/01 16:07
- Posted by Dr.Luke Karasawa (唐沢治)
- Category:信仰
- Tag:礼拝, ワーシップ, 栄光
しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである。-John 4:23-24
私は常々言っている。いわゆる礼拝で自分が気持ちよくなりたいという動機はポイントを外していると。私たちは礼拝を捧げるのであって、神はそのような礼拝者を求めていると。その時に、声を出すこと。口を開けと、何度も何度も語っている。内にこもって"祈り"を念ずるのではない。祈りは天へと抜ける必要がある。そのためにセレブレーションにおられる霊なる神とその波動に私たちの霊が共振する必要があるのだ。そのとき栄光、カボド、つまり重さが私たちを包む。実は一昨日のセレブではその重さによって私は立っておれなくなった。マインドをシフトせよ。私は、私の、私が・・・メンタリティーから!礼拝ではなく、礼拝者を求めていることは英国のColin Urquhartも説いているが、今回ちょうどBill Johnsonも語っている。声をあげよ、と!