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Tag: 栄光

神の栄光は重い・・・

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まあ、私の仮歯の件は軽くスルーしていただいて(笑)、なんというか、交わりの時間が素晴らしかったですね。聖霊による主の深いタッチと共に、兄弟 姉妹が心を解放し、真実な言葉に満ちていました。弱さもみな安心してさらけ出せる雰囲気、また癒しの証に対してはみんなが喜びを共有できる・・・。

ここで変な自己主張が出たりすると神の国の雰囲気が一挙に冷やされてしまうのですが、それもなく、みなさんが御霊に満たされておられたわけです。日本語で は場の空気、ヘブンリー・アトモスフィア、いわゆる臨在(原語の意味は、ペニーム=神の顔)、これをキープすることって実に大切なことなのだ。

見えない霊なる神が一人ひとりにタッチして下さる感覚を味わえる。最近はボディで感じる方が増えてきているようなのだ。旧約では神の栄光(ヘブル語の意味 は、カボド=重さ)が満ちると祭司たちは立っておれなくなった。神の臨在の栄光は重いのだ。それが体感できる時間と空間は実に貴重。まことに永遠のNOW である天が、この物理的時空間である地を侵食しているのだ!

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DNA Blessings!

先にトラウマがDNAレベルで継承される研究結果を紹介したが、このクリップでも同じことを指摘している。DNAレベルの傷も神は癒して下さり、DNAレベルでの祝福をくださると。まことにアーメンだ。

-David Herzog’s revelation of the "Courts of Heaven"

英語のリスニングがちょっとという方はトランスクリプト(pdf)をどうぞ。

DAVID: Yeah. Well DNA and blood has memories. So yes, it has memories of sicknesses, of sins.You see people that have broken homes because their fathers had it. But then what people don't realize, once you break the curse off your family life, you need to go back and say, now Lord, liberate all the blessings on my ancestors to me, the wisdom they had, the gifts, the talents, the abilities, the inheritances. When you start praying like that, suddenly things start to happen. Even abilities you did not have before that were dormant suddenly start to happen. You start to have business understanding. You learn languages very fast, natural gifts, spiritual gifts, amazing things.

すべて神のわざは栄光の中でなされる。礼拝とは栄光に入ることだ。そのとき立っていることができなくなる・・・。

祭司たちは雲のために立って仕えることができなかった。主の栄光が主の宮に満ちたからである。-1Kings 8:11

 

礼拝ではなく礼拝者を

しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである。-John 4:23-24

私は常々言っている。いわゆる礼拝で自分が気持ちよくなりたいという動機はポイントを外していると。私たちは礼拝を捧げるのであって、神はそのような礼拝を求めていると。その時に、声を出すこと。口を開けと、何度も何度も語っている。内にこもって"祈り"を念ずるのではない。祈りは天へと抜ける必要がある。そのためにセレブレーションにおられる霊なる神とその波動に私たちの霊が共振する必要があるのだ。そのとき栄光、カボド、つまり重さが私たちを包む。実は一昨日のセレブではその重さによって私は立っておれなくなった。マインドをシフトせよ。私は、私の、私が・・・メンタリティーから!礼拝ではなく、礼拝を求めていることは英国のColin Urquhartも説いているが、今回ちょうどBill Johnsonも語っている。声をあげよ、と!

-礼拝は崇高な召し

癒しの現れの差は何によるか

この民の心は鈍くなり、その耳は聞えにくく、その目は閉じている。それは、彼らが目で見ず、耳で聞かず、心で悟らず、悔い改めていやされることがないためである。-Matt 13:15

霊的領域においてはすでに「イエスの打たれた傷により癒された」。これが真理、サブスタンス。このサブスタンスを得て、自分の物理的身体において立証すること、これがサブスタンスの実体化。すでに書いたが、ウォッチマン・ニーは、祈りが叶えられることは二段階からなると説いている。まず霊的にサブスタンスを把握する、つまり霊的にゲットする。次に物理的にそれを所有する。霊的にゲットするために重要なのは霊だ。昨日のご婦人のようにマインドを経由せず、直にレーマが霊にタッチするとき、それは光となり、信仰となる。それが得られるならば、あとは感謝と賛美で水を注いで、そのサブスタンスを育てる。すると神の時と方法において、それが実体化される。

信仰は、神は必ず癒して下さるだろう、ではない!これは希望であり、願いだ。信仰は、すでに得た、つまり今、ここで、だ。永遠の現在におけるサブスタンスが、時系列の中にいる私たちのNOWに切り込むのだ。二千年前の事実が時空間を超えて、私のものとなる。つまり元々信仰はスーパーナチュラル。かつての私もそうだったが、いわゆる金粉が舞うことや、しるし・不思議に対して偏見をいだき、それらは低級なもの、自分はもっと深いものを求めているとか主張する人々はとんでもない勘違いをしている。霊の再生や、神との交わり、魂の造り変えなど、それ自体がスーパーナチュラル。自分の聖書の知識や経験を得れば得るほど、人は誇り高ぶり、マインドを肥厚化する。これがこのマタイの節にある「鈍くなり」の意味だ。Strongによるとこうある:

pakh-oo'-no
From a derivative of G4078 (meaning thick); to thicken, that is, (by implication) to fatten (figuratively stupefy or render callous): - wax gross.

厚くワックスを塗られていること。まさにマインドが肥厚化することだ。肌にも皮脂がベッタリだと、ローションを塗っても浸透しない。まず厚く積もった皮脂を除く必要があるのだ。ここでのポイントは、自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分の心で悟り、悔い改めること。"自分の"が鍵だ。私のメッセを聞いて分かったツモリになっても、無意味だ。あなたが自分の霊で掴む必要がある。この意味で受動的な人はダメ。ワーシップも手を上げ、声を上げ、自分の内側から捧げる必要がある。天の国は激しく襲うのだ。霊的には図々しくなる方がよろしい。ワーシップの中におられる霊に自ら叫び、自ら手を伸ばして掴むこと。この節の「悔い改め」と訳された単語は普通の悔い改め(メタノイヤ)ではない。"epistrephō"であり、Thayerによれば、

Thayer Definition:
1) transitively
 1a) to turn to
  1a1) to the worship of the true God
 1b) to cause to return, to bring back
  1b1) to the love and obedience of God
  1b2) to the love for the children
  1b3) to love wisdom and righteousness

神への賛美に向き直ること、だ。自分から目を離し、神へと向き変えること。癒しを受けた人の証を聞くとき、重要な共通点が見られる。それは自分を忘れている時に癒しが起きていることだ。ワーシップなり御言葉なりに夢中になって、自分の症状や病状を忘れている時、勝手に何かが起きる。本人もそれが何かは分からない。ところが気づいてみると、苦痛や痛みが消えてしまっている。自分の症状を見つめて、いつ癒されるか、まだか、まだか、とやっている人は・・・。

ポイントが分かるだろうか?エピストレフォーするとき、神の霊が働き、デュナミスが流れ込むのだ。マインドが自意識ではなく、神意識になるとき、神の霊と共鳴し、魂も体も天と共振する。この時、神の国のサブスタンスが実体化される。五感に基づく自分から離れる時間が積もるに比例して神のわざは進む。それは神の栄光の中に入っている時間だ。神による造り変え(トランスフォーメーション)も、癒しも、必要の満たしも、すべては神の臨在と栄光の中でなされるのだ(2Cor 3:18;Phil 4:19)。前にも書いたが、神の栄光はカボド、それは重さ。神に触れられることはヘビーなのだ。

全地よ、主にむかって喜ばしき声をあげよ。
喜びをもって主に仕えよ。歌いつつ、そのみ前にきたれ。
主こそ神であることを知れ。われらを造られたものは主であって、われらは主のものである。われらはその民、その牧の羊である。
感謝しつつ、その門に入り、ほめたたえつつ、その大庭に入れ。主に感謝し、そのみ名をほめまつれ。
主は恵みふかく、そのいつくしみはかぎりなく、そのまことはよろず代に及ぶからである。-Ps 100:1-5

追記:ちょうどピッタリのクリップを見つけた。彼は言う、すべてのシーズンは神との出会いから始まる。神の栄光をもたらし、トランセンド・ユアセルフ、自分を越える経験に入る。それが信仰であり、自分の行いではなく、安息を意味する。そのとき神が何かをなさる、と。(16m30sくらいから)

-Bishop Gary Oliver hosts Apostle Renny McLean

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