マインドとスピリットの波動の場―マインドを音声化する装置ができた
メッセでも語っているが、われわれのマインドは個人のブレインに限局されているわけではない。霊的領域においては波動としてある広がりを有している。これはちょうど電子などの素粒子が粒であり、波動であるのと同様である。電子は波の性質も有し(つまり広がり性)、粒子の性質も有している(つまり局在性)。
だからセレブなどの場においてフラストレーションや批判的なマインドを有していると、それはちょうど粒子のように限局化され、しこりとなってしまう。すると聖霊の波動を共有できず、その人はその場にいても神のタッチを受けることができない。霊がその人の周囲ではじき返されてしまうのだ。また憎しみ・嫉妬・妬みなど霊によって満たされたマインドは、苦い根として、その場を汚ししてしまう(Heb 12:15)。
ジーザスも人のマインドをご自分の霊で読み取られた。それは霊がマインドの場を感知できるからである。人がなぜ同じ場にいて神の臨在を感じる/感じない、神のタッチを受ける/受けない、また癒しを受ける/受けないのか、その差はまことにマインドのあり方に懸かっているのだ。その人のマインドが霊の波動を阻害している。まことにマインドを凝り固めてはならない。つねに溶かしていただくこと。柔らかいパウダーのように・・・。
きょう、もし御声を聞くならば、御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない。-Heb 3:15
神戸
メッセージに酔いました。神さえもidol化して勝手に傷つく愚かさを思わされました。有難うございました。