神の国に入れない者の筆頭は
- 2016/03/25 09:32
- Posted by Dr.Luke Karasawa (唐沢治)
- Category:信仰
- Tag:恐れの霊
しかし、おくびょうな者、信じない者、忌むべき者、人殺し、姦淫を行う者、まじないをする者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者には、火と硫黄の燃えている池が、彼らの受くべき報いである。これが第二の死である。-Rev 21:8
この聖句は実に厳粛。信じない者や人殺し、姦淫する者にまさっておくびょうな者がリストされている。おくびょう者は恐れの霊にやられている人。たとえば、メッセでも語ったが、癒しをすっと受ける人は自分を手放している人だ。福音のために自分を注ぎ出す人。対して次々に病に襲われる人は自分を大事にしている人。主のことよりも自分を優先する。セレブよりも病院通いを先にと。自分を大事大事にしている人はどうも逆に敵に弄ばれてしまう。見かけは信心深いようでも、実は主よりも自分を選んでいるのだ。これは究極の自己欺瞞。聖書はよく知っているし、あれこれの霊的書物もよく読んでいる。が、自分を手放せない。不思議なものだが、おくびょうな人は敵の格好のターゲットになってしまうようだ。
神が私たちに与えてくださったものは、おくびょう(恐れ)の霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。-2Tim 1:7
恐れはサタンのパワーを誘発し、フェイスは神のパワーを、だ。自分を愛するほどに恐れの霊は力を得る。自分を救おうとするれば失い、自分を失えば得る。勝利への第一歩は自分を手放すこと、自己放擲(ほうてき)にある!
では、ちょっと温泉にてボディのメンテをしてまいります。
注:慎しみの霊は不正確。健全な思いの霊が正解。日本語で理解してはならない。