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Tag: ウォッチマン・ニー

ウォッチマン・ニーの365日黙想集

NEE.png

Dr.Lukeの翻訳によるウォッチマン・ニーの365日黙想集『荒野に宴をもうけ』をPDFにて一括で読めるページを公開しました。

『キリスト者の標準』で有名な20世紀中頃、中国で用いられた主の器ニーは共産党による迫害に対抗し、主の証として20年間の幽閉生活を送り、解放されることなく召された。人生のもっとも実りあるべき時期を主に捧げつくした(⇒「ウォッチマン・ニーの最期」)。霊的洞察の光とアノインティングに満ちた言葉の数々はあなたの365日の黙想をリッチにするでしょう・・・・。

霊と魂の切り分け

面白いクリップを発見した。マダム・ガイオンとウォッチマン・ニーについて触れている。霊と魂の切り分け

本日の一冊:Nee,SPIRITUAL KNOWLEDGE

 

これ、92年に購入したもの(上のリンクで読める!)。ひととおりは読んでいたが、今回改めて読み直して驚いた。彼は霊が開かれて、神の御旨にチューニングされるためには、思い(マインド)が作り変えられている必要があるという。マインドのリニューイングに半分を割いている!彼はトランスフォーメーションという言い方はしていないが、実質はローマ書12:1-2に従っており、同じことだ。私たちのマインド(Gk.nous)がリニューイングされていない限り、霊的知識も洞察も得ることができず、成長が止まる。同じところをグルグル回るだけのクルシチャン生活に陥るのだ。この物理的時空間であれこれしても、霊的領域にタッチしていないならば、永遠の価値はない。目に見えるものはテンポラリー、目に見えないものがエターナルなのだから。

私的に言えば、マインドは霊と魂の接点だ。Jessie Pen-Lewisはこう言っている、"If your spirit is closed, it is because your nous is closed."と。WoFを拒絶する人はそのようなマインドの構造を持っているゆえ。癒しに抵抗を覚える人もそのようなマインドの構造を捨てないから。私たちは自分の魂を否み、特にマインドが御言葉によって再構成されるとき、霊的世界にタッチできるのだ。霊的世界のサブスタンスをつかんで、自分の経験とし得る。マインドが開かれていればいるほど、霊的世界も開けるし、その豊かさにも与れるのだ。かくして富んでいる者はますます・・・だ。

追記:どうも私はW.Neeの追体験をしているようだ。かつて助けを受けたときと、今回はスケールが異なって受け止められている。かつてはあくまでも霊的葛藤からの解放という面だったが、今回は神の国の現出がテーマとなっている。『真理はあなたを自由にする』の射程範囲をはるかに超えているのだ。

ちなみにこちらはBill Johnsonによる同じ論点について。

-The Renewed Mind - BILL JOHNSON

本日の一冊:The Latent Power of the Soul

 

W.ニーによる"The Spiritual Man"の続編とも言える書。アダムはもともと神に似せて、神の様に創造され、地と生物を統治する能力を得ていた。彼の堕落以前の能力は、現在の私たちの能力と比すると、ほとんどスーパーナチュラルなのだ。が、堕落によってその能力は魂のうちに封じ込められた。これがある種の人々においては肉体の制限を破って出現することがある。これがいわゆる超能力だ。私たちには、ある種のスーパーナチュラルな現象と見える。いわゆるしるしや不思議を追求するクリスチャンも、これらの魂の潜在能力による現象を、聖霊によるしるし・不思議と混同する向きがある。

W.ニーはここで警鐘を鳴らす。クリスチャンにとってのしるし・不思議はあくまでも私たちの霊を通して聖霊が働かれる結果であり、自分の魂の潜在能力が発揮された結果ではないと!前者は新創造から生み出されるものであり、後者は旧創造のものに過ぎない。しかもしばしばサタンがその手助けをしている。サタンは再生されたクリスチャンの霊にはタッチできないため、魂に働きかけて、その潜在能力を煽る。その目的は、神に頼りつつ、神の栄光を求めるのではなく、自分の栄光を追求すること。もっと言えば、自分を神とすること。サタンの根本的動機はそこにあるのだ。

今日、終わりの時代において、いわゆるしるし・不思議、さらに奇跡などを求める傾向がどんどん強まり、実際にその現れもこれまでになく頻度を増す。しかし、この霊による現象なのか、魂による現象なのか、この識別がきわめて重要なのだ。まことに反キリストはこの魂の潜在能力によって大いなる業をなすのだから。ここでも鍵は、霊と魂の切り分けにあるのだ(Heb 4:12)。

私がこのところ強調しているスーパーナチュラルは、もちろん魂を否むことによる霊からのもの、それは聖霊による。その聖霊の働きを阻害するのがむしろ魂のマインド(思い・知性)なのだ。だから、マインドのトランスフォーメーションが重要になる(Rom 12:2)。それは十字架によるのだ。すなわち魂の能力をあえて否むこと(Luke 9:22-23)。最近、Dr.Lukeはやたらとスーパーナチュラルを連発して、危ない傾向に入っていると思われる向きがあるようだが、私は根本を外していない。私が求めるスーパーナチュラルは新創造のもの、つまり霊からのものであり、魂の超能力によるものではない。表層的な判断はなさらないようにお願いしたい。

そもそも、「霊の再生」にしろ、「聖霊の内住(もちろん父と子も)」にしろ、「体の変貌」にしろ、すべてはスーパーナチュラルな現象なのだ。元より聖書はスーパーナチュラルな世界を提示しているのであって、それを物理的時空間において五感だけを頼りに解釈したり、御言葉を"解き明かし"たりするために、真理が毀損されるのだ。かくして三浦綾子や遠藤周作の彼らのマインドにはまる文学の世界に矮小化、あるいは歪曲化される。時には神学化も。

スーパーナチュラルな神はすでに天を裂いて、地に介入されている。神の国のサブスタンス(実体)がすでにこの物理的時空間に介入しているのだ!(Matt 12:28)私たちの霊は神の国へのポータルであり、私たちはイエスというポータルを通して、出たり入ったり、つまりこの物理的時空間と霊的世界を行ったり来たりすることができる存在なのだ。つまり神の国と地との狭間に存在する、新しい創造、ニュークリーチャーなのだ!

 

本日の二冊

 

 

 

実はこれらは先の本と一緒にどなたかにいただいたもの。出版年が2005年とか2009年。だれにもらったのだろうか?一冊目は"The Spiritual Man"のポイントをコンパイルしたもの。二冊目は1936年前後の生メッセージをコンパイルしたもの。内容的には"The Normal Chiristian Life"(キリスト者の標準)に重なる。が、実に新鮮だ。鍵は人類は二種類のみであること。すべては信仰の領域における事実であり、信仰は「神は癒して下さるだろう」とか「与えてくださるだろう」とかではない!信仰は「癒された/与えられた」と完了形である。すると物理的にそれを所有する。これをW.ニーは「信仰による受領(receiving in faith)と経験による受領(receiving in experience)」と呼んでいる。今日、ほとんどのクリスチャンは「神は癒して下さるだろう」と"信じて"いる。実はこれは信仰ではない。信仰は望んでいることのサブスタンスだから。これを得ると、目に見える形でそれを得る。これが信仰のプロセスだ。12月以来、改めてW.ニーの信仰の領域の広大さと深さを再確認しているところだ。

 

Big Prayer

W.ニーの『Powerful According To GOD』はこれまでのニーのイメージを崩すものだ。実は、これ、ニーのメッセージの中から祈りに関するものをコンパイルしたものだが、実に新鮮。ニーの書物はどちらかというと内省的あるいは観想的、また神秘主義的な色彩が強いが、本書は実に具体的かつスケールが大きい。

鍵は、エクレシアは神の願いと力のアウトレット。すでにキリストとともに座にいるエクレシアが神の意志を祈り出すとき、神は地上にご自身の知恵と力を放出される。エクレシアが祈らないのであれば、神は地上でみわざをすることができない。要するにエクレシアは天のポータル(門)なのだ。そこから神の国のいのちと力が流れ出るパワーポイント。私たちの祈りが神に受け入れられ、それがかなうとき、私たちの喜びであり、父の栄光である。そして、忘れてはならないのは、サタンの損失なのだ!私たちが得るれば得るほど、サタンは恥と損失を被る。

善良な人は子孫にゆずりの地を残す。罪人の財宝は正しい者のためにたくわえられる。-Prov 13:22

だ*か*ら、ビッグ・プレイヤーを祈れ!・・・とニーは勧める。力のないもの、富のないもの、知恵のないもの、何ら取り柄のないものが、ビッグ・プレイヤーを祈るとき、神は応える。ジョージ・ミューラーも言っている、大富豪に対して、1ポンド程度を求めるのは失礼だと。神は全宇宙の大富豪、すべてを所有される。その神がキリストにあって用意してくださったわれわれの天の口座から引き出すのだ。ミューラーの働きはこの御言葉から始まった。

あなたの口を大きくあけよ。わたしが、それを満たそう。-Ps 81:0

これって、ただポカンと口を大きく開けてぼた餅が降ることを待つこと?ノー、それはアホでしょ。求めよ、探せ、叩け!これが祈り。だから声を上げて祈れ。神はすべてをご存知だから祈る必要はないとする向きは勘違いしている。イエスが地上でもし黙ったままだったら、私たちは救われたであろうか?銀行に出向いて窓口で意志表示しなければ、口座から引き出せないだろうに。それと同じ。御言葉を宣言し、祈りで心のうちを注ぎ出すとき、天の口座を開く。

わたしがあなたがたに話した言葉(レーマ)は霊であり、また命である。-John 6:63

これは私たちの霊を開くことなのだ。そこから限りない天の資産が流れるのだから!イエスご自身こう生きられたのだ。

キリストは、その肉の生活の時には、激しい叫びと涙とをもって、ご自分を死から救う力のあるかたに、祈と願いとをささげ、そして、その深い信仰のゆえに聞きいれられたのである。-Heb 5:7

 

 

本日の一冊:Powerful According To GOD

 

実はこれ、どなたかにいただいたもの。まったく手付かず状態だったが、今回開いて見て驚き。祈りのパワーを各側面から見事に説いている。祈りはそもそもスーパーナチュラルな経験として、御座に直接タッチする祈り、キリストと共なる御座から地へと向かって命じる祈りなど。しかもひとつイザヤ書から開かれた。邦訳では微妙に意味が違ってしまっているが、KJVではこうあるのだ。See?

Thus saith the LORD, the Holy One of Israel, and his Maker, Ask me of things to come concerning my sons, and concerning the work of my hands command ye me.-Isa 45:11

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