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ブログ・スクリプトをWord Pressにチェンジしました。明日(2017年3月10日)以降、このページは更新しません。新しいブログに移行します。

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Tag: 神の国

しるしを求めよ-イザヤ7:11

あなたの神、主に一つのしるしを求めよ、陰府のように深い所に、あるいは天のように高い所に求めよ。-イザヤ7:11

Ask a sign from YAHWEH your Elohim; make deep the request, or make it high above.-Isa 7:11(HRB)

アハズはこの後、自分はしるしを求めて神を試みることをしないと宣言する(Isa 7:12)。もっともらしい返答だが、これはまっかな偽り。悪しき時代はしるしを求めるが・・・というジーザスの言葉を引いて、今日はしるしもないし、求めてもならないと言う節がある。私もかつて主張したことがあるが、これは悔い改める。これが、実は自らのフェイスの欠如の弁明あるいは言い訳に使われるのだ。主、在りて在る、YHWHなるエロヒムが言われるのであれば、それにアーメンと応答して、栄光を帰するのがフェイスである。

私たちのセレブも参加者が増えてこられ、いよいよ会場としているホテルの会議室が満杯になりつつある。YouTubeの視聴数も4日で500超、急激にピッチが上がっている(4週間で1,000といった感じ)。今年は"More Than Enough"。英国の友人Jarrod CooperのTwitterにより、「しるしを求めよ」と今回鋭く語り込まれた。そのためにはまず手放すこと。かつての緑のビルもクーデターにより手放したが(注)、これは極私的には実に解放された。いや、ほんと2013年は実にゆっくりと遊ばせてもらえたcool 

で、2014年からセレブを今の場所に移したが、これは正解であった。ここはローケーションもグッド、霊的にも天が開いている感覚(ネクストの場所についてもすでに言葉は与えられている。人間的には「はあ!?」という感じだが)。カネも同じ。まずは手放し、神の国に種をsowingすること。最高で1,000倍の祝福を得るのだから!

あなたたちの神、主が人数を増やされたので、今やあなたたちは空の星のように数多くなった。あなたたちの先祖の神、主が約束されたとおり、更に、あなたたちを千倍にも増やして祝福されるように。―申命記1:10-11

2017年、世界はあちこちで予測不能な事態が次々と起きているが、神の国に生きるわれわれは、一言で言って、ワクワクする次第。神の激しい愛によるわざを見るであろうから!

ワーシップはただジーザスのみにフォーカスすること―コリン・アーカート

(注)というか、ケイタイもおいていけと言われ、私が追い出されたのだった(笑) なお、「公式サイト」なるものがいぜんとして残されていますが、これは不法状態にあります。また20年かかって収集したCDを盗まれたのはちょっと残念。その後、彼らは空中分解し、緑のビルから逃走した。メールや携帯を受信拒否し、一切の連絡手段が断たれたままになっている(彼らのサイトも昨年8月から更新されておらず、フォームメールで返却を求めても無しのつぶて状態・・・)。

Dr.Lukeのワンショット―フェイスは時空を超える

いじめの根底には偽善が潜む

前に「いじめには毅然と立ち向かえ」と言ったところ、現場の小学校教師から、そんなことを言えばかえって混乱を招く、子供はいじられる中でも成長する、とかのたまった御仁がいた。本人は弱者の味方を気取っているが、こういった偽善者が現場にいる限り、いじめはなくならない。いじめる側はこういった偽善を鋭く見抜いているのだ。カッコウだけの張りぼてを。その上、神がサタンの権威に服しているとか・・・。人は心にある事を口が語るとあるとおりだ。「天に御心がなるとおり、地にもなるように」と祈ることの意味をよくよくかみしめる必要があろう。

-いじめ訴え自殺 学校側、遺族に説明なく「通学途中の事故」と申請

 

Dr.Lukeのワンショット―フェイスのDNA

寝ている間にも神のわざはなされる―聖なる怠惰の奨め

まことに何度も紹介しているが、どちらかというと怠惰な私の好きな聖句―

神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない
土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。-Mark 4:27-29

「ひとりでに」の原語は"automatos"、Strongによるとこうある:

self moved (“automatic”), that is, spontaneous: - of own accord, of self.

ニッポンキリスト教では、成長のためのナントカ・カントカ、克己精励、信仰に励め~とかよくやるわけだが、あなたとは関係なしに、寝ている間にも神のわざはなされる。それはただフェイスによるわけだ。ブラザー・ローレンスはこれを「聖なる怠惰」と称している。宗教から解かれよ!

 

砕かれるべきは偽りの要塞

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自己を否み~、自我を砕きぃ~。これもクルシチャン症候群を発症する宗教マトリックス。自我を砕いてどうするの? WW2時には日本基督教団は、自分の十字架を負いて、自己を否んで八紘一宇に邁進すべし、とアジったのだ。

砕かれるべきは何気に刷り込まれ、マインドに巣くっている御言葉に反する偽りの思い・考え・価値観・神像や自己像など。それは要塞。偽りこそが敵の策略であると知るべきなのだ。

ただ、困ったことは、すでに聖書自体があまり信用できないこと。今の邦語訳はたいていアレキサンドリア系、特にウエスコット・ホースト版は意図的に改ざん されている。まあ、邦語訳は写本の問題以前に訳が恣意的。間違った訳の上に乗せられて、あーでもない、こーでもないと聖書を弄り回しているのが現状。まこ とに、お疲れさま~だ。

神の国は言葉(ロゴス)にではなく、力(デゥナミス)のうちにある。―1Cor 4:20

今必要なのはデゥナミスのデモンストレーション。ジーザスがなしたように! オツムの空転的「信仰」から解放されよ!

神の国はロゴスにではなく、デゥナミスにある

キリスト教という業界ではしばしば不毛な神学論争なるものが展開される。有名どころでは「カルヴァン主義対アルミニウス主義」とか、半ペラギウス主 義がどうのこうの・・・とか。はあ、自然科学系の小生にとってはほとんど小学生の言い合いとしか・・・、あ、怒られるなぁ・・・。

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これ、佐藤優氏も言っているが、認識論の問題に過ぎない。リアリティーのモデルがいわゆるセオリーであって、この図にあるようにリンゴが落ちるというリア リティーを、いかに落ちるか、つまり時間と空間の関係式で記述したものがニュートンの運動方程式であり、引力の法則だ。その数式をいじくるのがいわゆる理 論物理学者。リアリティーにタッチしてあれこれ実験するのが実験物理学者。いずれにしろ、彼らは物理的サブスタンスを対象としている。

人文系になると人間の精神活動などを対象とし、社会科学系は社会システムを対象とする。これらはわれわれの体の五感と魂(知・情・意)で観測できる領域にすぎない。

対して聖書が対象とするのは霊的領域であり、霊的サブスタンスである。その領域にもニュートンの発見した自然界と同様の霊的法則がある。ローマ書やガラテ ヤ書にくわしいが、その法則を知ることはひとつのこと。その法則を使う、あるいは法則に従うことは別のことだ。物理の運動法則を極めた天才的物理学者で も、体操選手のようにE難度の実技ができるとは限らない。

ロゴスの世界を抜けて、リアリティーにタッチすること。霊的サブスタンスをゲットすること。これがフェイス。まことに

今、フェイスとは願うことのサブスタンス、見えないことの立証である。ヘブル書11章1節

わけのわからないナントカ神学やカントカ神学を極めたところで、実技ができなければ無意味。理論物理学者は実験できなくても食っていけるが、フェイスはサ ブスタンスをゲットしなければ絵に描いた餅、まったくナンセンス。パリサイ人などはリクツの世界の住人に過ぎなかったが、ジーザスは神の国の実践者だった のだ。だから彼らは嫉妬した。ジーザスは神の国をこの物理手時空間、五感の領域においてデモンストレーションしたからだ。まことに

神の国は言(ロゴス)の中ではなく、力(デュナミス)にある。-1コリント4章20節

オツムからのエクソダス。それはナチュラル・マインドを脱ぎ捨てること。かくしてパウロは奨めている:

むしろ〔自らの〕思いを刷新することによって形造り直され・・・ローマ書12章2節(岩波訳)

マインドのメタモルフォーシス(再構成)が必要となるのだ。聖書をナチュラル・マインドで読む限り、神の国はあなたの、そして私のものとはならない。まこ とにマインドの取り扱いこそが、神の国を味わうカギなのだ! クリスチャンはすでにキリストのマインドを有しているのだから、それがナチュラル・マインド によって阻害されなければ、その可能性は無限。ジーザスは言った

信じる者はわたしと同じわざをし、さらに大いなるわざをする。わたしが父のもとに行くからである。-ヨハネ14章12節

WOW! 物理的時空間を超え、その因果関係や自然法則を超越するフェイスにはすべてが可能なのだ! これがわれわれの有するポテンシャルだ。

ホリゾンタルとヴァーティカル、あなたはどちら?

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あちこちの聖会とか、いわゆる油注ぎの器とかを巡り歩く人々がいる。自分の体の癒しや問題の解決を求めて、カネと労力を浪費しながらも・・・。そして、たいていは失望に終わるのだ。この人でも、また、ダメだ・・・と。嗚呼、このような人々はトンデモ勘違いをしている。世でもミュンヒハウゼン症候群と言われる人々はドクターショッピングをする。この病院がいい、あのセンセイは名医だとか聞くと、もう居ても立っても居られないのだ。これも立派なビョウキ。このような地面を這いずり回る限り失望に次ぐ、失望で終わる。いい加減、目を覚ませよ、と言いたい。

メッセでも語ったが、私たちはイエスと全く同じに世の者ではない。私たちは上から神によって産み出された存在、つまり神属人類新しい創造ニュークリーチャー、つまり新生命体なのだ。

上から来る者は、すべてのものの上にある。地から出る者は、地に属する者であって、地のことを語る。天から来る者は、すべてのものの上にある。-John 3:31

わたしは彼らに御言を与えましたが、世は彼らを憎みました。わたしが世のものでないように、彼らも世のものではないからです。-John 17:14

聖書は日本語で考えるな、と何度も言っている。この「ように」が曲者なのだ。原語は"kathos", Strongによれば"just (or inasmuch) as"だ。つまりイエスが世のものではないのとまったく同じに私たちも世のものではない。イエスは神のロゴス(John 1:1-3)、神のサブスタンスの物理的時空間への現出(Heb 1:3)。私たちも同じだ、と言っているのだ。つまりイエスはエイリアンであり、私たちもそれと同じエイリアンである! 上から来た存在、上に座す存在、新しい生命体としてのエクレシアの中にバプテスマされた存在なのだ。ゆえに

このエクレシアはキリストの体であり、すべてのものをすべてのものの中に満たす方の充満である。-Eph 1:23(岩波訳)

エクレシアとはキリストの充満。これをキリストが満ちておられるところ、とか訳すのでズレるのだ。つまりキリストである! 私たちは神が生み出した存在。人は人を生む、犬は犬を生む、ならば神は神を生むのだ! というと、いよいよDr.Lukeも異端に落ちたと喜ぶむきもニッポンキリスト教にあろうと思う。私の言葉尻をとらえたくてうずうずしながら虎視眈々と狙っている人々がいるのだ。

御父は、御心のままに、真理の言葉(ロゴス)によってわたしたちを生んでくださいました。それは、わたしたちを、いわば造られたものの初穂となさるためです。-James 1:18

人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。・・・肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。-John 3:3-6

では、彼らに聞こう。神が生み出したものとは何か? 

私たちは水平方向に生きる者ではない。この地上をあちこち彷徨う者ではない。地のものはフェイク、マトリックスである。垂直方向のリアリティーに生きる者である。救いはどこから来るのか。天地を作られた神から来るのだ(Ps 121:1-2)。別に彷徨う人々に、それをやめよ、と言うつもりはない。ご勝手にどうぞ。ただ、ご苦労様な事です、と声をかけたい。あなたが自分の真のアイデンティティーポジションアビリティインヘリタンスに覚醒するならば、あなたの抱えてソレは瞬時に蒸発してしまうであろうに・・・。ヴァーティカルに突き抜けた人はすぐに分かる。独特の解放感を漂わせるからだ。改めて、フェイスに覚醒した者は幸いである!

思いの霊において新しくされる

すなわち、あなたがたは、以前の生活に属する、情欲に迷って滅び行く古き人を脱ぎ捨て、心の深みまで思いの霊において新たにされて(原語)、真の義と聖とをそなえた神にかたどって造られた新しき人を着るべきである。-Eph 4:22-24

ある姉妹の証-自分は風邪をひいていた。ところが自分は御国にいる。ここには風邪はない。これらの症状は偽りだ、自分から離れよと宣言して命じたところ、症状がすーと去るのがわかった。すると風邪の症状はセミの抜け殻のように、自分の体はそこから抜け出し、背筋がシャキっと立っている幻が見えた。サタンの支配下で病気や問題に支配された体を脱ぎ捨てた新しい自分にキリストが重なって自分とひとつになってくださっている光景がはっきりと見えた。

まことに面白い。古きを人を脱ぎ去ることはセミが脱皮するようなもの。サタンの支配下にあって罪と世と肉によって支配され、その結果としてもろもろも罪と世の価値観と肉の実によってあがいていた状態から抜け出すのだ。すると新しい創造である自分のアイデンティティーポジションアビリティインヘリタンスを見出すことができる。なによりもその自分はRoyal Robe(王族の衣)であるキリストを着ているのだ。

神の国のミステリー

イエスは言われた。「あなたがたには神の国の秘密を悟ることが許されているが、他の人々にはたとえを用いて話すのだ。それは、『彼らが見ても見えず、聞いても理解できない』ようになるためである。」-Luke 8:10

神の国の教えは一般の人々には愚かなもの、幼稚なもの、役に立たないもの、カネにはならないし、社会的出世にも、自分の業績にも貢献はしないもの・・・と思われている。しかしこの秘密、musterionを知った者にとってはやばい。そう、それはミステリーなのだ。奥義。ヘブル語の原義は"to shut the mouth"(Strong)。口を塞ぐこと。WOW! このミステリーを見たものは口を閉ざす。なぜ?それは誰にでも許されているものではないからだ。いわゆるキリスト教徒になるとか、洗礼を受けるとか、陪餐会員であるとか、牧師だtか神父だとか、正統神学を知ってるとか・・・、そんなこととはまったく✩カ✩ン✩ケ✩イ✩ない。神がそれを見ることを許された者にのみ与えられる特権なのだ。これを見ればむしろ口を閉ざす。あれ、ちょっと待てよ。これはやばい・・・と。今、私が言えることは

フェイス・アウェイクン!

神の国に生きるプロトコル

社会はある一定の価値観とそれに基づくルールから構成される。これはプロトコルと呼ばれる。その社会に生きる人々はそれに適応するように考えまた行動することが要求される。現代はいわゆる人権と自由に基づいて民主主義なるプロトコルが主流。それから外れると反社会的勢力とか言われるわけ。これはすべて五感によって生み出されたリアリティー。ちなみに物理学では最近、ホログラフィック宇宙論も提唱されているように、それは脳が生み出したものなのだ。

-Holographic Universe FULL movie

神の国も同様のプロトコルがある。これは世のそれとは全く異なるものであり、私たちのマインドセットが根本的に変革される必要があるのだ。すなわち絶対神主主義であり、それに基づいて絶対王権制がしかれ、その恩恵によって生きるのだ。その根拠は、イエスの流された血。それは全宇宙を買収した。要するに株式会社でも、TOBなどにより株式を過半数取得した者が実質的なオーナーになるのと同じ。神は100%の株式を取得されたのだ。

それまでのオーナーは誰だったか。そう、アダムから欺きにより不正にオーナー代行権を奪取したサタンであった。それはそもそも不正行為であったゆえに、イエスの血はサタンに対して支払われたのではない。われわれが贖われたのは律法の呪いの下からである(Gal 3:13)。サタンは律法の呪いの下にある罪(Sin)の住むわれわれの肉を刺激して、われわれを自分の下に置こうとする。アダム系列の古い私が唆されるとき、アダムと同じように罪(sins)を犯す。罪の力は律法ゆえ(1Cor 15:56)、律法に縛られている古い私は自ずとサタンの下に置かれる。こうしては世は悪しき者の配下に置かれるのだ。

しかるに、サタンの不当性は神の子を十字架に付けることにより証明された。が、キリストは復活し、新しい人類を創造された。血の代価と復活によりキリストは愛と義を証明され、サタンが不当に奪取していた天と地のあらゆる権威を正当に得た。アダム系の私も終わり、律法は私に対して力を失った。同時に罪(Sin)も新しいキリスト系の私には効力を発揮し得ない(Rom 6:14;7:1)。それを担保するのが恩恵、つまり恵(Grace)である。鍵はアダム系の死とキリスト系の復活。これなくしては神の国のイロハを失う。同時に、キリストの血はあらゆる病の代価も払った。世でも癒しを求めて医者にいけば、当然のこと代価を要求される。しかし、キリストはすでに代価を払ってくださったのだ!

世はバビロンのシステムである。つまり奴隷組織。現在、いわゆる奴隷はいないが、実質は奴隷状態。よく社畜とか揶揄されるが、すべて今の貨幣システムにおいては奴隷なのだ。特に負債を抱えている者はよく分かることと思う。中央銀行(市中も)というシステム、国家による徴税、ローンの金利、これらはすべからく合法的な詐欺だ。何度も指摘しているが、ニッポンの個人資産は1300兆と言われているが、現ナマはない!日銀の発行残高、つまり現ナマは80兆程度。これ、信用創造によるトリック。準備率を1%とすれば、100万円は100倍に化けるのだ。このシステムは神の国と真っ向から対立する。キリストの血はこの世で生きるための代価をも支払ってくださったのだ。

昨晩、BSで山崎豊子の『沈まぬ太陽』を再度観た。正義の社畜恩田があくまでも正義を貫き、国民航空を相手に奮闘し、裏切られ、傷つき、自分を見失いつつも、真の価値を見出すというストーリー。あの御巣鷹山の事故を描いている。モデルは日航。その内部がどれほどに腐っていたか。恩田は会社という組織の中で自分を確立しようともがくのだ。が、これがそもそもの罠。組織の中で自己を確立することは本来無意味だ。われわれのアイデンティティーは何によるのか。そう、対・神においてのみそれは確立される。自己は、社会的レベル、生物的レベル、精神(魂)的レベル、霊的レベルの層構造をなしている。神の贖いのワザはそのすべての層にまで及ぶ。もちろんこのボディのトランスフォーメーションは携挙まで待つ必要があるが、病の癒しはすでに成し遂げられている。生物的次元でもDNAのレベルまでキリストの血は力を発揮する。

では、なぜある者は癒されず、貧富の差もあるし、家庭が崩壊する者もいるの・・・・か。このようなマインドセットがすでに欺かれているのだ。聖書が、主の打たれた傷により癒されたとある以上、そのとおり。主は富んでおられたのに、私たちを富むものとするために貧しくなられたとある以上、そのとおり。魂が栄えているように、あらゆる面で栄えるとある以上、そのとおり。隙間を作るとそこに疑念が入る。それは種。いつかその実を結ぶ。真理に対して一部のスキも作らないこと。神の国のプロトコルには疑問や疑念はない、否、あってはならないのだから・・・。

マインドのマトリックスから解かれよ!

私自身、クリスチャンになってからも長いことこのマトリックスの中に生きていた。否、あえてサイエンティストの端くれであることを誇り、その自然科学的世界観を尊びつつ、その中でアレコレ、手練手管で生きていたのだ。経済の知識によってカネを稼ぎ、31歳にして5,510万円の負債を抱えて、見事にマネーシステムの奴隷でもあった。借金を抱えて、マネーを稼ぐことが男の度量だと思っていたし、誇ってもいた。が、コレ、見事にこの世の君のマトリックスに絡め取られていたのだ。マネー経済自体がフェイク。何度も言うが、北朝鮮の紙幣など誰も欲しくない。これと同じことがドルでも円でも、これから起きる。繰り返すが、あなたの銀行預金は単なる通帳の上の数字に過ぎない。現ナマはそもそも存在しないのだinnocent

人類はすべからくマインドコントロールされている。自分はMCされていないと思っていること自体がMCされている兆候。誰も、自分が欺かれていると思いつつMCされることはない!

彼らの場合、この世の神が不信の者たちの思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝きを、見えなくしているのである。-2Cor 4:4

これはクリスチャンとても同じこと。彼らは聖書解釈とか霊的解き明かしとか、キリスト教の教義とか伝統や文化といったマトリックスにはまっている。今回のメッセでも語ったが、創世記1章1節で天地が創造された後、サタンの反逆によって、荒廃し、虚しくされた地球の上を神の霊が覆い、保護していた。そこにまず神はレーマによって光をもたらされた。この光が差し込むことがない限り、人は栄光の君を見ることはできない。マインドがあの者のフェイク、マトリックスによって封じられているためだ(⇒「この世」について)。

いのちの泉はあなたにあり、私たちは、あなたの光のうちに光を見るからです。-Ps 36:9

主イエスは言われた。信じる者にはすべてが可能である、と。では、信じるとは?これが問題。いわゆるキリスト教徒たちの「われは・・・を信ず」とか、「聖書66巻を神の霊感によって書かれた誤りなき神の言葉と信じます」とかは、たいてい嘘である。それは信仰、もっと正確には信(pistis)ではない!信仰はもともとスーパーナチュラルな、シックスセンスの領域の事象。この地上のものでは、そもそもない。それを地的経験や物理的視力、いわゆる五感の世界の中でアレコレいじるために、事がややこしくなる。いわく、聖書の解き明かしとか、深い霊性がどうのこうのとか・・・。それはこの世の物差しによって御言葉を測ること。そもそも聖書はこの世のものではない。私たちもイエスがそうであったと同じく、この世のものではない。この物理的時空間に、霊的領域の神の国が介入しているのだ。私は今、手を挙げるだけではっきとこの世界に触れることできる。

ちょうどペイントソフトにあるレイヤーに似ている。グラフィックを書くとき、映像のレイヤーと文字のレイヤーを重ねて、一枚の絵とするが、同様に、この物理的時空間というレイヤーに霊的領域の神の国というレイヤーが重なっているのだ。ただ前者には色がつき、われわれの五感に感知できるが、後者は透明であり、五感には引っかからない。この二枚のレイヤーの狭間に聖書というメディアが置かれ、両者を結合しているのだ。私たちの霊は見えないレイヤーを感知することができる。さらにそこに描かれている天のサブスタンスを見ることができる。加えてそれを目に見えるレイヤーに現すことができるのだ!これが信仰である。自分のオツムで念じるとか、使徒信条をしつこく告白するとか、そのようなものではない。それがキリスト教である。この違い、お分かりだろうか?

天のサブスタンスを地へともたらすこと。私たちが自分のアイデンティティーに覚醒し、アクティベーションされればされるほどに、その神の国のデュナミスが発揮される。そのとき、自分の能力に驚くことであろう。え、これが私???と。そのようなポテンシャルを、信じる者は有しているのだ!主にある者たちよ、キリスト教という宗教のマトリックスから解かれよ!覚醒せよ!アクティベーションされよ!

信じる者はわたしのわざと同じわざをなし、さらに大いなるわざをなすであろう。-John 14:12

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