わたしたちには、神が”霊”によってそのことを明らかに示してくださいました。”霊”は一切のことを、神の深みさえも究めます。人の内にある霊以外に、いったいだれが、人のことを知るでしょうか。同じように、神の霊以外に神のことを知る者はいません。-2Cor 2:10-11

神は人の内に霊を造られた。霊は内なる神の光。その霊は人の心の奥深くも知る。実は自分の霊は自分のことをよく知っている。が、人の心は歪んでいるー

心はよろずの物よりも偽るもので、はなはだしく悪に染まっている。だれがこれを、よく知ることができようか。(Jer 19:9)。

ニュークリーチャーとしての私たちは新しいを得た。が、新しいではない。

わたしは新しい心をあなたがたに与え、新しい霊をあなたがたの内に授け、あなたがたの肉から、石の心を除いて、肉の心を与える。-Eze 36:26

魂は知・情・意からなり、古い五感のスーツ(=肉体)の一部である大脳と同期しており、五感の影響を受ける。霊と魂の相互作用としての心のあり様がそれらによって汚されるのだ。ゆえにクリスチャンは心を見張れと言われている。

油断することなく、あなたの心を守れ、命にかかわるすべては、これから流れ出るからである。ーProv 4:23(修正)

そのために、特にマインド(思い)をキリストに服させ(2Cor 10:5)、リニューアルする必要がある(Rom 12:2)。

対して霊はパーフェクト。それはエロヒムから生まれた新しい生命体である。

しかし人のうちには霊があり、全能者の息が人に悟りを与える。ーJob 32:8

人の霊は主のともしびであり、人の心の奥を探る。ーProv 20:27

霊の教えるところは全能者の悟りであり、私の霊は私の内面をすべて知っている。聖霊も私たちの内、特に思いを探る。

主であるわたしはを探り、思いを試みる。おのおのに、その道にしたがい、その行いの実によって報いをするためである。-Ps 17:10

時に人はその真実から逃れるために、実にいろいろな企てをする。自分が満たされていること、自分には信仰があることなどを、自分で証明しようとして、あれこれの活動や自己主張に没頭する・・・・。ああ、それ自体、自分の内なる空虚を証明しているではないか。そのような作為は、自分の真実から逃れるための哀しきもがきなのだ。自分が霊的に空虚であることを認め、あらゆる取り繕いを放棄して、真に頭を垂れた者は幸いだ。

私たちはすべてをご存知のお方に対して、その祭壇の上に自分をお捧げするだけである。御霊が御言葉のメスでオペをしてくださるのだ(☞霊と魂の分離について)。

兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき理性的(Gk)な礼拝である。ーRom 12:1

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カテゴリー: フェイス

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